巷に騒がれる、篠原ともえ殿:青梅のお寿司屋さんであった実家と、その店を夫婦で営まれた父君・母君のことについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1979年3月29日、東京都青梅市のお生まれ。上に兄君が二人おられる末っ子であられる
- 実家は、すし職人の父君と母君が夫婦で営まれた青梅のお寿司屋さん
- 小学4年の頃、母君の勧めで青梅の斉藤バレエ教室に通い始められる
- 10歳の頃、内緒で母君のジーパンを切り、母の日のポーチを作られた
- 中学3年の夏、青梅市に住みながらソニーの歌手オーディションに合格される
- 1995年7月、高校2年の折に石野卓球殿のプロデュースによる「チャイム」で歌手デビュー
- 2010年12月5日、母君の郷里である青ヶ島で無料の凱旋ライブを開かれる
- 2016年3月13日、青梅市の親善大使に任命される
- 2016年7月、日本経済新聞の連載「それでも親子」でご両親のことを語られる
- 2019年1月、アートディレクターの池澤樹殿と結婚。同年5月に報じられる
- 2019年、40の節目に母校・文化学園大学の夜間オープンカレッジでパターンを学び直される
- 2020年、夫の池澤樹殿とクリエイティブスタジオ「STUDEO」を立ち上げられる
- 2025年1月24日、NHK Eテレの番組で母君の言葉を明かされる
- 2025年9月、TBSラジオで「実家は寿司屋さん」と語られる
- 2026年10月8日、2028年に日本女子大学の特別招聘教授となることを報告される
【実家は青梅のお寿司屋さん-父と母が夫婦で営んだ店】
篠原ともえ殿の実家はどこで、何をしておる家なのか——これを調べに来られた御方へ、先に答えを申そう。
実家は東京都青梅市のお寿司屋さんでござる。
2025年9月、TBSラジオ『立飛グループpresents 東京042~多摩もりあげ宣言~』に出られた折、ご本人がこう語っておられる。
「実家は寿司屋さんだったので、父は手先が器用だったのではあったんですが、母親は洋裁を嗜んでいて。昔、テーラードを仕立てていたんです」
翌週の放送では、店の娘としての顔まで明かされた。
「お寿司屋さんの娘でしたのでチャキチャキで。お店の看板娘じゃないけど、お客さんといつも楽しくおしゃべりしたりとか」
そして、ご両親の人柄をひと言で。「母親がすごく明るくて、父親は寡黙な」
この店は、父君一人の店ではござらぬ。
2025年1月24日、NHK Eテレ『眠れぬ夜は AIさんと』に出られた折には、ご両親の馴れ初めまで明かされた。
「母は元々、洋服を作る仕事したいと思ってたけど、父に会って。父はすし職人の夢があって、夫婦になって一緒におすし屋さん営んで私を育ててくれた」
――母君は、もとは洋服の道を志しておられた。父君は、すし職人を夢見ておられた。
その二人が夫婦となり、二人で一軒のお寿司屋さんを切り盛りされたのでござる。
家族の顔ぶれも、ご本人の口から出ておる。2016年7月、日本経済新聞の連載「それでも親子」でのことじゃ。
「私は上に兄が2人いて、末っ子なのでかわいがってくれました」
兄君がお二人、その下の末っ子がこの御方でござる。
2018年4月、読売新聞のヨミドクターでは、こうも。
「東京の青梅市で育ちました。自然が豊かで、川で泳いだり、山に登ったり」
店で出す魚は、父君が市場で選んでおられた。
「子供の頃は、実家がお寿司屋さんだったので市場ばかり行っていたんですよね」
その市場とは、昭島にあった三多摩綜合食品卸売市場。「父親はそこで見立てて買っていたんですよ」と。
そしてデビューの折のこと。
「私がデビューした時も父親が応援してくださいねって。市場の皆さんがほんとに応援してくださった」
――口数の少ない父君が、娘の応援だけは市場の皆に頼まれたのでござる。
母方にも、この御方の根がある。
読売の取材では「母の実家は孤島の青ヶ島ですから」と語られ、娘がテレビに出れば島の祖母君への「いい便り」になると、母君が考えておられたという。
デビュー15周年の凱旋ライブを青ヶ島で開いた折には、「おばあちゃんも涙を流して喜んでくれました」。
さらにTBSラジオでは「母方のおばあちゃんは着物の針子さんだったので。家には常にミシンや針や糸があって」とも語っておられる。
今の青梅とのつながりも深い。2016年3月13日、この御方は青梅市の親善大使に任命された。市の公式サイトには、ご本人のこの一文が載っておる。
「青梅は幼少の頃に過ごした懐かしい思い出がたくさんつまった場所であり、私の故郷です」
青梅市の公式キャラクター「ゆめうめちゃん」も、この御方の意匠でござる。ラジオにはそのミニタオルやシールを携えて来られた。
ご当地の品を集めるのも、立派な推し活の一つ。推しの色で品を選ぶなら、推し活の買いどき帳も覗いてみられよ。
【出前の車で「顔色が悪いよ」-寡黙な父と、ほどく母】
寡黙な父君の話で、よく知られておるのがこれじゃ。
日本経済新聞の聞き手が「お父さんはすし職人だったそうですね」と問うと、この御方はまず「手先が器用で寡黙な人です」と答えられた。
中学生のある日、父君に「出前に行くから一緒に行こう」と誘われた。
車の助手席に座ると、父君がこう言われたのじゃ。
「学校はどう? 最近少し顔色が悪いよ」
その頃この御方は、友人関係で悩みながら誰にも言えずにおられた。
「母と比べると関わりは少なかったですが、そっと見守ってくれていたんですね」
――家では言わず、出前の車という二人きりの場で切り出す。お主、これは職人の間合いでござるな。
さて母君は、洋裁が好きで、「ミシンを使っている姿がすごく格好良かったです」。寝床のベッドカバーもよく縫うてくれたという。
10歳の折、この御方は内緒で母君のジーパンの一部を切り、母の日の贈り物にポーチを作られた。
怒られると思いきや——「母は大喜びで褒めてくれた。それがすごくうれしくて、自信にもなりました」
ご本人いわく、「物作りの原点はここにあると思います」。
だが、縫いかけの物を居間に放っておいた折には、母君は目の前でいきなり全部ほどかれた。号泣するこの御方に、母君はこう言われた。
「一度始めたことは最後までやり遂げるの。途中でやめるなんて物に対して失礼よ」
内気な娘を案じて、小学4年の頃に青梅の斉藤バレエ教室を勧めたのも母君じゃ。
そして20代半ば、いつも元気でおらねばと気を張っておられた頃、短い休みに青梅の実家へ帰ると、母君がこう言われた。
「私たちの前では、弱いあなたでいいのよ」
――厳しさと甘さの置き場所を、よう分けておられる母君でござる。
【未来予想図-夫婦で営む家に育ち、夫婦で営む御方へ】
2020年、この御方は夫の池澤樹殿とデザインの会社を立ち上げられた。芸能を一度休み、40を前にしての決断でござる。
お二人の出会いは、【篠原ともえ】池澤樹との馴れ初め!?原画展の監修が縁でスピード婚に記してござる。
迷うてご両親に相談すると、母君はこう背中を押された。TBSラジオで明かされた言葉じゃ。
「それ、絶対に大丈夫だよ! だって私、人生の中でお父さんと働けたことが一番楽しかったから」
そして、「不思議ね。あなたも私と同じ人生を選んだのね」
――洋服の道を志した母君は、すし職人の父君と夫婦で店を営まれた。その娘は、夫と二人で意匠の会社を営まれる。
2019年には、祖母があつらえた着物の糸を解き、「サステナブルこそクリエイティブなんだ」と得心されておる。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方の家は、手を動かす者が二人で一つの店を回す家であったと見る。
寿司を握る父君、洋服を縫う母君、着物を仕立てた祖母君。いずれも、材を余さず使い切るのが腕の見せどころの仕事じゃ。
2026年10月8日、この御方は2028年に日本女子大学の特別招聘教授となることを報告された。
吾輩は、この御方が学生に伝えるのは技の手順よりも、母君の「物に対して失礼よ」の筋であろうと見る。
最後に、この一言を置いておこう。
「昔は自分が一番でしたが、30代も後半になると、自分の仕事が両親の喜びになっていることが何よりもうれしいです」
――お主、あの出前の車から、ここまで来たのでござるよ。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は青梅!?寿司屋を夫婦で営んだ父と母についてのまとめ】
今回は篠原ともえ殿について調査してみた!
実家は東京都青梅市のお寿司屋さん。ご本人がTBSラジオで「実家は寿司屋さん」「お寿司屋さんの娘でしたのでチャキチャキで」と語っておられる。
父君はすし職人を夢見た御方、母君はもとは洋服の道を志した御方。二人が夫婦となり、一緒に店を営まれた。兄君が二人おられ、この御方は末っ子でござる。
寡黙な父君は、中学生の娘を出前の車に誘い「最近少し顔色が悪いよ」と声をかけられた。
明るい母君はミシンを踏み、縫いかけを放った娘の前で全部ほどいて「物に対して失礼よ」と叱られた。20代半ばの娘には「私たちの前では、弱いあなたでいいのよ」。
母君の実家は青ヶ島、母方のおばあちゃんは着物の針子さん。2020年に夫と会社を興す折には、母君が「あなたも私と同じ人生を選んだのね」と送り出された。
吾輩は篠原ともえ殿に対して、夫婦で店を営む両親の背中を見て育ち、自らも夫婦で営む道を選ばれた御方、と思ったんだがお主は篠原ともえ殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
TBSラジオ(2025年9月13日)「拓郎さんのアドバイスが人生の分岐点に」篠原ともえさん(青梅市出身)
TBSラジオ(2025年9月20日)「青梅きもの博物館」ぜひ行っていただきたい!~篠原ともえさん(青梅市出身)②
スポニチアネックス(2025年1月25日)篠原ともえ 母が語った“人生で一番楽しかったこと”
日本経済新聞(2016年7月27日)篠原ともえさん 母への手作りポーチ、物作りの原点
ヨミドクター・読売新聞(2018年4月16日)篠原ともえさん(下)「弱いあなたでいいのよ」と母は言ってくれた
FASHIONSNAP(2023年9月25日)「10代の自分に感謝してる」 篠原ともえのクリエイションのひみつ
日刊スポーツ(2019年5月4日)篠原ともえ結婚していた 3歳下アートディレクター
朝日新聞(2023年8月29日)祖母の着物に涙が止まらなかった 篠原ともえをデザイナーにした原点
スポーツ報知(2026年10月8日)篠原ともえ 日本女子大の新設学部で特別招聘教授に
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