【美川憲一】自ら真似を頼む!?17年ぶりの紅白

【美川憲一】2人の母の為に家を建てた!?90歳でのステージを目指ししぶとく生きる 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、美川憲一殿:自ら真似を頼まれた話と、十七年ぶりに年の瀬の場へ戻られた話について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

スポンサーリンク

【略歴】

  • 1946年5月15日、長野県諏訪市のお生まれ
  • 本名は百瀬由一と申される
  • 二つの齢より、東京に住んでおられる
  • 高校を一年で中退し、東宝芸能学校に入られる
  • 1964年、第17期「大映ニューフェイス」に受かられる
  • 1965年、「だけどだけどだけど」で歌い手として世に出られる
  • 1966年、「柳ヶ瀬ブルース」が百二十万枚の大当たりとなる
  • 1968年、「釧路の夜」にて年の瀬の歌の場に初めて出られる
  • 1972年、「さそり座の女」を出される
  • 1989年正月、コロッケ殿と初めて共に舞台に立たれる
  • 1991年、十七年ぶりに年の瀬の歌の場へ戻られる
  • 2015年、日本レコード大賞の功労賞を受けられる
スポンサーリンク

【芸名は三つの美しい川から】

美川憲一の芸名は三つの美しい川から来ている

巷で美川憲一殿と申せば、「おだまり!」の一言で知らぬ者はおるまい。

1946年5月15日、長野県諏訪市のお生まれ。

本名は百瀬由一と申される。

まず、この芸名の由来が面白いのでござる。

「美川」という姓は、

――三つの美しい川に因んだものだという

木曽川、揖斐川、そして長良川でござる。

だがここで、可笑しな話がござる。

この御仁は長野のお生まれで、

――その川の流れる土地とは、何の縁も無かった

ではなぜ、その名になったか。

――当時の担当者が、岐阜の出であったのじゃ

お主、笑うたか。

――なんとも、他人の都合でござるな

だが込められた意は、良いものであった。

――「川のように息が長く、美しい歌手であるように」と

そしてこの願いは、見事に叶うたのでござる。

さて、この御仁は高校を一年で中退された。

そして東宝の芸能の学校へ入られる。

1964年、大映の新人の選考に受かられ、

1965年、ついに歌い手として世に出られた。

その折の指導は、古賀政男殿であられたという。

――日ノ本の歌謡を代表する御方でござる

お主、芸名の由来の話は面白かったであろう。

縁も無い土地の川から名を取られた。

――担当者の出であったという、それだけの理由じゃ

だが結果として、良き名となった。

「川のように息が長く、美しい歌手であるように」。

――この願いは、見事に叶うたのでござる

六十年でござるぞ、お主。

――まさに、川のような長さでござる

そして高校を一年で中退された。

――早くから、この道を決めておられたのじゃ

そして東宝の芸能の学校へ入られる。

1964年に大映の新人の選考に受かり、

翌1965年には歌い手として世に出られた。

――十九の齢でござる

そして指導されたのは、

日ノ本の歌謡を築いた大御所であられた。

――良き師に、恵まれたのでござる

ちなみに世に出た頃は、

――美しい少年として売られておったという

――いまの姿からは、想像もつかぬのう

スポンサーリンク

【自ら真似を頼まれる】

美川憲一は自ら真似を頼んだ

さて、この御仁の全盛を語ろうぞ。

1966年、「柳ヶ瀬ブルース」を出される。

そしてこれが――

――百二十万枚もの大当たりとなったのでござる

お主、百二十万でござるぞ。

だがここに、面白い裏話がござる。

当時この御仁は、若者向けの歌で売り出し中であられた。

そこへ、大人向けの歌が回ってきた。

――この御仁は、歌うのに抵抗があったのじゃ

そして事務所の頭に、断りを入れられた。

すると――

――「ヒット曲もないくせにふざけるな!」と激怒されたという

お主、笑うたか。

そしてこの御仁は、しぶしぶ歌われた。

――ぶっきらぼうに歌うておるのは、そのためだそうじゃ

だがそれが、百二十万枚でござる。

――人の世とは、分からぬものでござるな

そしてこの曲は、その土地を歌う曲の元祖となった。

以後、各地の歌が次々と生まれることとなる。

そして1968年、「釧路の夜」で

――年の瀬の大きな歌の場に初めて出られた。

さらに1972年、「さそり座の女」でござる。

――この曲が、星占いの流行の切っ掛けとなったという

ちなみにこの御仁、

NHKで歌うことを禁じられた曲が幾つもあり、

――「歌唱禁止男」の異名まで取られたそうじゃ

――なんとも、豪快な話でござるな

さて、当たりの歌について

もう少し語らせてもらおうかのう。

「柳ヶ瀬ブルース」が百二十万枚。

――これは、途方もない数でござる

いまの世で百二十万枚など、そうは出ぬ。

そして「釧路の夜」が四十五万枚。

「おんなの朝」が三十万枚。

――次々と、当てておられたのじゃ

そして各地の歌を出されたことで、

――その土地に歌碑まで建てられた。

新潟に、岐阜に、そして釧路に。

――石に刻まれるとは、大したものでござる

そして「さそり座の女」でござる。

この曲が、星の占いの流行を生んだという。

――一曲が、世の中を動かしたのじゃ

だが面白いのは、

この御仁が当たりの歌を

――必ずしも好んでおられなかったことでござる

断ろうとして、頭に激怒された。

――そして、しぶしぶ歌われた

それが百二十万枚。

――人の好みなど、当てにならぬものでござるな

created by Rinker
¥3,402 (2026/08/18 11:25:25時点 楽天市場調べ-詳細)
スポンサーリンク

【未来予想図-十七年ぶりの紅白】

美川憲一の未来予想図-十七年ぶりの紅白

だが、その後は長い不遇が続いた。

「さそり座の女」以降、目立つ当たりが無く、

――年の瀬の場からも遠のかれた

画面に出る機会も減り、

――地方での公演が続く日々でござった。

――十七年でござるぞ、お主

だが、ここからが凄い。

世は、真似の芸が流行っておった。

そしてこの御仁は――

――己から、真似をしてほしいと頼まれたのじゃ

お主、これは驚きではないか。

普通、己を真似られるのは嫌なものでござる。

――だがこの御仁は、己から頼まれた

そして1989年の正月、

真似の番組で、その御仁と共に舞台に立たれた。

しかもこれ、

――曲の途中で本人が現れるという趣向の第一号であった

そしてこれが、大変な評判を呼ぶ。

――人気が、一気に戻ったのでござる

だが当時、歌い手が笑いの番組に出るなど

――考えられぬ時代であった。

本人も初めは、

「何でそんな所に出なきゃいけないのよ」

――そう思うておられたという

だが「ひょっとしたら化けるかも」と思い直された。

――この読みが、当たったのでござる

そして1991年、

――十七年ぶりに年の瀬の歌の場へ戻られた

しかも、その御仁との掛け合いで。

――奇跡の帰還と、大いに騒がれたそうじゃ

そこからは、また別の道が開ける。

「おだまり!」の一言が世に広まり、

――芸の道のご意見番となられた

そして年の瀬の場には、

――1991年から十九年も続けて出ておられる

最後に、吾輩の思うところを述べさせてもらおう。

十七年の不遇でござる。

――これは、長い

かつては年の瀬の場に七年続けて出ておられた。

――それが、呼ばれなくなったのじゃ

地方を回り、小さな場で歌う日々。

――さぞ、悔しかったであろう

だがこの御仁は、辞められなかった。

そして、己から動かれた。

――真似をしてほしい、と頼まれたのでござる

お主、ここが凄いところじゃ。

真似られるのは、格好の良いことではない。

――誇り高き者ほど、嫌がるものでござる

だがこの御仁は、それを利用された。

――笑われることを、恐れなかったのじゃ

そして笑いの番組に出ることも、

当時は歌い手として恥とされた。

――それでも、出られた

そして人気が戻り、十七年ぶりの復帰でござる。

――誇りを捨てた者が、誇りを取り戻されたのじゃ

お主、これは深い話でござるぞ。

そして復帰の後は、十九年も続けて出ておられる。

――一度掴んだ場を、離されなかったのでござる

お主も、この御仁の粘りを見習われよ。

そして最後に、もう一言だけ添えておこう。

この御仁は、シャンソンにも力を注いでこられた。

1999年から、毎年その催しを開いておられる。

――二十年以上でござるぞ

始めた切っ掛けも、良い話じゃ。

先達の歌い手から、こう勧められたという。

「憲ちゃんの声はこぶしがなく一本調子だから、

――シャンソンに合っている」と

お主、これは褒めておるのか分からぬな。

――だがこの御仁は、それを受け入れられた

そして己の新しい柱にされたのでござる。

――人の言葉を、素直に聞ける者は伸びるのじゃ

そして2012年には、

二十五年おられた事務所から独り立ちされた。

――六十六の齢での決断でござるぞ

お主、これは並のことではござらぬ。

その齢で、後ろ盾を手放すのじゃ。

――だがこの御仁は、選ばれた

そして2015年には、大きな賞の功労賞を受けられた。

――六十年の歩みが、認められたのでござる

そして海の外でも催しを開かれ、

――いまも歌い続けておられる。

――まさに、川のように息の長い歌い手でござる

お主も、この御仁の歌を一度聴いてみられよ。

――六十年、鍛え抜かれた声でござるぞ

そして年の瀬の場での衣装も、語り草でござった。

――あの派手さは、時代の風物であったのう

スポンサーリンク

【自ら真似を頼む!?十七年ぶりの紅白についてのまとめ】

今回は美川憲一殿について調査してみた!

吾輩は美川憲一殿に対して、己から真似を頼み、それを機に人気を取り戻し、十七年ぶりの復帰を果たされたと思ったんだがお主は美川憲一殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

created by Rinker
¥1,155 (2026/08/18 11:25:25時点 楽天市場調べ-詳細)

関連記事

【まとめ】芸能人の知られざる素顔 一覧!現在・英語力・闘病まで