巷に騒がれる、松重豊殿:カメラの前だけが、己の場ではなかった。
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1963年1月19日、長崎県長崎市のお生まれ
- 幼き頃に福岡県福岡市へ移られ、その後は大分県に住まわれる
- 中学の折、博多のバンドの音に影響を受けられる
- 1982年、西南学院高等学校を出て上京。明治大学文学部にて演劇学を専攻される
- 1983年、新宿の小劇場「スペースデン」にて初舞台。東京サンシャインボーイズに参加される
- 1986年、蜷川幸雄殿が主宰する蜷川スタジオに入団。1989年に退団される
- 1992年、黒沢清監督の映画『地獄の警備員』にて警備員の役を演じられる
- 2012年、『孤独のグルメ』の井之頭五郎役にて連続ドラマ初主演
- 2018年、『サンデー毎日』にてエッセイ「演者戯言」の連載を始められる
- 2019年、映画『ヒキタさん! ご懐妊ですよ』にて映画初主演
- 2020年10月24日、初の短編小説「愚者譫言」を含む書籍『空洞のなかみ』を出される
【松重豊が明かした、本でも書くかという思いつき】
2020年10月23日でござる。
めざましmediaの取材でな。
松重豊殿が、初めての著書を出された折の話をしておられる。
そのきっかけが、実にあっさりしておった。
「コロナで世の中が180度変わり、多くの人が仕事を奪われましたが、僕も4月のステイホーム期間中はやることがなく、『本でも書くか』と思い立ってしまって。」
……お主、聞かれたか。
本でも書くかでござる。
しかも「思い立ってしまって」と申されておる。
してしまった、という言い方じゃ。
吾輩はここで、思わず笑うてしもうた。
本を書くというのは、大事でござろう。
だがこの御方は、暇だったから、と言うておられる。
……そして本当に書き上げてしまわれた。
書籍の名は『空洞のなかみ』。
2020年10月24日に世に出ておる。
中には短編の小説「愚者譫言」が入っておる。
京へ撮影に出た役者が、たった三行の台詞が出てこなくなる話じゃ。
……役者が、台詞を失う話でござる。
そこから廃業を考え始め、寺で弥勒菩薩と出会い、己と向き合ってゆく。
吾輩は、この筋書きに立ち止まった。
書くことが暇つぶしであったなら、こんな話は出てこぬ。
台詞が出てこなくなる恐れは、役者にとって最も深い恐れでござろう。
それを主題に据えておられる。
……思いつきで書き始めても、出てくるものは芯からしか出てこぬ。
この御方の芯には、その恐れがあったということじゃ。
そしてもう一つ。
エッセイのほうは「演者戯言」といい、2018年から『サンデー毎日』で連載しておられた。
つまり、書くこと自体は前から続いておったのでござる。
思いつきに見えて、下地はあった。
【60を前にして気づかされたこと】
では、この御方は何に気づかれたのか。
同じ取材で、こう述べておられる。
「今までホントに、カメラの前や劇場の舞台にいることしか考えてなかったんですけど、そうじゃないこともあるかなっていうことに、60を前にして気づかされた感じです。」
……お主、聞かれたか。
1983年に初舞台を踏まれた御方じゃ。
そこから四十年近く、演じることだけを考えてこられた。
1986年には蜷川スタジオに入団され、1989年に退団。
1992年、黒沢清監督の映画『地獄の警備員』にて警備員の役。
2012年、『孤独のグルメ』の井之頭五郎役で連続ドラマ初主演でござる。
……四十九の年での初主演じゃ。
決して早くはない。
だからこそ、演じることしか考えてこられなんだのでござろう。
そして「60を前にして気づかされた」と申される。
気づいた、ではない。気づかされたじゃ。
己から悟ったのではなく、世の変わりに教えられた、という言い方でござる。
そこに、この御方の正直さがある。
そして、この一言が続く。
「『これしかない』っていう生き方も素敵だなと思うんですけども、そこまで自分を追い詰めないで。」
……これしかない、という生き方も素敵。
まず、そう認めておられる。
己が四十年やってきた道でござるからな。
だが、その直後にこう続く。
そこまで自分を追い詰めないで、と。
……これは、誰に向けた言葉であろうか。
吾輩は、若い者に向けた言葉であると同時に、
四十年追い詰めてきた己に向けた言葉でもあると見る。
追い詰めてきた者にしか、この台詞は言えぬのでござる。
【未来予想図-追い詰めぬ御方】
さて、ここからは吾輩の見立てでござる。
松重豊殿という御方は、これから先どう進まれるか。
吾輩は、この御方の芯は逃げ道を持つことを許したところにあると見る。
これしかない、で四十年来られた。
そして六十を前に、そうじゃないこともある、と気づかれた。
……この順序が大事でござる。
はじめから逃げ道を用意しておった者とは、まるで違う。
四十年、逃げ道を持たずに来られた。
その上で、持ってもよいと己に許されたのじゃ。
そして持った逃げ道が、書くことであった。
考えてみられよ。
役者というのは、呼ばれねば始まらぬ仕事でござる。
台本が来て、場が組まれて、初めて立てる。
……書くことは違う。
紙と筆があれば、誰にも呼ばれずとも始められる。
2020年、世が止まったとき、この差が効いた。
呼ばれる仕事が止まっても、呼ばれずにできる仕事が残った。
では、これから何が起きるか。
吾輩の見立てでは、この御方は書き続けられる。
2018年から連載を持ち、2020年に短編を書かれた。
一度書ける体になった者は、やめられぬものでござる。
そしてもう一つ。
吾輩は、この御方の役柄が変わると見る。
書く者は、己を外から見る癖がつくゆえな。
外から見られる役者は、深くなる。
……台詞が出てこなくなる話を書ける御方じゃ。
己の恐れを、紙の上に置けるということでござる。
置いたものは、演じる折に武器になる。
最後に一つ。
「そこまで自分を追い詰めないで」という言葉についてじゃ。
この御方は、追い詰めてこられた。
追い詰めた末に、六十を前にして緩めることを覚えられた。
……緩めた者が弱くなるとは限らぬ。
むしろ、ここからが長いのではなかろうか。
四十年追い詰めた御方が言うゆえ、追い詰めるなという言葉が効く
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【60を前にして気づいた!?本でも書くかとについてのまとめ】
今回は松重豊殿について調査してみた!
一つ。2020年10月23日、松重豊殿が初の著書『空洞のなかみ』を出された折の話をされた。
二つ。きっかけは「4月のステイホーム期間中はやることがなく、『本でも書くか』と思い立ってしまって」
三つ。中身は短編小説「愚者譫言」。役者が三行の台詞を失う話でござる。
四つ。「カメラの前や劇場の舞台にいることしか考えてなかったんですけど…60を前にして気づかされた」
五つ。「『これしかない』っていう生き方も素敵だなと思うんですけども、そこまで自分を追い詰めないで。」
吾輩は松重豊殿に対して、四十年追い詰めた御方、と思ったんだがお主は松重豊殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
めざましmedia(松重豊 初の著書を出版「自分の根幹が揺らぐような世の中になり、改めて仕事の立脚点を振り返ってみようと」・2020年10月23日)
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