巷に騒がれる、篠原ともえ殿:小惑星に名がついた!?シノラーから衣装家へについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1979年3月29日生まれ。
- 10歳からデザインに興味を持つ。
- 1994年、東京都立八王子工業高等学校(後の八王子桑志高等学校)応用デザイン科に進学。
- 1995年7月、石野卓球プロデュースで歌手デビュー。
- 1996年からバラエティ番組に多数出演。
- 1997年3月、最後のシングル「ウルトラリラックス」を発表。
- 同年、高校卒業後、戸板女子短期大学被服科に進学し、その後文化女子大学短期大学部へ編入。
- 1998年、初のバラードシングル「ココロノウサギ」発表。
- 2000年代初頭、映画、ドラマ、ミュージカルなど多岐にわたる活動。
- 2004年から2008年、キッズステーションの『モンすたージオ』に出演。
- 2005年、アニメ『こどものおもちゃ』の楽曲がヨーロッパで注目される。
- 2014年、天文普及活動で小惑星に「Shinohara」の名がつけられる。
- 2015年、デビュー20周年を記念した個展開催。
- 2016年3月、青梅市親善大使に任命される。
- 2017年、鳥取県観光PRプロジェクトのシンボルマークデザインなど。
- 2018年、アートとデザインの展示会に初公開のデッサンを出展。
- 2019年、空間のアートディレクター池澤樹と結婚。
- 2020年、クリエイティブスタジオ「STUDEO」設立。
- 2021年、革アクセサリーで第100回ニューヨークADC賞のメリット賞を受賞。
- 2022年、大阪市新今宮駅前のホテルのユニホームデザイン、革の着物でニューヨークADC賞受賞。
【10歳から始まった物作り】

篠原ともえ殿は昭和54年3月29日の生まれにござる。歌い手であり、女優であり、そして衣装の作り手でもあられる。
この御仁の出発点は、まことに早い。10歳の頃からデザインに興味を持ち、人形の服や小物を自作するようになったという。
十の歳で服を作る。しかも人に言われてではなく、自ら興味を持って。後の道筋は、ここで既に決まっておったようなものじゃ。
幼い頃は大人しい質であられたが、小学4年の折にバレエを始めたのを機に明るい性格に変わったという。体を動かすことが人を変えるという、良い例である。
中学1年の時には軽音楽部で楽団を組み、弦と歌を担当された。そして中学3年の夏休み、歌手のオーディションに合格し、新人開発の部署に所属される。
十五の歳で、既に歌手になる道が開けておったわけじゃ。デビューに向けて声の稽古も受けておられた。
平成6年4月には、絵を描くことが好きという思いから、工業高校の応用デザイン科へ進学し、創作活動を始められた。部活動では天文部に所属しておられる。
この天文部が、後に思わぬ形で実を結ぶことになる。それは最後の節で述べよう。
なお、ご家族の職業や暮らし向きについて世間ではあれこれ語られておるが、吾輩が手繰ってみても確かな出所は辿れなんだ。ご本人が世に出しておられるのは、衣装の仕事とものづくりの話の方でござる。
【シノラーから衣装家へ】

平成7年の春、ある電化製品の宣伝の企画を持ってきた作り手に見出され、同じ年の7月1日、シングル「チャイム」でデビューされた。石野卓球殿が手掛けた曲であった。
平成8年からは番組のコーナーで人懐こい持ち味が人気を得て、数々のバラエティ番組に出演されるようになる。この頃の装いが、世に「シノラー」と呼ばれたものじゃ。
原色を基本とした、他に類を見ない装いであった。ここで肝心なのは、その装いをご自身で手掛けておられたということである。
誰かに着せられていたのではない。十の歳から人形の服を作ってきた者が、今度は自分の服を作り、それが社会現象になったのじゃ。
その姿を見た吉田拓郎殿が「お前デザイナーになれ」と声をかけ、衣装の作り手への夢を後押しされたという。
平成9年には高校を卒業し、推薦で短大の被服科へ進学。だが、より専門的な裁縫の技を学ぶため、翌年に別の大学の服装学科へ一般受験で編入し直された。
推薦で入った学び舎を出て、受験し直す。技を身につけるために、わざわざ遠回りを選ばれたわけじゃ。この一点だけでも、本気の度合いが知れる。
平成11年、二十歳の誕生日を記念した日本武道館の催しでは、一階の平土間を舞台にし、全ての衣装の意匠をご自身で手掛けて無料の公演を行われた。
平成12年1月には、在学中の大学にてファッションショーを開催。「21世紀に作る21歳の篠原ともえがデザインする21体の服」と題されたものであった。
同じ年の10月には、作詞・作曲・衣装の意匠まで手掛けたミュージカルで初舞台。平成13年3月に大学を卒業されておる。そこからは表現の場を舞台へと移していかれた。
【未来予想図-作り手として】

舞台での歩みが、また幅広い。平成16年と18年には『長くつ下のピッピ』の主演を務め、『ブラッドブラザーズ』『ファウスト』『三文オペラ』などのヒロインにも抜擢された。
平成20年には蜷川幸雄殿の演出による舞台で花魁を演じておられる。賑やかな持ち味の御仁が、こうした役も務められるのじゃ。
平成16年から20年にかけては教育番組で歌のお姉さんを務め、ご自身の衣装の製作も担当し、作詞・作曲までされておる。平成21年からは幼児番組にも出演された。
海の向こうでも思わぬ広がりがあった。アニメの主題歌がフランスで放送されて注目を集め、平成17年から18年にかけて渡仏し、パリで公演を行っておられる。
そして平成26年1月、大きな知らせが届く。天文の普及活動が認められ、小惑星Shinohara(14555)が国際天文学連合で学術名として正式登録された。
高校の天文部から始まった星への関心が、空に自分の名を残すところまで行ったのである。これほど夢のある話も、そうはあるまい。
平成25年には松任谷由実殿の公演の衣装の作り手に抜擢され、全六着の衣装と、共に立つ者たちの装いまで手掛けられた。吉田拓郎殿の言葉から十五年余りでの実現である。
平成26年には国の知的財産の会議のメンバーにも選ばれ、平成27年にはデビュー20周年を記念して、これまで手掛けた衣装や品150点以上を並べた個展を開かれた。
学生時代に多忙で取れなかった色彩の検定などにも、平成22年に改めて挑んで合格しておられる。抜けたところを後から埋めに行く。この律儀さがこの御仁らしい。
令和2年には、夫君であるアートディレクターと共にクリエイティブスタジオを設立された。作り手として、自らの場を持たれたわけじゃ。
十の歳に人形の服を縫っておった少女が、歌手になり、女優になり、衣装の作り手になり、そして空に名を残した。
どの肩書きも後から付いてきたもので、根っこにあるのは「作ることが好き」という一点だけである。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家でできる器も出ておってな。
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【小惑星に名がついた!?シノラーから衣装家へについてのまとめ】
今回は篠原ともえ殿について調査してみた!
吾輩は篠原ともえ殿に対して、華麗なるキャラチェンジを成功させデザイナーとして世界を駆け抜ける芸術家、と思ったんだがお主は篠原ともえ殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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