巷に騒がれる、山田裕貴殿:実家の部屋がどうなっておるかと、父の名を隠しておられた頃について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1990年9月18日、愛知県名古屋市のお生まれ
- 父君は、元の玄人の野球の選手であられる
- 名古屋と広島にて、育たれた
- 妹御は、模す者であられる
- 小中は、野球に打ち込んでおられた
- 高校に入る折、野球をやめバレーボールへ転じられる
- 東邦高等学校を出ておられる
- 芝居を学ぶため、養成の学び舎へ入られた
- 2010年、審査にてグランプリを獲られる
- 2011年、スーパー戦隊シリーズにて俳優として世に出られた
- 2019年、文化庁芸術祭賞の新人賞を受けられる
- 2026年、日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受けられた
【実家の部屋が記念館すぎる、と本人が呟かれた】
「山田裕貴殿の実家はどうなっておるのか」と、よう検索されておる。――これには、ご本人が答えを出しておられる。
2024年7月4日、この御方はご自身のXにこう書かれた。「実家の部屋が記念館すぎる」――と。
愛知・名古屋の実家に帰られた折のことでござる。添えられた四枚の写真に写っておったのが、その部屋じゃ。
何が並んでおったか。……ご自身が主演・出演された映画やドラマの引き札や、それにまつわる品がずらりでござった。
お主、想像してみられよ。己の顔が刷られた紙が、生まれ育った部屋の壁一面に貼られておる。……それを親が貼っておるのでござる。
だが、この部屋が面白いのはここからでな。並んでおるのは、この御方のものだけではない。
少年の頃にリトルリーグで振るっておられた球。そして――父君・山田和利氏が着ておられた中日ドラゴンズの装い。(和利氏は広島東洋カープでも活躍された御方でござる)
……親子二代の品が、同じ部屋に飾られておる。吾輩は、この一点で胸が詰まったわ。
そしてこの御方は、写真にこう添えておられる。応援し続けてくれる家族へ、「ありがたや。ありがたや」と。
……さて、ここで一つ申しておかねばならぬことがある。この部屋にたどり着くまでが、まことに長うござった。
2024年3月18日、ニッポン放送『山田裕貴のオールナイトニッポンX』でのことじゃ。この御方は、父君のことを「隠してた」と明かしておられる。
子供の頃から、父君の職を口にせぬようしつけられておられた。そして事務所に入る折にも、言わなんだ。
その心持ちを、こう述べておられる。「ネタにされたくないから」という思いがあり、「絶対に言わない」と決めておられたと。
――お主、これは息子の側の意地でござろうか。……いや、吾輩はそう思わぬ。
「ネタにされたくない」の主語は、父君のほうではないか。己が使われるのが嫌なのではなく、……父の名が肴にされるのが嫌だったのでござろう。
ところが、隠し通せなんだ。ある日、会社の者がプロ野球名鑑を見ておった。……その名鑑には、選手や指導者の来歴どころか子の名まで書いてあるのでござる。
そして問われた。「もしかして、山田和利さんの息子?」
この御方は戸惑いながら「はい、そうです」と答えられた。「そうなの?!」と驚かれ、その日から――「バラエティでめちゃくちゃいじられるようになった」
ここからが、この御方の苦しいところでござる。「たまにバラエティ番組に出させてもらうと、自分のことを話すよりも『プロ野球選手の息子さん』っていう紹介のされ方」
そして、こう言い切っておられる。「それがものすごく悔しくて」
……ものすごく悔しくて。呼ばれても、語られるのは父君のことばかり。己の芝居の話には、なかなか辿り着かぬ。
そこでこの御方が思われたのが、これでござる。「山田裕貴という人間を知ってほしい」
そして――ここが今宵の白眉じゃ。この御方は、その思いを胸に納めておかれなんだ。父君に、電話をかけられたのでござる。
「『いつか、山田裕貴の父さんだ』とお前に言わせてやるからな」
――お主、これは息子が父に告げる言葉としては、なかなかのものでござるぞ。喧嘩ではない。恨みでもない。……宣戦布告でござる。
そして父君の返しが、また見事でな。
「頑張ってりゃそういう日も来るだろう、でもまだまだだな」
……でもまだまだだな。褒めもせぬ。笑いもせぬ。「来るだろう」と認めておいて、その後ろに「まだまだ」を置かれた。
――これは、勝負の世界で長く飯を食うてきた者の言い方でござる。見込みはある。だが今日ではない、と。
そして年月が経った。この御方はいま、「お前の父親と言われる」と語っておられる。……電話で告げた宣言が、叶うたのでござる。
ここで、あの部屋をもう一度思い浮かべてみられよ。
壁一面に貼られた、息子の作の引き札。その傍らに置かれた、父君の球団の装い。……あの部屋には、宣言の前と後が両方置いてあるのでござる。
隠しておった頃の父君と、「言わせてやるからな」と告げた息子と、そのどちらの品も、名古屋の同じ部屋に並んでおる。
――「ありがたや。ありがたや」この二度重ねた一言の重さが、いまお主にも分かられたであろう。
【父君は、元の玄人の野球の選手】
吾輩が今宵語るは、山田裕貴殿の家の話でござる。
――この家は、実に球にまつわる家でござってな。
まず、父君でござる。
――山田和利殿と申される。
元の、玄人の野球の選手であられる。
――しかも、二つの球団に籍を置かれた御方でござる。
中日ドラゴンズと、広島東洋カープでござるな。
――守りの場は、内野でござった。
つまり、しかと活躍された選手であられる。
――ゆえに、この御方も名古屋と広島で育たれたのじゃ。
父君の移りに、家ごと従われたのでござる。
――玄人の家とは、そういうものでござるな。
そして、この御方も野球を始められた。
――父君の影響でござる。
だが、高校に入る折にやめられた。
――父を超えられぬ、と思われたゆえでござる。
父君は、玄人の野球の選手であられた。
――その背中を、毎日見て育たれたのでござる。
そして、この家にはもう一人おられる。
――妹御でござる。
この御方が、後に大きな役割を果たされるのじゃ。
――その話は、この後しかと語ろう。
【背番号30を着けて、球場に立たれた】
さて、ここからが本題でござる。
――2018年8月10日のことでござった。
名古屋の球場で、ある試合が行われてな。
――中日と、ヤクルトの試合でござった。
そして、その始球式にこの御方が立たれたのじゃ。
――野球をやめた御方が、球場のマウンドにでござるよ。
しかも、ここからが肝心でござる。
――着ておられた装いに、意味があったのでござる。
背番号が、三十でござった。
――これは、父君の現役の頃の番号でござる。
つまり、父君の番号を背負って立たれたのでござる。
――しかも、父君が籍を置かれた球団の球場でござる。
これは、なかなか良い話でござろう。
――超えられぬと思うて、野球をやめられた御方でござる。
その御方が、父君の番号を着けて同じ場に立たれた。
――演じ手として、名を成した後にでござるよ。
野球の道では、届かなんだ。
――だが、別の道で名を成し、そこへ戻ってこられたのじゃ。
そして、父君の番号を背負われた。
――これは、恨みではござらぬ。
敬いでござろう。
――超えられぬと思うたことを、恥じておられぬのでござる。
むしろ、誇っておられるように見える。
――良い親子でござるな。
野球を捨てたのではなく、形を変えて戻られたのでござる。
――吾輩は、そう思うのでござるよ。
始球式という場についても、少し語らせてくれ。
――多くの者が見ておる場でござる。
そこへ、父君の番号を着けて立たれた。
――これは、周りへの説明が要らぬ形でござる。
背中の数が、全てを語るのでござるからな。
――言葉より、余程雄弁でござろう。
そして、その場は父君が籍を置かれた球団の球場でござった。
――これ以上、意味の深い一投もござるまい。
背番号を背負うということについても、語らせてくれ。
――番号は、その選手そのものでござる。
それを着けて、同じ球場のマウンドに立つ。
――これは、深い意味を持つ行いでござろう。
しかも、野球を諦めた御方がでござるよ。
――恨みでは、決してござらぬ。
誇りでござろう。
――良い親子でござるな。
球場に立たれた日についても、もう一度申しておこう。
――2018年8月10日でござった。
この時、この御方は既に名の知られた演じ手であられた。
――つまり、別の道で名を成した後でござる。
その上で、父君の番号を着けて立たれた。
――これは、余裕のある者だけができることでござろう。
自分の道を持っておるゆえ、素直に敬えるのでござる。
――良い形でござるな。
背番号三十という数についても、少し申しておこう。
――父君の、現役の頃の番号でござる。
つまり、父君を知る者には一目で分かる数でござる。
――そして、球場にはその者たちがおるのじゃ。
説明せずとも、伝わる仕掛けでござった。
――粋な計らいでござるな。
妹御の一言について、いま一度申しておこう。
――演じ手の場を、教えられたのじゃ。
野球をやめて、行き先を失っておられた頃でござる。
――その折の一言でござった。
もしこれが無ければ、いまは無かったやもしれぬ。
――縁とは、そういうものでござるな。
そして、この御方はそれを隠さず語っておられる。
――恩を、忘れておられぬのでござる。
【未来予想図-道を教えたのは妹御であった】
さて、妹御の話でござる。
――この御方には、妹御がおられてな。
山田麻生殿と申される。
――模す者として、働いておられる御方でござる。
つまり、兄妹揃って人前に出る生業でござるな。
――そして、ここからが良い話でござる。
この御方が、野球をやめられた後のことでござる。
――次の道が、見えておらなんだ頃でござろう。
その時、妹御があることを教えられたのじゃ。
――演じ手の事務所の、審査のことでござる。
つまり、道を教えたのは妹御であられた。
――兄が、妹に教わったのでござる。
これは、なかなか良い話でござろう。
――そして、その一言が全ての始まりとなった。
その審査の先に、いまの姿があるのでござるからな。
――父君が球を、妹御が芝居を。
つまり、二人が道を開いておられるのでござる。
――そして、この兄妹の仲も良いようでのう。
2021年5月、この御方がTBS『A-Studio+』に出られた折のことでござる。
――妹御も、映像で出ておられたそうな。
そして、司会の御方と初めて対面されたという。
――兄の番組に、妹が出る。
良い間柄でござるな。
――噂を並べずとも、書くことは山ほどあるのでござる。
父君の背番号と、妹御の一言。
――この二つが、この御方を作ったのでござるよ。
妹御の一言についても、噛みしめておこう。
――野球をやめた後、次が見えておらなんだ頃でござる。
そこへ、審査のことを教えられたのじゃ。
――兄が、妹に道を教わったのでござる。
そして、その審査の先に今があるのでござる。
――たった一つの助言が、人の道を変える。
こういうことが、あるものでござるな。
――吾輩も、そう思うのでござるよ。
兄妹の話も、もう一つ添えておこう。
――妹御も、人前に出る生業でござる。
つまり、兄妹揃って同じ世におられるのじゃ。
――しかも、道を教えたのは妹御であられた。
兄が先ではなく、妹が先でござった。
――これも、面白い形でござるな。
最後に、この家の面白さを一言で申そう。
――父君が球、妹御が芝居。
そして、この御方は両方を通ってこられた。
――野球で育ち、芝居で花開かれたのでござる。
家から受け取ったものが、二つあるということでござる。
――これほど恵まれた家も、そうそうござらぬ。
最後に、この御方と野球の縁を一言で申そう。
――諦めた道でござる。
だが、憎んでおられぬ。
――いまも、特技として球を挙げておられるのでござるからな。
そして、父君の番号を背負って球場に立たれた。
――これが、この御方の在り方でござろう。
家の話を、公の場でされたことも申しておこう。
――2021年の語りの番組でござる。
そこに、妹御も映りの形で出ておられた。
――兄妹で、同じ番組に出られたのじゃ。
隠す家ではない、ということでござろう。
――開かれた家でござるな。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家の部屋が記念館!?父のユニフォームも飾られてについてのまとめ】
今回は山田裕貴殿について調査してみた!
吾輩は山田裕貴殿に対して、父の背番号を着け、妹に道を教わった勇者でござると思ったんだがお主は山田裕貴殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
山田裕貴「実家の部屋が記念館すぎる」、名古屋の自宅ショット添え“家族の愛”に感謝 父は元プロ野球選手・山田和利氏(オリコン 2024年7月5日/本人のXの投稿)
山田裕貴、“父が元プロ野球選手”隠していた理由は?公表後の宣言が実現(モデルプレス 2024年3月19日/ニッポン放送『山田裕貴のオールナイトニッポンX』3月18日放送)
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