巷に騒がれる、野々村友紀子殿NSC大阪11期!?芸人から放送作家への道について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1974年8月5日、大阪府大阪市に生まれる。
- 吉本総合芸能学院(NSC)11期生として芸人としてのキャリアをスタート。
- 1992年、コンビ名「高僧・野々村」で活動開始。
- 1999年2月、コンビ解散後、一般会社でOLとして働きつつ放送作家への道を探る。
- 2002年6月、1期後輩芸人の2丁拳銃・川谷修士と結婚。
- 2006年から主婦業に専念するため、一時休業。
- 2006年から主婦業に専念するため、一時休業。
- 2012年から放送作家としての仕事に再び復帰。
- 2017年8月に初の著書「強く生きていくために あなたに伝えたいこと」を出版。
- 現在も放送作家として活動中、主にバラエティ番組を中心に漫才・コント・コメディー脚本の執筆、ショートアニメ脚本、劇場ライブ構成・演出なども手掛けている。
【NSC大阪11期の顔ぶれ】

野々村友紀子殿は昭和49年8月5日の生まれ、大阪府大阪市の出にござる。本名は川谷友紀子殿。夫君はお笑い芸人の川谷修士殿(2丁拳銃)である。
育たれたのは天神橋筋商店街や市場が近くにある一帯。人の声が絶えぬ土地柄じゃ。ご本人は一人っ子であられる。
意外なことに、子供の頃は人見知りで、人と話すのが苦手であったという。今の歯切れの良い語り口からは、まるで想像がつくまい。
大阪市立新豊崎中学校、箕面学園高等学校を経て、吉本総合芸能学院、いわゆるNSCの大阪11期に入られた。
この11期の顔ぶれが、また凄まじい。陣内智則殿、ケンドーコバヤシ殿、たむらけんじ殿、中川家のお二方、ハリウッドザコシショウ殿、ハリガネロックのお二方。
他の事務所ではアンジャッシュの児嶋一哉殿も同期に当たるという。今の世に名を残す面々が、同じ教室に並んでおったわけじゃ。
平成4年、「高僧・野々村」というコンビ名で活動を始められた。しかし平成11年2月に解散。七年ほどの芸人暮らしであった。
なお、この時分の武勇伝めいた話が世に囁かれておるが、吾輩が手繰ってみても確かな出所は辿れなんだ。人の前歴に関わる話ゆえ、確かめられぬものを書き並べるは筋が通らぬ。
【休業を経て放送作家へ】

コンビ解散の後、野々村殿は一般の会社で半年ほど勤め人を経験しておられる。舞台から机へ。心細い日々であったろう。
そして一年後、放送作家へ転身された。関西演芸作家協会の会員でもある。演じる側から書く側へ回るという、思い切った身の振り方じゃ。
平成14年6月、一期後輩の芸人・川谷修士殿と結婚された。馴れ初めは、とあるライブの終わりに川谷殿から告白されたことが大きかったという。
平成12年頃からは、海原やすよ・ともこのお二方の漫才を共同で制作しておられる。上方の看板漫才を裏で支えてきた御仁なのじゃ。
平成18年、主婦業に集中するため一度休業された。軌道に乗りかけた仕事を手放す。これはこれで、相当の決断である。
復帰は平成24年。お子が小学校へ上がる頃合いに、友人に背中を押してもらい、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の構成作家として現場へ戻られた。
六年の休みを経ての復帰である。一度離れた場所へ戻るのは、初めて入るより難しい。それを成し遂げられたわけじゃ。
夫君との間にはお子がおられるが、世に出ておらぬ身ゆえ、吾輩の口から詳しく述べるべきものではない。書けるのは、お子の節目がご本人の復帰の後押しになったという、その一点だけじゃ。
書き手としての名は旧姓の「野々村友紀子」を用い、夫婦でテレビの仕事をする折には「川谷友紀子」で出られるという。二つの名を使い分ける、律儀な流儀にござる。
【未来予想図-書き手として】

平成24年に復帰した折、野々村殿は裏方に徹するおつもりであったという。書く仕事で生きていく。そう決めておられた。
ところが、夫君の相方である小堀裕之殿へのダメ出しぶりを番組で披露したところ、これが大いに受けた。書き手の鋭さが、そのまま芸として通じてしまったわけじゃ。
ご本人は「2丁拳銃の出番が増えるなら」との思いで、少しずつ番組への出演も引き受けるようになったと語っておられる。動機が夫君の仕事のためというのが、何とも義理堅い。
現在はバラエティ番組を軸とする放送作家として、漫才・コント・喜劇の脚本、短編アニメの脚本、劇場ライブの構成・演出まで幅広く手掛けておられる。
書く仕事だけではない。NSC東京校の講師も務めておられる。自らが学んだ場所で、今度は教える側に回られたわけじゃ。
講師という役どころは、自らの技を言葉にして渡す仕事である。感覚だけでやってきた者には務まらぬ。書く仕事を長く続けてこられた御仁だからこそ、できることじゃ。
アニメやゲームのシナリオも制作しておられると聞く。笑いの世界で培った間合いが、他の分野でも生きておるのであろう。
平成29年8月には初の著書『強く生きていくために あなたに伝えたいこと』を出版された。産業編集センターからの刊行である。
この本の題を眺めるだけでも、この御仁がどこを向いて書いておられるかが分かろう。笑いを作る仕事の傍らで、生き方そのものを言葉にされたわけじゃ。
海原やすよ・ともこのお二方との仕事も、平成12年頃から続いておる。四半世紀に渡って同じ書き手に任され続けるというのは、並のことではない。上方の漫才を裏から支えてきた歳月である。
父君が京都の出であることから、京都がお好きだという。大阪の商店街で育ちながら、隣の古都に心を寄せておられる。この辺りの塩梅も、この御仁らしいところじゃ。
芸人から書き手へ、休業から復帰へ、裏方から表へ。この御仁の歩みは、道を変えることを恐れなんだ者の記録である。吾輩は、こういう身の振り方をする者を買っておる。
テレビの前で歯切れよく物を言う姿だけを見ておると、生まれつきそういう人だと思うてしまう。だが実際は、人見知りの子が七年の芸人暮らしと六年の休みを経て辿り着いた形なのじゃ。
回り道をした者にしか出せぬ言葉がある。この御仁の物言いに芯があるのは、その回り道の分だけ厚みがあるからであろう。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家でできる器も出ておってな。
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【NSC大阪11期!?芸人から放送作家への道についてのまとめ】
今回は野々村友紀子殿について調査してみた!
吾輩は野々村友紀子殿に対して、軽快な話術は武闘派時代に培った賜物である、と思ったんだがお主は野々村友紀子殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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