巷に騒がれる、芹那殿:作る側に回られた日々と、九年ぶりに一冊を出されるまでについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
- 1985年5月19日のお生まれ
- 2008年、誌面の催しに名を連ねられる
- 2009年8月1日、一座の一員として活動を始められる
- 2012年3月31日、大きな会場での公演をもって一座を離れられる
- その後は一人での活動へ移られる
- 2020年、意匠や舞台を作る側の仕事もしておられる
- 2020年5月30日、画面を通じた己の場を開かれる
- 2021年10月22日、九年ぶりとなる二冊目の写真の本を世に出される
【略歴】
- 1985年5月19日生誕。
- 2008年:『ヤングジャンプ』「セイコレ☆ジャパン」にノミネート。
- 2009年8月1日:女性アイドルグループ・SDN48のメンバーとして活動開始。
- 2012年3月31日:NHKホールで行われた『SDN48 コンサート「NEXT ENCORE」 in NHKホール』をもってSDN48を卒業しその後ソロで活動開始。
- 2020年:デザイナーやミュージカルのプロデュースをしている。
- 2020年5月30日:YouTube個人チャンネル『芹那だよぉ』を開設。
- 2021年10月22日:9年振り2nd写真集『Serina.』を発売。
【二十四で一座に加わる】

巷で芹那殿と申せば、かつて名高い一座の一員として画面に出ておられた御仁じゃ。
1985年5月19日のお生まれ。
そして2008年、誌面の催しに名を連ねられる。――二十三の齢でござった。
翌2009年の夏、一座の一員として活動を始められる。――二十四での加入でござる。
お主、ここで気づいたであろう。
この手の一座に加わる者は、たいてい十代から二十歳そこそこでござる。――二十四というのは、遅い方じゃ。
だがこの一座は、少し変わった成り立ちでな。――大人の女子を集めた一座であった。
つまりこの御仁は、その趣旨に合った年頃であられたわけじゃ。
そして2012年3月31日、大きな会場での公演をもって一座を離れられる。――およそ二年半の在籍でござった。
――そこからが、この御仁の本番でござる。
この御仁が加わられた一座についても、少し。
その一座は、大人の女子を集めた形で作られたものでござる。――十代ばかりを集める形とは、趣が違うのじゃ。
つまり、加わる者にもそれまでの人生があったということでござる。
――二十四での加入も、その趣旨からすれば決して遅くはない。
そして二年半の在籍を経て、離れられた。
大きな会場での公演をもっての卒業でござる。――区切りとしては、実に良い形じゃな。
【作る側へ回った日々】

さて、一座を離れた後の話をいたそう。
この御仁は、一人での活動へ移られた。――そしてここから、少しずつ形を変えていかれる。
2020年には、意匠を手掛ける仕事や、舞台を作る側の仕事もしておられるという。
――お主、気づいたか。出る側から、作る側へ回っておられるのじゃ。
これは、なかなかできることではない。
出る側というのは、呼ばれねば始まらぬ立場でござる。――待つしかないのじゃ。
だが作る側に回れば、話は別でな。――己で仕事を起こせるようになる。
そして同じ2020年の5月、画面を通じた己の場も開かれた。
――ここでも、己の場を作っておられる。
巷にはこの御仁について、その振る舞いを貶めるような書き方や、共に仕事をした御仁たちの名を並べた話が数多く出回っておった。
――だが吾輩は、そういう話は書かぬ。
とりわけ、人の振る舞いを「嫌われておる」などと決めつけて書くのは――ただの誹りでござる。
そして名を挙げられる相手がおる話ならば、なおさらじゃ。
確かめられぬ話で人の名を並べれば、その相手にまで累が及ぶのでな。
作る側に回るということについて、もう少し語らせてくれ。
出る側というのは、華やかに見えて実のところ受け身の立場でござる。
――呼ばれねば、何もできぬ。
そして呼ばれるかどうかは、己では決められぬのじゃ。
だが作る側に回れば、話が変わる。――己で始められるようになる。
意匠を手掛けるのも、舞台を作るのも、誰かの許しを待つ必要が無い。
そして画面を通じた己の場も同じことでござる。――出たい時に、出られるのじゃ。
この御仁は、そこを分かっておられたのであろう。
【未来予想図-九年ぶりの一冊】

さて、この御仁の現在(いま)の話をいたそう。
2021年の秋、この御仁は九年ぶりとなる二冊目の写真の本を世に出された。
――九年ぶりでござるぞ。
お主、この数字をどう見る。
一冊目を出してから九年。その間、一座に加わり、離れ、一人での活動へ移り、そして作る側にも回っておられる。
――その九年を経て、また出された。
つまりこの御仁には、待っておる者がおるということでござる。
九年も間が空けば、普通は忘れられてしまうものじゃ。――それでも出せたということは、求める声があったということでござろう。
そしてこの御仁の面白いところは、一つの形に留まっておられぬ点じゃ。
画面に出る仕事、意匠を手掛ける仕事、舞台を作る仕事、そして画面を通じた場での発信。
――次々と場を変えておられる。
世に出た者が、同じ場所に留まり続けるのは実のところ難しい。――時代が変われば、場も変わるのでな。
この御仁は、その変化に合わせて動いてこられた。
未来予想図を描くとするならば、この御仁はこれからも「己で場を作る御仁」であり続けるであろう。
二十四で一座に加わり、二年半で離れ、そこから十年以上、己の形を探し続けてこられた。
――こういう歩みを、吾輩は静かに応援したいと思うのでござる。
九年ぶりの一冊について、もう少し。
九年という時は、決して短くはない。――世の流行りも、人の顔ぶれも変わる。
その間に忘れられてしまう者の方が、遥かに多いのでござる。
――だがこの御仁は、忘れられなんだ。
そして九年ぶりに一冊を出された。
つまり、その九年の間も何かを続けておられたということでござる。
画面を通じた場を開き、意匠を手掛け、舞台を作る。
――止まっておられなかったのじゃ。
巷にはこの御仁を貶める書き方が数多くあった。――だが吾輩は、そこには与せぬ。
十年以上、己の形を探し続けておられる。――それだけで、十分に立派なことでござろう。
そして画面を通じた己の場について、もう少し。
2020年の春と申せば、世の中が大きく揺れた時期でござる。――催しも、撮影も、次々と止まっていった。
その中で、この御仁は己の場を開かれた。
――止まった時に、動き出されたわけじゃ。
外の仕事が減れば、己で作る。――この切り替えの早さは、大したものでござる。
そして翌年には、九年ぶりの一冊。
つまりこの御仁は、止まっておった時期に次の支度をしておられたということじゃ。
――こういう者は、必ずどこかで浮かび上がってくる。
意匠を手掛けるという仕事についても、少し。
衣や品の形を考えるというのは、――出る側とはまるで違う技が要る。
見る側の目を持ったまま、作る側に回るのじゃ。
長く人前に立ってこられた御仁であれば、「どう見えるか」は誰よりも分かっておられよう。
――その目が、そのまま武器になるのでござる。
そして舞台を作る側にも回っておられる。
出る者を選び、見せ方を考え、そして全ての責を負う。――これは、相当な覚悟が要る仕事じゃ。
二十四で一座に加わった御仁が、いまや作る側で責を負っておられる。
――この変わりようを、吾輩は面白いと思うのでござる。
そして九年ぶりの一冊も出された。――出る側も、捨てておられぬわけじゃな。
作る側と出る側の両方に足を置く。――これが、この御仁のいまの形でござろう。
最後にひと言。
この御仁について、巷にはその振る舞いを貶める書き方が数多く出回っておった。
――だが、そういう書き方は何も生まぬ。
誰かを貶めて得られるものなど、――何一つ無いのでござる。
二十四で一座に加わり、二年半で離れ、そこから十年以上、己の形を探し続けてこられた。
その歩みを、吾輩は静かに応援したいと思うのじゃ。
――出る側から作る側へ回り、そしてまた出る側にも戻ってくる。
この行き来ができる者は、どちらか一方しか知らぬ者より遥かに強いのでござる。
お主も、何かを続けておるならば――時には反対側に立ってみるとよいかもしれぬな。
見る目が変われば、己のやってきたことの意味も変わって見えてくる。
――そしてそこから、次の道が開けることもあるのでござる。
この御仁の場合、それが意匠であり、舞台であった。
――そして九年ぶりの一冊で、また出る側にも戻ってこられた。
行き来を続けておる限り、この御仁の場は尽きぬであろう。
【作る側に回った!?九年ぶりの一冊を出すまでについてのまとめ】
今回は芹那殿について調査してみた!
吾輩は芹那殿に対して、一座を離れた後、作る側へ回って己の場を築いておられる御仁と思ったんだがお主は芹那殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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