巷に騒がれる、上白石萌歌殿:唄うときにだけ使われる名と、自ら語られたその訳について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 2000年2月28日、鹿児島県のお生まれ。姉君は上白石萌音殿
- 2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディションにてグランプリを受けられる
- 2012年、役者として世に出られる
- 2016年、キリン「午後の紅茶」の広告で披露された歌声が広く知られる
- 2019年、adieuの名で音楽の活動を本格に始められる
- 2019年11月27日、初のミニアルバム「adieu 1」を出される
- 2020年10月23日、「よるのあと」の新しい映像が公にされる
- 2020年11月9日より、東京・ソニーストア銀座にて初の写真展を開かれる
- 2021年、2枚目のミニアルバム「adieu 2」を出される
- 2022年、連続テレビ小説『ちむどんどん』に出られる
【上白石萌歌が唄うときに使う名】
「上白石萌歌殿は唄も出しておられるのか」――そう思われた御方は正しい。
しかも、ただ出しておられるのではござらぬ。
唄うときには、別の名を使っておられるのじゃ。
その名がadieuでござる。
2019年より、この名で音楽の活動を本格に始められた。
――役者としての名と、唄い手としての名を、分けておられるわけじゃ。
さて、なぜ分けるのか。
本人の言葉に、その答えが出ておる。
2020年10月23日、「よるのあと」という一曲の新しい映像が公にされた折のことじゃ。
この御方はこう述べておられる。
「今までのadieuの楽曲の中で、最も自分自身の声のままで表現できた曲です」
お主、ここでござる。
「自分自身の声のまま」――でござるぞ。
役者というのは、他人の声を出す仕事でござる。
台詞は書かれたものを預かり、その人物の口で言う。
――己の声そのままでは、務まらぬ仕事じゃ。
その御方が、唄については「自分自身の声のまま」と言われた。
つまりこの名は、飾りではござらぬ。
役を脱いだ側に置く名なのでござる。
ちなみにこの「よるのあと」という一曲、詞と曲はこの御方のものではない。
塩入冬湖殿という御方が手掛けられたものでござる。
――人の書いた唄でござるよ。
それでも「自分自身の声のまま」と言えるのが妙でござってな。
書いた言葉が己のものかどうかより、出す声が己のものかを見ておられる。
この分け方は、役者の身で唄う御方に特有のものと吾輩は見た。
そしてこの御方は、2016年に飲み物の広告で披露された歌声で広く知られた。
――先に世が気づいたのは、演技ではのうて声であった。
そしてこの名の付け方も、なかなかに考えられておる。
adieuとは、別れの折に使う言葉でござる。
しかも、また会おうと言う類の軽い別れではない。
――もう会わぬかもしれぬ相手に向ける言葉じゃ。
唄うための名に、それを選ばれた。
軽い気持ちで付けた名ではござるまい。
【写真まで自ら撮っておられた】
さて、この映像には、もう一つ面白い仕掛けがござった。
映像に使われた写真と景色を、この御方が自ら撮っておられるのじゃ。
神奈川の江ノ島を歩き回り、そこで撮ったものを重ねて作られた。
――唄う人が、絵まで用意された。
そのことを、こう述べておられる。
「私が主観で撮ったものと、撮って頂いたものを合わせて作るということで、今まで以上に自分の主観が映像に加わっている感じがしています」
お主、この言い回しに引っかからぬか。
「自分の主観」――でござる。
撮られる側に立つのが本業の御方が、撮る側の言葉を使っておられる。
被写体ではのうて、写す者の目でものを言うておられるのじゃ。
しかもこの流れで、翌月には写真展まで開いておられる。
2020年11月9日より、東京・ソニーストア銀座にて。
――映像のために撮った写真を、そのまま並べられたわけじゃ。
唄が写真を呼び、写真が催しを呼んだ。
そして締めの一言が、この御方の芯を出しておる。
「音楽も写真も、自分の心次第でいろんな顔を見せてくれます」
――心次第で、顔が変わる。
同じ唄でも、同じ景色でも、こちらの具合で違って見える、と言うておられるのじゃ。
吾輩は、ここで唸った。
これは作る側の言葉でござる。
与えられた役をこなすだけの御方は、こうは言わぬ。
そして最後は、こう結んでおられる。
「これからも一緒にアートを楽しんでいきましょう!」
――一緒に、でござる。
見せる、聞かせる、ではのうて、一緒に楽しめと呼ばれた。
【未来予想図-名を分ける御方の強み】
問いに、答えを出しておこう。
――この御方は唄うとき、adieuという別の名を使っておられる。
2019年に本格に始められ、同じ年に初のミニアルバムを出された。
「よるのあと」については「最も自分自身の声のままで表現できた曲」と語っておられる。
映像に使う写真も自ら撮り、翌月には写真展まで開かれた。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方は、名を分けたことで両方とも壊さずに済んでおるとみる。
考えてもみられよ。
役者が本名で唄を出せば、世は必ず役と重ねて聞く。
――あの人物が唄っておる、と思うて聞いてしまうのじゃ。
それでは「自分自身の声のまま」は届かぬ。
名を分けたゆえ、聞く側も切り替えられる。
そして本人も、役を背負わずに口を開ける。
十一の齢で選ばれ、そのまま長く歩いてこられた御方でござる。
――こういう御方こそ、逃げ場が要る。
adieuという名は、逃げ場ではなかろうか。
いや、逃げ場という言い方は失礼じゃな。
役を脱いで立てる場所と言うたほうが近い。
そしてその場所で、唄い、写真を撮り、催しまで開いておられる。
これから先も、この二本の道は交わらぬまま並んで伸びるとみる。
交わらぬからこそ、どちらも枯れぬのでござろう。
役の場では、他人の声を預かって出される。
唄の場では、己の声をそのまま出される。
――この二つを行き来できる御方は、そう多くはござらぬ。
そして写真という三つ目の手も、既に握っておられる。
撮られ、唄い、撮る。三つの立ち位置を持つ二十代でござる。
名を分けられる者は、役に食われぬ。逃げ場ではなく、素の声を置く場所でござる
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【adieuという別の名!?歌だけに出る素顔についてのまとめ】
今回は上白石萌歌殿について調査してみた!
一つ。上白石萌歌殿はadieuという名で音楽の活動をしておられ、2019年に本格に始められた。
二つ。「よるのあと」については「最も自分自身の声のままで表現できた曲です」と語られた。
三つ。この一曲の詞と曲は、塩入冬湖殿の手によるものでござる。
四つ。2020年の映像では自ら江ノ島で撮った写真と景色が使われ、翌月には初の写真展が開かれた。
五つ。「音楽も写真も、自分の心次第でいろんな顔を見せてくれます」と述べておられる。
吾輩は上白石萌歌殿に対して、名を分けて両方を守っておられる、と思ったんだがお主は上白石萌歌殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
音楽ナタリー(adieu=上白石萌歌、自身が撮影した写真使用した「よるのあと」新MV公開・2020年10月23日)
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