【若月佑美】二科展に8年連続入選!?絵と芝居の二刀流

若月佑美 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、若月佑美殿:二科展に8年連続入選!?絵と芝居の二刀流について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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  • 1994年6月27日、静岡県富士市にて生誕。八つ上の姉と兄がおる。
  • 小学生の頃は行事の実行委員を務め、学級で一番か二番の成績であった。
  • 美術大学を目指し、演劇部と美術部に入りながら絵画教室へ通い、抽象絵画と油絵を描く。
  • 2011年8月21日、乃木坂46の1期生オーディションに合格。
  • 2012年2月22日、1stシングル「ぐるぐるカーテン」のカップリング曲でCDデビュー。
  • 2012年9月5日、『第97回二科展』のデザイン部A部門にて芸能人として初入選。
  • 以後、第104回まで8年連続で入選を重ねる。
  • 2017年11月7日、初の写真集『パレット』を発売。
  • 2018年11月30日、乃木坂46を卒業。12月4日、日本武道館にて卒業セレモニーが開かれる。
  • 2020年4月、事務所ゼストと業務提携。同月から『Oggi』の美容専属モデルを務める。
  • 2021年12月10日、俳優の玉置玲央殿との結婚を発表。
  • 2022年9月、『第106回二科展』にて初の特選賞を受賞し、会友推挙も決まる。
  • 2024年1月21日から、朝日放送テレビ『セレブ男子は手に負えません』にて地上波の連続ドラマ初主演。
  • 2025年8月12日、MotoGP日本グランプリの公式PR大使に就任。
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若月佑美の芸能人として初の二科展入選

若月佑美殿は1994年6月27日の生まれ、静岡県富士市の出にござる。八つ上の姉上と兄上がおられる末っ子であられる。

この御仁、はじめから芸能を目指しておられたわけではない。目指しておられたのは、美術大学でござった。

小学生の頃は行事の実行委員を務め、学級で一番か二番の成績。中学からは演劇部と美術部の両方に入り、そのうえ絵画教室にも通われた。描いておられたのは抽象絵画と油絵じゃ。なかなかに本気でござろう。

ところが高校2年、壁にぶつかられる。進んだ学び舎に腕の立つ者が集まっておってな、その中で自分が埋もれてしまったのじゃ。

ここで、お主らに問いたい。得意なものがあって、それで身を立てようと決めておる。ところがその場に、自分より上手い者がずらりと並んでおった。お主ならどうする?

得意なもので前に出られぬ。これは応えよう。自分の気持ちそのものに疑いを抱き始めた、とご本人が語っておられる。

そこで思い出したのが、小学生の頃に『天才てれびくん』を観てモデルに憧れた昔の自分でござった。

高校2年の夏、若月佑美殿はネットで乃木坂46の1期生オーディションを見つけ、応募される。そして2011年8月21日、見事に合格。審査の場で歌われたのはSONOMIの「一人じゃないのよ」であったという。

若月佑美殿が選ばれたのは、絵を捨てることでも、意地で続けることでもなかった。まったく別の扉を、自分で叩きに行かれたのじゃ。

その一曲の題が「一人じゃないのよ」であったというのも、あとから思えば効いておる。一人で絵と向き合って埋もれた娘が、大勢で立つ場へ移ったのでござるからな。

通っておった学校が芸能の仕事に厳しかったゆえ、静岡の高校から東京の高校へ転校もされておる。ここまで踏み込んだのじゃ。

もっとも、始まりは順風ではない。2011年12月12日には一度活動を自粛しておられ、翌年1月5日に再開しておられる。入って早々につまずいた形でござる。

そして2012年2月22日、1stシングルのカップリング曲でCDデビュー。美術大学を目指しておった娘が、舞台の上に立つ者になった。

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若月佑美の8年連続入選から特選賞へ

ところが、である。この御仁は絵を捨てなんだ。ここが実に良いのじゃ。

デビューから半年余りの2012年9月5日、『第97回二科展』のデザイン部A部門に入選された。しかも芸能人としては初めての入選でござる。

二科展と申せば、百年の歴史を持つ日本でも指折りの公募展でござる。そこへ、アイドルの務めをこなしながら出して、通してしまわれた。

二科展のデザイン部A部門というのは、自由な題やポスターを競う場でござる。つまり絵の腕だけでなく、伝える力そのものが問われる。

アイドルの務めは、暇があるようで無い。歌に踊りに握手の場、雑誌に番組。そのあいだを縫って、公募展に出す作を仕上げておられたということじゃ。

そして、それが一度では終わらなんだ。

第98回、第99回、第100回記念展、第101回、第102回、第103回、第104回。8年続けて入選を重ねておられるのじゃ。

一度きりなら偶然と言う者もおろう。だが八年続けば、それはもう実力でござる。

2015年の第100回記念展にも名を連ねておられるのが、また良い。節目の年に入選しておるというのは、あとから振り返って誇れることでござる。

腕の確かさが分かる逸話もある。2014年9月21日、『乃木坂って、どこ?』の「画王決定戦」なる企画にて、日村勇紀殿をデッサンしてベスト3に選ばれておられる。

乃木坂46の品物の意匠を手掛けたこともあるゆえ、描くだけでなく作る側の仕事もこなしておられたということじゃ。

そして2022年9月、三年ぶりに出された『第106回二科展』にて、初の特選賞を受賞。さらにこれまでの功が認められ、二科展デザイン部の理事会で会友推挙まで決まっておる。

入選から特選賞へ、そして会友へ。十年をかけて、この御仁は絵の世界でも階段を上っておられたのでござる。

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若月佑美の未来予想図-絵と芝居の二刀流

さて、若月佑美殿の現在(いま)である。

2018年11月30日に乃木坂46を卒業。12月4日には日本武道館にて卒業セレモニーが開かれた。地元の静岡朝日テレビでは卒業の特番まで組まれておる。

卒業の折には、地元の静岡朝日テレビで特番まで組まれた。富士市から出た娘が、地元の局に見送られる。良い話でござるな。

2020年4月には事務所ゼストと業務提携し、同じ月から『Oggi』の美容専属モデルに。2021年7月28日発売の同誌では、初の表紙も務めておられる。

私事についても一つ。2021年12月10日、俳優の玉置玲央殿との結婚を発表された。ご本人の発表でござる。

芝居の場でも前に出てこられた。2024年1月21日からの朝日放送テレビ『セレブ男子は手に負えません』にて、地上波の連続ドラマで初主演を務めておられる。

そして近ごろ、また新しい趣味を増やされた。2025年2月に普通自動二輪の免許を取り、オートバイでの遠出を始められたのじゃ。カワサキのエリミネーターを買われたという。

その流れであろうか、2025年8月12日にはMotoGP日本グランプリの公式PR大使にも就任しておられる。好きになったものが、そのまま仕事に化けたわけでござるな。

芝居の腕も認められておる。映画の審査の場で、山下敦弘監督から演技の才を絶賛されたことがあるという。

乃木坂46の頃には、女優の仕事を持つ仲間の台詞合わせを手伝っておられたそうな。白石麻衣殿によれば、舞台の経験が多く頼れる存在であったという。

趣味の多さも、この御仁らしい。意匠、絵画、菓子作り、そして少女漫画の研究。少女漫画は小学3年の頃に姉上の影響で読み始め、上京して一人で過ごす時が増えてから読みあさるようになったのだそうな。

言葉遊びを好む御仁でもある。書き物の締めには「ばいばい」と「わかつき」を掛けた「ばかつき」という言葉を使うておられた。

動画や集いの場も自ら作っておられる。2020年6月27日には自身の集まりの場を開き、同年12月には公式の動画の場も開設された。描く、演じる、書く。そのどれもを自分の手で世に出せる形にしておられるのじゃ。

写真集も二冊出しておられる。2017年11月7日に初の写真集『パレット』、2021年9月8日には二冊目の『アンド チョコレート』。将来の夢は物語性と伝えたいことのある写真集をつくることだという。撮られる側で終わらず、作る側へ回ろうとしておられるのが、いかにもこの御仁らしい。

美術大学を諦め、アイドルになり、それでも絵をやめず、八年続けて入選し、特選賞を取り、いまは主演も務め、バイクで走っておられる。

一つに絞らぬ。それがこの御仁の生き方なのでござろう。この先どの場でお主らの前に現れるか、吾輩も楽しみにしておるぞ。

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今回は若月佑美殿について調査してみた!

吾輩は若月佑美殿に対して、絵をやめずに八年続けて入選し、特選賞まで掴んだ姫、と思ったんだがお主は若月佑美殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

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