巷に騒がれる、佐藤寛之殿:七人でなければ意味が無いと思われた話と、独断での脱退について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1970年11月2日、千葉県鎌ケ谷市のお生まれ
- 愛称は「ヒロくん」であられる
- 背丈は168センチ、血の型はABであられる
- 1983年5月1日、事務所に入所される
- 1987年8月19日、光GENJIの一員として世に出られる
- 1993年4月22日、二人の組でも盤を出される
- 1994年8月31日、光GENJIを脱退される
- 同時に事務所も離れ、二人の組も解散した
- 1996年、独りでの盤を出される
- 2000年、己の楽団を結成される
- 2018年5月、群馬県沼田市の観光の大使に任じられる
- 2023年5月29日、山本淳一殿と組を結成される
【七人でなければ意味が無い】

巷で佐藤寛之殿と申せば、かつて時代を賑わせた一団の一員として覚えておる者も多かろう。
1970年11月2日、千葉県鎌ケ谷市のお生まれ。
愛称は「ヒロくん」であられた。
――背丈は168センチ、血の型はABでござる。
1983年5月1日、事務所に入所された。
――十二の齢でござる。
お主、十二でござるぞ。
そして四年の下積みを経て、
――1987年8月19日、世に出られた。
あの、車輪の付いた靴の一団でござる。
――十六の齢でござった。
そして一団の中でのこの御仁は、
――上から数えても下から数えても四番目。
つまり、ちょうど真ん中でござる。
――そして温厚な人柄で知られておられた。
お主、これは大事な立ち位置でござるぞ。
――真ん中におる者が、皆を繋ぐのじゃ。
さて、あの一団について少し語ろうぞ。
1987年に世に出た七人でござる。
――あの頃の熱狂は、凄まじいものであった。
車輪の付いた靴で舞台を駆け、
――観る者の度肝を抜いたのじゃ。
そしてこの御仁の色は、水色であられた。
――一人ずつ、色が決まっておったのじゃ。
お主、覚えておられるか。
そして温厚な人柄で知られ、
――見た目にも、それが表れておったという。
そして1993年には、
――二人の組でも盤を出しておられる。
つまり、一団の中でも動いておられた。
――腕を認められておった証でござろう。
そして入所は十二の齢でござった。
――まだ、子でござるぞ。
そこから四年、下積みを重ねられた。
――すぐに出られたわけではござらぬ。
そして十六で、世に出られた。
――その年から、日々は一変したのでござろう。
お主、想像してみられよ。
昨日まで学び舎におった者が、
――翌日には万を超える者の前に立つのじゃ。
そして愛称は「ヒロくん」であられた。
――親しみやすい呼び名でござるな。
背丈は168センチ。
――一団の中では、小柄な方でござろう。
だが、それが可愛げにも繋がった。
――慕う者も、多かったのでござる。
そして下積みの四年について申しておこう。
稽古に通い、舞台の隅で踊り、
――いつ出られるとも知れぬ日々でござる。
多くの者が、そこで諦める。
――だがこの御仁は、続けられた。
そしてその四年が、土台となった。
――何事も、土台が肝要でござる。
そして1987年8月19日の門出でござる。
――その日から、世が一変したのじゃ。
街を歩けば、囲まれる。
――そういう日々が始まったのでござる。
十六の若者に、それは重かろう。
――だが、耐えてこられた。
【独断で下された決断】

さて、今宵の肝はここでござる。
1994年のことでござった。
同じ一団のある御仁が、
――抜ける意を固めておられると知った。
そしてこの御仁は、こう思われたのじゃ。
――「光GENJIは七人でなければ意味が無い」と。
お主、これでござる。
六人でも、続けられたはずでござる。
――だが、それは違うと思われた。
そして自らも、抜ける決意をされた。
しかもここが凄いところじゃ。
――その御仁に相談は、一切されなんだ。
――完全に、独断でござった。
お主、これは重い決断でござるぞ。
頂に立っておった一団でござる。
――そこを、己から降りられたのじゃ。
そして1994年8月31日、
――二人揃って、一団を去られた。
同時に事務所も離れられた。
――二十三の齢でござった。
さて、この決断を今少し掘ってみようぞ。
頂に立った一団でござる。
――そこを、己から降りるのじゃ。
お主、これがどれほど重いか。
残っておれば、暮らしは安泰であったろう。
――だが、それを選ばれなんだ。
そして相談も、されなんだ。
――完全に、己で決められたのでござる。
つまり、誰かに引き留めてほしかったのではない。
――初めから、腹は決まっておったのじゃ。
「七人でなければ意味が無い」。
――その一言に、全てが表れておる。
お主、これは筋を通した御仁でござる。
――損得ではなく、筋で決められたのじゃ。
そして事務所も、同時に離れられた。
――退路を、断たれたのでござる。
そして脱退の後のことも考えてみようぞ。
看板を失うということでござる。
――それまでの知られ方は、通用せぬ。
一からの出直しでござる。
――二十三で、でござるぞ。
そして残った者たちも、大変であったろう。
――五人となった一団は、後に解散する。
つまりこの御仁の見立ては、
――あながち外れておらなんだのじゃ。
そして吾輩が思うに、
この決断には、情が籠もっておる。
――損得だけならば、残っておられたはずじゃ。
だが、そうされなんだ。
――形が崩れるくらいなら、去る。
お主、これは美学でござるぞ。
――なかなか、真似のできぬことじゃ。
そして三十年経ってなお、
――その言葉が語り継がれておる。
――それだけの重みがあったのでござる。
そして二人の組でも盤を出しておられた。
1993年のことでござる。
――一団の中でも、動いておられたのじゃ。
だがその組も、脱退と同時に解散となった。
――全てを、手放されたのでござる。
お主、これは相当な覚悟でござるぞ。
――半端は、されなんだのじゃ。
そして「意味が無い」という言葉でござる。
――なんとも、強い言葉ではござらぬか。
七人だからこそ、あの一団であった。
――そう信じておられたのじゃ。
お主、これは愛でござろう。
――愛ゆえに、去られたのでござる。
そして残された者たちのことも、思うてみようぞ。
――二人が同時に去られたのじゃ。
残った五人も、揺れたであろう。
――だが、それぞれの道を歩まれた。
【未来予想図-音を続ける道】

さて、そこからの歩みでござる。
1996年、独りでの盤を出された。
――音の道は、捨てられなんだのじゃ。
そして催しや行事を中心に活動を続けられた。
そして2000年、己の楽団を結成される。
――歌い、弦を弾き、鍵盤も担われた。
お主、なかなかの腕でござるな。
そして2011年には、
――かつての仲間らと復興の歌に参加された。
音で、力になろうとされたのでござる。
そして2018年5月、
――群馬県沼田市の観光の大使に任じられた。
なぜ沼田かと申せば、
――祖父母がその地に住まわれておるという。
そして御両親も、その地のお生まれとか。
――縁のある土地なのでござる。
そして2023年5月29日、
――かつての仲間と組を結成された。
その名は「ふたつの風」と申す。
――三十年を経て、また並ばれたのじゃ。
さて、いまのこの御仁を語ろうぞ。
脱退の後も、音を捨てられなんだ。
――それが、何より大事なところでござる。
独りでの盤を出し、
催しを重ね、
――そして己の楽団も結成された。
歌い、弦を弾き、鍵盤も担われる。
――なかなかの腕でござるな。
そして地の大使としても働かれておる。
――縁のある土地への、恩返しでござろう。
そして2023年、かつての仲間と組を結成。
――三十年近くを経て、また並ばれたのじゃ。
お主、これは胸が熱くなる話でござるぞ。
――あの日の決断が、こう繋がったのでござる。
そして沼田の大使という役目でござる。
祖父母がその地に住まわれ、
――御両親も、その地の生まれであられるとか。
つまり、根のある土地でござる。
――縁もゆかりも無い地では、ござらぬ。
だからこそ、務まるのでござろう。
――知らぬ土地の宣伝は、薄っぺらくなるからな。
お主、これも誠実さの表れでござる。
そして音を続けるということでござる。
看板を失えば、場も減る。
――それでも、続けられた。
催しを重ね、楽団を作り、
――地道に歩んでこられたのじゃ。
お主、これは地味なようで難しい。
――華やかさが無くとも、続ける。
そこに、この御仁の真価がござる。
――お主も、行く末を見守られよ。
そして2011年のことも申しておこう。
かつての仲間らと共に、
――東の地の復興を願う歌に参加された。
音で、力になろうとされたのでござる。
――これも、この御仁らしい話でござるな。
お主、離れても縁は切れぬものじゃ。
そして楽団では、
歌い、弦を弾き、鍵盤も担われた。
――一人で三役でござるぞ。
お主、これは相当な腕でござる。
――下積みの日々が、生きておるのでござろう。
そして三十年近くを経て、また並ばれた。
――これほど胸の熱くなる話が、あろうか。
お主、時とは面白いものでござるな。
――離れても、また巡り合うのでござる。
――お主も、この二つの風の行く末を見守られよ。
【七人でなければ意味が無い!?独断の脱退についてのまとめ】
今回は佐藤寛之殿について調査してみた!
吾輩は佐藤寛之殿に対して、七人でなければ意味が無いと思い、誰にも相談せず独断で脱退を決められたと思ったんだがお主は佐藤寛之殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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