巷に騒がれる、本田望結殿:実家の大家族と、一人になって初めて分かったことについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 2004年6月1日、京都府のお生まれ
- 5人きょうだいの三女であられる
- 3歳の頃、フィギュアスケートを始められる
- 4歳で芸の道へ入られる
- 2011年、日本テレビ系『家政婦のミタ』に出演し広く知られる
- その後、上京して一人暮らしを始められる
- 2023年4月、早稲田大学の社会科学部に進学される
- 2024年6月、20歳を迎えた折の動画で両親への手紙を読まれる
- 2025年6月12日、テレビ朝日系『徹子の部屋』にて実家を語られる
【本田望結の実家は京都。5人きょうだいの三女であられる】
「本田望結殿の実家はどこか」と、よう検索されておる。
――答えを先に申そう。京都でござる。そして5人きょうだいの三女であられる。
どういう家であったかは、はっきりしておる。しかも、その分かり方が実に良うござってな。
2025年6月12日、テレビ朝日系『徹子の部屋』でのことでござった。妹御の紗来殿と揃って出られた回じゃ。
当時、妹御は実家で親御と暮らしておられた。……一方この御方は、上京して一人で暮らしておられた。
そこで黒柳徹子殿が、こう問われた。「最初はホームシックで大変だったんですって?」
答えが、正直でござってな。
「はい…。本当に寂しくて、家族が心配するのであまり言っていないんですけど、本当に毎日泣いてました。思い出しても泣けるくらい寂しかったです」
お主、ここが胸に来ぬか。寂しいと言えば、親御が案ずる。……ゆえに、言わずに泣いておられたのでござる。
そして何が一番こたえたか。「ご飯を1人で食べるのがすごくしんどくて」
……七人で囲んでおった膳が、急に一人になる。料理そのものではのうて、囲む相手が消えたのでござるな。
そしてここから、この稿で一番可笑しい話が出てくる。
「1番最初1人暮らしを始めて料理を作った時、間違えて7人前くらい作っちゃって。親子丼を7人前作っちゃいました」
――親子丼を、7人前。
お主、これは笑い話ではござらぬぞ。……手が、家族の人数を覚えておったのでござる。
五人のきょうだいと親御。十数年その数で作られてきた飯を、体がそのまま繰り返した。――大家族の子でなければ、こうはならぬ。
【寝顔を見るためだけに、終電で帰っておられた】
さて、ここからが今宵の見どころでござる。
同じ番組で、黒柳殿がもう一つ踏み込まれた。「皆の寝顔を見るためだけに京都の実家に帰ったりもするんですって?」
その答えが、これでござる。
「妹にはずっと内緒にしていたんですけど、東京で撮影が終わったら終電で関西の方に新幹線で戻って、もちろん皆遅いので寝ているので寝顔を見て、朝始発で京都から東京に戻って来るというのをしていました」
――お主、この道のりを追ってみられよ。
東京で撮りを終える。……その足で、終電の新幹線に乗る。
着く頃には、家の者は皆寝ておる。起こしはせぬ。寝顔を見るだけでござる。
そして翌朝、始発で東京へ戻られる。
……お主、これは会いに行っておるのではござらぬ。居ることを確かめに行っておられるのじゃ。
しかも、妹御には内緒にしておられた。……知られれば、心配されるゆえでござろう。
先ほどの「家族が心配するのであまり言っていない」と、同じ形でござるな。この御方は、寂しさをいつも一人で処理しておられる。
そして黒柳殿が「それだけでもホームシックは随分解消される?」と問われると、この御方は大きく頷いてこう答えられた。
「解消されてました!」
――それで、解消される。
話もせぬ。触れもせぬ。ただ寝顔を見るだけでござる。……それで足りるというのが、この家の強さでござろうよ。
吾輩は、新幹線の窓を思い浮かべたわ。行きも帰りも、外は真っ暗でござる。……その暗い往復を、幾度もされたのじゃ。
【未来予想図-思い描いていた家族像とは違うかもしれぬ】
では、この御方はこの家をどう見ておられるか。――ここに、この稿で一番重い言葉がござる。
2024年6月1日、この御方は20歳を迎えられた。その折、自らの動画で両親への手紙を読んでおられる。
書き出しは「お母さん・お父さん、三女、20歳になりました」。
そして初めて親御と酒を酌み交わし、「2人と初めて乾杯した味を忘れることはないでしょう」と書かれた。
だが、この手紙の芯は次の一節でござる。
「さかのぼること17年前」「私が芸能の世界に興味を持ったことで、2人がまだカップルだった頃、結婚を決めていた頃、思い描いていた家族像とは違っているかもしれません」
お主、これは二十の娘御が書く言葉でござろうか。
三つで氷に乗り、四つで芸の道へ入られた。
それを、この御方は覚えておられるのでござる。そして「あなた方が思い描いた家とは違うかもしれぬ」と、自ら口にされた。
……謝ってはおらぬ。だが、分かっておられる。
そのうえで、こう続けられる。
「いつかお母さんになれた時、誰かのことをパパと思えた時、2人への新しい感謝にどんどん気づけると思います」
――いつか気づける。いまは全部は分からぬ、と正直に言うておられるのじゃ。
そして「泣きたくないねん」と言いながら涙をこぼし、最後にこう結ばれた。
「何度生まれ変わっても、私はパパとママの子どもになりたいです」
ゆえに吾輩は、こう見立てる。この御方は、家に借りがあると思うておられる。そして、それを返そうとしておられる。
終電で帰って寝顔を見て始発で戻るのも、寂しいと言わずに一人で泣いておられたのも、……同じ一つの心から出ておるのではなかろうか。
親子丼を七人前つくってしもうた手と、「何度生まれ変わっても」と書いた手は、同じ手でござる。……それだけで、吾輩には十分でござるよ。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は京都!?親子丼を間違えて7人前つくったについてのまとめ】
今回は本田望結殿について調査してみた!
一つ。本田望結殿の実家は京都で、5人きょうだいの三女であられる。
二つ。上京して一人暮らしを始めた頃は「本当に毎日泣いてました。思い出しても泣けるくらい寂しかったです」。だが「家族が心配するのであまり言っていない」という。
三つ。一番こたえたのは「ご飯を1人で食べるのがすごくしんどくて」。
四つ。初めて一人で料理をした折、「親子丼を7人前作っちゃいました」。手が家族の数を覚えておった。
五つ。寝顔を見るためだけに、終電で京都へ帰り、始発で東京へ戻っておられた。妹御には内緒にしておられたそうな。
六つ。20歳の手紙では「思い描いていた家族像とは違っているかもしれません」と綴られた。
七つ。締めくくりは「何度生まれ変わっても、私はパパとママの子どもになりたいです」。
吾輩は本田望結殿に対して、手が家族の数を覚えておった御方。寂しいとは言わず、寝顔だけ見に帰る、と思ったんだがお主は本田望結殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
モデルプレス(本田望結「寝顔を見るためだけに」終電で京都の実家に帰省&始発で東京へ「思い出しても泣けるくらい寂しかったです」・2025年6月12日/テレビ朝日系『徹子の部屋』同日放送)
オリコンニュース(20歳本田望結、両親への手紙に反響 子役から回顧「何度生まれ変わっても…」涙こぼれ…ファン感涙・2024年6月15日)
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