巷に騒がれる、竹原ピストル殿:ボクシングの主将から、歌うたいへ。
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1976年、千葉県のお生まれ
- 大学時代の1995年、ボクシング部の主将として全日本選手権に出場される
- 1999年、野狐禅を結成される
- 2003年、野狐禅としてデビュー。六枚のシングルと四枚のアルバムを出される
- 2009年、野狐禅を解散し、ひとりでの活動を始められる
- 年に250本から300本の場に立ちながら、作を重ねられる
- 2014年、野狐禅のデビュー時に所属しておったオフィスオーガスタへ戻られる
- 2014年10月、アルバム『BEST BOUT』を出される
- 2015年11月、アルバム『youth』を出される
- 2016年、映画『永い言い訳』に出演される
- 2017年、第40回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受けられる
- 2017年4月5日、アルバム『PEACE OUT』を出される
【竹原ピストルが語った、ドサ回りの定義】
2017年4月でござる。
アルバム『PEACE OUT』を出された折の取材でな。
竹原ピストル殿が、ドサ回りについて語っておられる。
その定義が、実に細かかった。
「店のマスターやママさんが『竹原ピストルっつーのが歌いに来るから、ちょっと観に来てやってくんないか?』って常連さんに声をかけてどうにか形にしてくれたところで歌うのが僕の中のドサ回りの定義なんです」
……お主、聞かれたか。
客が、己を目当てに来ておらぬ場でござる。
店の主が頭を下げて、常連を呼んでくれた。
そういう場で歌うのが、ドサ回りじゃ。
この御方はそう定めておられる。
そして、そこに立つ心持ちも述べておられる。
「『言われたから来たよ』という感じ」
……言われたから来た。
歌い手からすれば、これほど厳しい客もおるまい。
だがこの御方は、そこを恨んでおられぬ。
むしろ逆でござる。
「野狐禅を解散して1人で回り始めて3年目ぐらいまでずっとそういう環境でやってきたから、また会える会えないはどっちでもいい、それより『来てくれてありがとう!』って気持ちなんです」
……来てくれてありがとう。
また来てくれ、ではないのでござる。
吾輩はここで、少し胸を突かれた。
商いとして考えれば、また来てもらわねば困る。
……この御方は、そこを切り離しておられる。
そして、こうも申されておる。
商いとしては何度も来てほしいが、人と人の間柄からすればそんなのは小さな話だ、と。
至近の場では、どんな小細工も通用せぬ、とも。
小さな店で、目の前に客がおる。
誤魔化しは効かぬ。
……その場を何百と重ねてこられた御方でござる。
年に250本から300本じゃ。
二日に一度以上、どこかで歌うておられる勘定になる。
【恩返しがしたいという葛藤】
だが、この御方はそこに留まる気が無かった。
同じ取材で、葛藤についても述べておられる。
「これを繰り返せばひょっとしたら音楽で食べさせてもらえるのかもしれないけど、そこで留まってしまってはなんの恩返しもできないだろっていう葛藤がすごくあって」
……お主、聞かれたか。
恩返しでござる。
食えるようにはなるかもしれぬ。
だがそれでは、呼んでくれた者に返せぬ、と。
何を返すのか。
その答えが、これじゃ。
「絶対に次のステージ上がって『あの竹原ピストルがこんなになったよ』っていうのを見せられる活躍がしたいっていうのが今の音楽活動における大きな大きなモチベーションなんです」
これを、店の主に言わせたいのでござる。
吾輩は、ここに芯を見た。
恩返しの形が、金でも礼でもない。
出世することじゃ。
あのとき呼んでやった歌うたいが、大きくなった。
そう言える日を作るのが、返し方だと申されておる。
そして、それは叶いつつある。
2016年、映画『永い言い訳』に出演された。
翌2017年、第40回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受けられておる。
歌うたいが、役者として賞を受けたのでござる。
その折の言い方も、この御方らしい。
「演技に関してコメントいただくのは照れ臭いばかりで……」
……照れ臭い。
誇るでもなく、謙るでもなく、照れておられる。
さらに、こう続けておられる。
「制作段階ではまさか役者として賞をいただくなんて知るよしもなかったんですけど、結果的にいい流れになったなとは思っています」
……結果的に、でござる。
狙うて取ったのではない、と申されておるのじゃ。
【未来予想図-次のステージへ上がる御方】
さて、ここからは吾輩の見立てでござる。
竹原ピストル殿という御方は、これから先どう進まれるか。
吾輩は、この御方の芯は勝ち負けの物差しにあると見る。
この御方の来し方を辿ってみようぞ。
1976年、千葉県のお生まれでござる。
大学時代の1995年、ボクシング部の主将として全日本選手権に出ておられる。
……拳で戦うてこられた御方じゃ。
1999年に野狐禅を結成され、2003年にデビュー。
六枚のシングルと四枚のアルバムを出された。
そして2009年、野狐禅を解散される。
そこからは、ひとりでござる。
2014年、野狐禅のデビュー時に所属しておったオフィスオーガスタへ戻られた。
同じ年の10月にアルバム『BEST BOUT』。
2015年11月には『youth』。
2017年4月5日、『PEACE OUT』でござる。
……アルバムの名を並べてみられよ。
『BEST BOUT』とは、最良の一戦という意味じゃ。
拳の場から離れても、言葉は残っておられる。
そして「次のステージ上がって」という言い方もな。
……これは、階級を上げる者の言い方でござる。
この御方は、いまも試合をしておられるのじゃ。
相手は、昨日までの己でござろう。
では、これから何が起きるか。
吾輩の見立てでは、この御方は小さな場を捨てぬ。
名が売れれば、大きな場だけで済むようになる。
……だがこの御方は、ドサ回りを己の定義にしておられる。
定義にしておるものは、手放せぬ。
そしてもう一つ。
恩返しがしたい、と言い続ける者は止まらぬ。
返し終わることが、無いゆえでござる。
年に三百の場で、三百の恩ができる。
……返しても返しても、追いつかぬ勘定じゃ。
この御方が走り続ける理由は、そこにあるのではなかろうか。
恩返しを出世でしようとする御方は、途中で止まれぬ
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【年300本のドサ回り!?恩返しがしたいについてのまとめ】
今回は竹原ピストル殿について調査してみた!
一つ。2017年4月、アルバム『PEACE OUT』の取材にて竹原ピストル殿がドサ回りについて語られた。
二つ。定義は、客が己を目当てに来ておらぬ場。店の主が常連に声をかけて形にしてくれた場でござる。
三つ。「また会える会えないはどっちでもいい、それより『来てくれてありがとう!』って気持ちなんです」
四つ。「そこで留まってしまってはなんの恩返しもできないだろっていう葛藤がすごくあって」
五つ。返し方は「あの竹原ピストルがこんなになったよ」と言わせること。出世が恩返しでござる。
吾輩は竹原ピストル殿に対して、返し終わらぬ御方、と思ったんだがお主は竹原ピストル殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
音楽ナタリー(竹原ピストル「PEACE OUT」インタビュー|不惑にして“惑えず” 歌うたいの覚悟・2017年4月5日)
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