【中山翔貴】下手投げへ転向!?青学一貫の野球道

中山翔貴 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、中山翔貴殿:初等部から大学まで、球を追い続けられた日々について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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  • 1999年3月18日、東京都港区のお生まれ
  • 青山学院初等部より、少年の球団に入られた
  • 青山学院中等部にて、野球部に入られる
  • 2014年4月、青山学院高等部へ進まれた
  • 高校では、外野手から投手へ転じられる
  • 高校2年の折、腰を痛められた
  • 東東京大会にて、ベスト16まで進まれる
  • 2017年4月、青山学院大学の経営学部へ入られた
  • 同年7月より、下手投げへ転じられる
  • 4年の折、東都2部リーグの優勝に貢献された
  • 2021年、大学の卒業と同時に事務所へ入られる
  • 2022年4月、テレビ東京『しろめし修行僧』にて演じ手として世に出られる
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中山翔貴は青山学院を初等部から大学まで通われた

吾輩が今宵語るは、中山翔貴殿の学び舎と球の話でござる。

――この御方の学び舎は、実に分かりやすい

青山学院の初等部でござる。

――そして中等部、高等部、大学と進まれた

つまり、初等部から大学まで一つの学び舎でござる。

――十六年でござるよ

しかも、その全ての時期に球があったのでござる。

――初等部に入られた頃から、少年の球団に入っておられた

六つか七つの齢でござろう。

――そこから、球を追う日々が始まるのじゃ

中等部に進まれると、野球部に入られる。

――守りの場は、外野でござった

そして2014年4月、高等部へ進まれる。

――ここで、大きな変化が起きるのでござる

外野を守っておられた御方が、投げる役へ転じられた。

――投手でござる

これは、なかなか大きな転換でござる。

――求められるものが、まるで違うのでござるからな

そして、その転換がしかと形になった。

――一年の夏から、既に控えに入っておられる

一年でベンチ入りでござるよ。

――腕を認められておらねば、起きぬことでござる

ところが、ここから話が厳しくなってくるのでござる。

――次の段で、その話をいたそう

一貫の学び舎という点も、少し申しておこう。

――初等部から大学まで、同じ学び舎でござる

つまり、受験に追われる時が少なかったということでござる。

――その分、球に注げたのでござろう

六つの頃から二十二まで、球を握り続ける。

――これは、なかなかできることではござらぬ

しかも、その間ずっと同じ学び舎の名を背負っておられた。

――十六年でござるよ

旧い読み物には、野球に夢中とだけ書かれておった。

――だが、中身が示されておらなんだ

夢中という言葉は、便利でござる。

――ゆえに、この稿では中身の方を並べたのでござる

少年の球団に入られた頃の話も、少し申しておこう。

――初等部に入られた時からでござる

つまり、六つか七つの齢でござろう。

――そこから、球のある日々が始まったのじゃ

そして中等部では、外野を守っておられた。

――打球を追いかける役目でござるな

足も、肩も要る場でござる。

――そこで鍛えたものが、後に投手として活きたのでござろう

高等部で投げる役へ転じ、一年から控えに入られた。

――これは、腕を認められておらねば起きぬことでござる

学び舎の名が全て残っておるという点も、大事でござる。

――初等部、中等部、高等部、大学

そして、大学の学部と学科まで公にされておる。

――経営学部の、経営学科でござるな

つまり、推し量る余地がどこにも無いのでござる。

――書く側としては、実にありがたいことでござるよ

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中山翔貴は腰を痛めて下手投げへ転じられた

さて、ここからが本題でござる。

――高校2年の折、腰を痛められた

腰椎分離症という診立てでござった。

――腰の骨に、負担が積もる類のものでござる

投げる者にとって、腰は要でござる。

――そこを痛めるのは、まことに辛いことでござろう

だが、この御方はやめられなんだ。

――痛みを抱えながら、治療と稽古を並べられたのじゃ

そして、その状態で柱を務められた。

――投げる者の頭として、隊を引っ張られたのでござる

結果はどうであったか。

――東東京の大会で、ベスト16まで進まれた

だが、そこまででござった。

――甲子園には、届かなんだのじゃ

それでも、この御方は球を捨てられなんだ。

――2017年4月、青山学院大学へ進まれる

経営学部の、経営学科でござった。

――そして、そこでも硬式の野球部に入られたのじゃ

入られた当初から、頭角を現しておられたという。

――ところが、また腰が悪くなってしまわれた

高校の頃の痛みが、再び出てきたのでござる。

――そこで、この御方は大きな決断をされる

同じ年の7月、投げ方そのものを変えられたのじゃ。

――上から投げる形から、下から投げる形へでござる

これは、ほとんど別の競技と申してもよい。

――体の使い方が、まるで違うのでござるからな

しかも、教わったのではござらぬ。

――名手の映像を見ながら、独りで研究されたのじゃ

下から投げる名手の御方が、二人おられてな。

――その映像を見て、自ら投げ方を作られたのでござる

下手投げという投げ方について、少し語らせてくれ。

――腕を、地面すれすれから振る投げ方でござる

上から投げるより、腰への負担が軽いと言われておる。

――ゆえに、この御方は転じられたのでござろう

だが、これは並の決断ではござらぬ。

――それまで積んだものが、ほとんど使えなくなるのでござる

体の使い方も、球の握りも変わる。

――つまり、一から作り直しでござるよ

しかも、教わる相手がおらなんだ。

――下から投げる者は、そもそも少ないのでござるからな

ゆえに、名手の映像を見て研究された。

――独学でござるよ

十八の齢で、投げ方を一から作り直す。

――この粘りが、この御方の芯でござろう

腰を痛めながら投げ続けるということも、申しておこう。

――腰は、投げる者の要でござる

そこを痛めれば、力が伝わらぬ。

――痛みを我慢しながら、投げ続けられたのでござる

しかも、隊の柱としてでござるよ。

――休めば、隊が困るのでござるからな

治療をし、体を戻し、また投げる。

――その繰り返しでござった

高校の三年間を、そうやって過ごされたのじゃ。

――そして、東東京でベスト16まで進まれた

甲子園には届かなんだ。

――だが、そこまで行かれたこと自体が凄まじいのでござる

独学で投げ方を作られたという話も、噛みしめておこう。

――手本にされたのは、二人の名手でござった

いずれも、下から投げることで名を成された御方でござる。

――その映像を、繰り返し見られたのでござろう

そして、自分の体に写してゆかれた。

――これは、なかなかの根気でござる

しかも、痛みを抱えながらでござるよ。

――十八の齢で、この粘りでござる

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中山翔貴の未来予想図-夢を諦めたその先で

さて、その先の話でござる。

――4年の折、大きな働きをされておる

所属しておられた隊が、二部の頂に立ったのでござる。

――七年ぶりに、一部へ上がられたのじゃ

そこに、この御方も貢献しておられる。

――下から投げる形に変えて、二年後のことでござった

ところが、ここで新たな壁が来る。

――思うように投げられぬ症状に、悩まれたのじゃ

腰の痛みも、続いておった。

――そして、限りを感じられたのでござる

球で身を立てる夢を、諦めざるを得なくなられた。

――十六年、追い続けてきた夢でござるよ

初等部から大学まで、ずっと球があったのでござる。

――それが、閉じてしまわれたのじゃ

では、その後どうされたか。

――まず、話す仕事の試しを受けられた

在京の局の、語り手の試しでござる。

――だが、そちらも受からなんだ

そして、会社への就職も断念された。

――ここで、この御方は別の扉を思い出されるのじゃ

高校3年の折に観た、母君の舞台でござる。

――その話は、別の稿でしかと語っておる

そして、ご両親に打ち明けられた。

――芸の道に進み、役者になりたい、と

夢が閉じた先に、別の道が開いたのでござる。

――しかも、その道でいま次々と役を得ておられる

球を追った十六年は、無駄になっておらぬ。

――いまの体も、粘りも、そこで作られたのでござるからな

夢を諦めるということについても、申しておこう。

――十六年、追い続けてきたものでござる

それを手放すのは、辛かったであろう。

――しかも、腕が足りなんだのではござらぬ

体と、心の症状に阻まれたのでござる。

――これは、なおのこと悔しかろう

そして、次に受けた試しも通らなんだ。

――会社への就職も、断念された

つまり、行き先が全て閉じたのでござる。

――その時に、思い出されたのが母君の舞台でござった

閉じた先で、開く扉もあるのでござるな。

――この御方の歩みが、それを教えてくれておる

最後に、この御方の来し方を一言で申そう。

――六つから二十二まで、球を握り続けられた

腰を痛め、投げ方を変え、それでも続けられた。

――そして、それでも夢は閉じたのでござる

だが、そこで終わらなんだ。

――別の道を、自ら選び取られたのじゃ

しかも、その道でも土台から積んでおられる。

――養成の場で、一年学ばれたのでござるからな

球で覚えた積み方を、そのまま持ち込まれたのでござろう。

――無駄な十六年など、無かったのでござるよ

最後に、いまの働きぶりも添えておこう。

――2022年に世に出られてから、休む間が無い

テレビドラマにも、映画にも次々と出ておられる。

――2023年には、映画『沈黙の艦隊』にも出られた

球を追ってきた者が、球の作に呼ばれる。

――積んだものは、必ず返ってくるのでござるな

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【吾輩からの一言】

人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。

とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家でできる器も出ておってな。

楽天の番付で一位を取ったものがこれでござる。まずは見てみられよ。

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今回は中山翔貴殿について調査してみた!

吾輩は中山翔貴殿に対して、球の道が閉じた先で、別の道を選び取られた勇者と思ったんだがお主は中山翔貴殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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