巷に騒がれる、松下洸平殿:英語について公にされておることと、朝ドラを掴むまでの道について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1987年3月6日、東京都八王子市に生まれる。
- 幼少期より美術と音楽に親しみ、母親のもとで油絵を学び、中学からはダンスを始める。
- 美術系の高校に進学し、油絵を専攻。
- 高校3年生の時に映画『天使にラブ・ソングを2』を観て歌手になりたいと決意。
- 高校卒業後、専門学校東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美ヴォーカル学科に進学。
- 2008年より”洸平”として”ペインティング・シンガーソングライター”活動を開始。同年11月にビクターエンタテインメントからシングル「STAND UP!」でCDデビュー。
- 2009年、BROADWAY MUSICAL『GLORY DAYS』で舞台デビュー。その後、俳優としての活動を始めるため音楽活動を一時休止。
- 2010年、所属事務所をキューブに移籍し、芸名を本名の松下洸平に改名。
- 2012年、『もう誘拐なんてしない』でテレビドラマ初出演。その後、映像作品にも出演を始める。
- 2016年から、俳優活動の合間に音楽制作を再開し、年に1回のライブを開催。
- 2019年度後期放送のNHK連続テレビ小説『スカーレット』で念願の初出演。十代田八郎役で注目を浴びる。
- 2021年、映画『燃えよ剣』に斎藤一役で出演。
- 同年、ライブツアー『KOUHEI MATSUSHITA LIVE TOUR 2021 HEART to HEART』を開催し、再デビューシングル『つよがり』をリリース。
- 創作活動も行い、『TV LIFEWeb』や雑誌『PATi☆ACT』でイラストやポエム作品の連載を担当。
【油絵から歌への転身】
松下洸平殿は昭和62年3月6日の生まれ、東京都八王子市の出にござる。本名も同じで、かつては「洸平」の名で活動しておられた。
幼い頃より美術と音楽に慣れ親しんで育たれた。画家である母上のもとで油絵を学び、中学からは踊りも始められておる。
そして美術系の高校へ進み、油絵を専攻された。このまま絵の道を行くものと、誰もが思ったであろう。
ところが高校3年の折、大きな転機が訪れる。映画『天使にラブ・ソングを2』を観て感動し、突然、歌が歌いたくなったというのじゃ。
翌日には「美術の道を辞めて歌手になる」と母上に告げられた。最初は猛反対されたそうな。当然であろう。
だが最終的には、母上も自分のやりたいことを仕事にしてきた身である。本人の思いを尊重し、音楽の学校へ行くことを許してくれたという。
高校卒業後は音楽の専門学校の声楽の学科へ進み、卒業された。平成20年からは、自作の曲に合わせて絵を描きながら歌うという独特の形で活動を始められる。
そして同じ年の11月、シングル「STAND UP!」でCDデビュー。絵と歌を同時に差し出すという発想が、既にこの御仁らしい。
では、英語はどうか。確かめられる場面が一つござる。2025年9月、映画『遠い山なみの光』がカナダの第50回トロント国際映画祭で上映された折のことじゃ。
主演の広瀬すず殿と共に舞台に上がった松下殿は、英語で挨拶をされた。その中身は「本作で二郎役を演じました。ここに来られて、とてもワクワクしています。皆さんに楽しんでいただけたら嬉しいです」というものであったと伝えられておる。
カズオ・イシグロ殿の小説を映画にした作で、松下殿は主人公・悦子の夫である二郎を演じておられる。世界の映画祭の舞台で、己の言葉を英語で届けられたわけじゃ。
芝居のために求められたものを、そのつど身につけてこられた御仁でもある。ピアノを役作りのために覚えた話は、後の節で述べる。
【4回ほど落ちてから掴んだ朝ドラ】
歌手としてデビューして一年ほど経った頃、ミュージカルのオーディションの話が舞い込む。平成21年、ミュージカル『GLORY DAYS』が初めての舞台となった。
この作品への出演を機に「どうしても芝居を続けたい」との思いが芽生える。翌平成22年5月には事務所を移り、芸名を本名の松下洸平へ改め、音楽活動を一時休止された。
絵を捨てて歌へ、歌を置いて芝居へ。この御仁は、心が動いた方へ迷わず舵を切られる質と見える。
平成24年には『もう誘拐なんてしない』でテレビドラマにも初出演。同じ年の4月期には『もう一度君に、プロポーズ』で、連続ドラマにも初めてレギュラーで出られた。
そして平成30年、舞台『母と暮せば』での演技により文化庁芸術祭の演劇部門で新人賞を受賞。同じ年、読売演劇大賞では優秀男優賞と杉村春子賞も受けておられる。
杉村春子賞は、顕著な活躍をした新人に贈られるものである。舞台の世界で、まず認められたわけじゃ。
さて、ここからが本題である。松下殿はNHKの朝の連続テレビ小説のオーディションに、ご本人いわく「4回くらい」挑んで落ちておられる。書類で落ちたこともあり、一次審査より上へ進んだことは無かったという。
「縁が無いんだなとあきらめていて」と振り返っておられる。四度も落ちれば、そう思うのが人情であろう。
ところが令和元年度後期の『スカーレット』で、ついに念願の初出演を果たされる。しかもヒロインの相手役という大役であった。
繊細な演技により一躍注目を集め、その魅力に嵌った者たちの「#八郎沼」という言葉が世に広まるほどの評判となった。
幾度も落ちて、「最後のつもり」で受けた選考で掴む。しかも掴んだのは端役ではなく、相手役である。諦めなんだ者にだけ回ってくる巡り合わせよ。
この作品では、撮影の合間にも陶芸の稽古に取り組まれた。その甲斐あって、令和3年には滋賀県から滋賀陶芸大使の第一号を委嘱されておる。
左利きであられるが、この作品では右利きを演じられた。文字だけは右手で書けず、劇中で似顔絵を描く場面では、左手で描くと上手すぎるとしてあえて右手で描いておられるという。
【未来予想図-幅広く活躍する】
令和2年にはテレビドラマ初主演。令和3年には『燃えよ剣』で時代劇映画に初出演し、斎藤一を演じておられる。
この起用の理由がまた面白い。斎藤一は左利きであったとされる。そこで作り手が左利きの俳優を求めておられたのじゃ。
生まれ持った利き手が、役を呼び込んだわけである。何が武器になるか分からぬものよ。
令和4年にはアニメーション映画『DEEMO サクラノオト』で声の仕事にも初挑戦。令和5年10月期のフジテレビ『いちばんすきな花』では四人主演の一角を務め、ゴールデンプライムタイムの連続ドラマ初主演を果たされた。
令和6年には『光る君へ』で大河ドラマにも初出演。同じ年の10月期には、テレビドラマ単独初主演も務めておられる。
音楽の方も、置きっぱなしにはしておられぬ。平成28年からはYouTubeチャンネルを開いて自ら編集した映像を配り、年に一度は催しを開いてこられた。
令和3年には初めての全国を回る催しを開催。その最終公演で、本名での再デビューが決まったことを発表された。同じ年の8月には再デビューのシングル『つよがり』を出しておられる。
曲作りは元々ギターで行っておられたが、音楽劇の役作りでピアノを習得され、以降はピアノで行っておられる。役のために覚えたものが、そのまま自分の技になっておるのじゃ。
絵の道も途切れておらぬ。雑誌で挿絵や詩の連載を担当し、令和3年からは随筆の連載も始められた。その挿絵もご自身で描いておられる。
同じ年には、他の音楽家のCDの表紙の絵も手掛けておられる。高校で油絵を専攻した者の腕が、ここで生きておるわけじゃ。
令和8年5月にはレーベルを移籍し、7月には移籍後初の曲も出された。絵、歌、芝居。三つとも手放さずに歩んでおられる。
「美術の道を辞めて歌手になる」と母上に告げた高校3年の少年は、結局、どれ一つとして辞めなんだ。吾輩は、この欲張りな生き方を買っておる。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
PR(広告を含みます)
【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【英語力の真相!?朝ドラは4回ほど落ちてからについてのまとめ】
今回は松下洸平殿について調査してみた!
吾輩は松下洸平殿に対して、トロントの映画祭で英語の挨拶をし、朝ドラは4回ほど落ちても諦めなんだ若武者、と思ったんだがお主は松下洸平殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
松下洸平 朝ドラオーディション4回落ちた、一次審査どまり、涙声で振り返る(デイリースポーツ 2020年3月6日/NHK『ごごナマ』)
広瀬すず、松下洸平が英語でご挨拶! 映画『遠い山なみの光』北米プレミア(Astage 2025年9月15日)
関連記事


