巷に騒がれる、葵わかな殿:底抜けに明るい役を、正反対の気性で演じきった年の話について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1998年、神奈川県のお生まれ
- 2009年、俳優としてデビューされる
- 2015年、『LIFE!ステージ~人生に捧げるコントライブ~』に出られ初舞台を踏まれる
- 2016年、広島発地域ドラマ『舞え!KAGURA姫』にて主演を務められる
- 2017年、連続テレビ小説『わろてんか』にてヒロイン・藤岡てんを演じられる
- 2019年、第43回エランドール賞新人賞を受けられる
- 2024年、BS時代劇『おいち不思議がたり』にて主演を務められる
【葵わかなの朝ドラはわろてんか-18歳で感じた大きな壁】
葵わかな殿の朝ドラは、2017年度後期の『わろてんか』でござる。
演じられたのはヒロインの藤岡てん――のちの北村てんじゃ。
吉本興業を興した吉本せい殿を下敷きにした物語で、京の老舗薬種問屋に生まれた娘が、
旅芸人の北村藤吉(松坂桃李殿)と夫婦になり、小さな寄席を構えてゆく。
ご本人は、この役をこう説いておられる。
「明るく前向きな女性でした」
……さて、ここからでござる。
この大役を引き受けた時、葵殿はいくつであったか。
「当時私はまだ18歳。朝ドラのヒロインという大役をこなすためには、自分の実力だけでは足りないとわかっていました。だからすごく大きな壁を感じていたんです」
お主、ここでござる。
――自分の実力だけでは足りないとわかっていた。
18の娘が、己の丈を正しく測っておる。しかも「足りぬ」と分かったうえで引き受けておられる。
では、足りぬ分をどう埋めたか。
「ただスタッフさんたちがすごく気を遣って優しく支えてくださいましたし、それに応えたい、という想いだけはありました」
「そのため毎日元気に現場に行って、与えられた役を一生懸命こなすことに集中しました」
――毎日元気に現場に行く。
なんとも素朴な答えでござるが、半年の朝ドラにおいてはこれ以上の策はあるまい。
……ところが、この御方の難儀はもう一つあった。
役の気性でござる。
「この役まで、主人公のてんのような底抜けに明るい役を演じたことがなかったのも、難しく感じた理由のひとつだったかもしれません」
そして、この一言じゃ。
「私は、いろいろなことを考え、思い悩んでしまうタイプです。だから根っから明るいてんちゃんを、自分とは離れたものとして感じていましたね」
――根は、思い悩む質。
画面の中で日々笑うておった娘が、素では考え込む性分であった訳でござる。
半年である。己と正反対の気性を、毎朝、全国に向けて出し続ける。
これは体より先に心が削れる仕事でござろう。
だが現場そのものは、救いであったという。
「毎日家とスタジオの往復でたいへんではありましたが、お笑いの話ということもあって、現場は常に楽しいものでした」
芸人を演じた面々が笑わせ、裏方も明るい場にしようと心を砕いてくれた。
そして、この振り返りがよい。
「当時は自分のことでいっぱいいっぱいだったから気づけなかったけれど、とても愛情のあることだなと思います」
――当時は気づけなんだ、と正直に申しておられる。
明るい現場であったからこそ、悲しい場面はいっそう際立ったそうな。
劇中、父・儀兵衛(遠藤憲一殿)が世を去る。その折のことじゃ。
「私自身もどんどん役と一体化していったので、役者さんたちに対し、本当の家族のような感覚を抱いていました。だからとても辛かったです」
【前の年は神楽の稽古-16歳の初舞台から続く道】
……では、18でこの大役に当たるまで、この御方は何を積んでおられたか。
朝ドラの前の年、2016年のことでござる。
広島発の地域ドラマ『舞え!KAGURA姫』で、葵殿は主演を務めておられた。
演じたのは、親の離縁をきっかけに母の郷里・広島へ移る娘・児玉咲子。
その地で出会うのが、広島の県北に伝わる神楽じゃ。
咲子は神楽部に入り、仲間と“神楽甲子園”を目指す。
――つまり、覚えねばならぬ。舞を、本物として。
「神楽を覚えなくてはならないこともあり、フィジカルの面でとてもたいへんでしたが、その分達成感を感じるドラマだったと思います」
何が一番難しかったか。ご本人が具体に挙げておられる。
「軸やタイミングをずらさずに中腰で回転をする動作がとても難しかったですね」
……中腰で、軸をずらさず回る。
字面は短いが、これを半年こなせと言われたら足腰が悲鳴を上げようぞ。
指南は本場から来た。広島は安芸高田の方々が東京まで出向いて教え、現地でも稽古を重ねたという。
「共演者のみんなが同年代だったので「みんなで頑張ろう」と声を掛け合い、そして指導をしてくれた安芸高田市の方がとても優しい方だったので、乗り越えることができたと思います」
――お気づきであろうか。
神楽の折も、朝ドラの折も、この御方の語り口は同じでござる。
己一人で乗り越えたとは、一度も言うておられぬのじゃ。
さらに一年遡れば、16歳。『LIFE!』というコントの番組に呼ばれておられる。
「初めてお話をいただいた当時の私はまだ16歳。「できるかな?大丈夫かな?」と、挑戦するのに勇気がいりました」
しかも、その回はスタジオではなく舞台で演じる回であった。
「実は私にとってこれが初舞台だったんです」
番組の終いに、ご本人はこう漏らしておられる。
「心臓が出そうでした」
……16で心臓が出そうになり、翌年には中腰の舞を覚え、その次の年に朝ドラのヒロインでござる。
毎年、身の丈より一つ大きい着物を着せられ続けておられる。
そして『わろてんか』が終わった後、ようやく実感が追いついたという。
「当時はとにかく撮影が忙しく、朝ドラのヒロインを演じるということがどういうことなのか理解できていませんでした」
「けれどドラマが終わってから街を歩いているときや、次の撮影現場のスタッフさんに「てんちゃんですよね?」と話し掛けられるようになりました。そこでようやくたくさんの人がこの作品を見てくれていたのだ、という実感がわいたんです」
――終わってから、分かった。
渦中の者は、渦の大きさを測れぬものでござるな。
【未来予想図-向いておらぬ役を引き受けられる御方】
さて、ここまでを一度まとめておこうぞ。
――葵わかな殿の朝ドラは『わろてんか』。18歳でヒロインの藤岡てんを演じられた。
己の実力では足りぬと分かったうえで引き受け、毎日元気に現場へ通うことに徹せられた。
しかも素の気性は「いろいろなことを考え、思い悩んでしまうタイプ」。
底抜けに明るい役とは、正反対でござった。
さて、ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方は、向いておらぬ役こそ引き受けられる御方だとみる。
根拠は、断り方を一度もしておらぬところでござる。
16の初舞台では「できるかな?大丈夫かな?」と怯みながら出た。
翌年は中腰で回る舞を覚えた。その次の年は自分と真逆の明るさを半年背負うた。
――いずれも「得意だから」ではない。いずれも、できぬ側から入っておられる。
そして、この御方はその怯みを隠さぬ。
壁を感じたと言い、辛かったと言い、心臓が出そうでしたと言う。
できる風を装わぬ者ほど、実は遠くまで行くものでござるよ。
ご本人も、あの半年をこう括っておられる。
「『わろてんか』は、世間のこともこの仕事のことも、何もわかっていなかった当時の私にとって、「この経験をしていなかったら今の自分はいない」と思えるほど、ターニングポイントになった作品です」
ゆえに吾輩はこうみる。
この御方はこの先も、似合わぬ役に手を挙げられよう。
……そして毎度、壁を感じたと正直に申されるのでござろうな。
向いておらぬと知りながら引き受ける者だけが、向き不向きを超えてゆく
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【18歳で朝ドラのヒロイン!?根は思い悩む質についてのまとめ】
今回は葵わかな殿について調査してみた!
一つ。葵わかな殿の朝ドラは2017年の『わろてんか』。ヒロインの藤岡てんを演じられた。
二つ。「当時私はまだ18歳」で、「自分の実力だけでは足りないとわかっていました」と語っておられる。
三つ。素の気性は「いろいろなことを考え、思い悩んでしまうタイプ」で、明るい役とは正反対であった。
四つ。前の年には『舞え!KAGURA姫』で主演を務め、中腰で回る神楽を覚えておられる。
五つ。作を終えて街で声を掛けられ、「ようやくたくさんの人がこの作品を見てくれていたのだ、という実感がわいたんです」とのこと。
吾輩は葵わかな殿に対して、向いておらぬと知りつつ引き受け、怯みを隠さぬ御方、と思ったんだがお主は葵わかな殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
NHKアーカイブス(葵わかな|人物・連続テレビ小説『わろてんか』ほか)
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