巷に騒がれる、丸山礼殿:生まれ育った町と、上京を決めた折の親御の言葉について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1997年4月1日、北海道北見市のお生まれ
- 小学の頃は家計が苦しく、保健室に通う日々を過ごされた
- 保健室の先生に憧れ、その道を志しておられた
- 高校2年の折、ものまねの番組の選考を受けられる
- 同じ頃、いまの事務所にも応募しておられた
- 高校3年の夏、事務所から電話を受けられる
- 女性芸人の選考『オモ女グランプリ』にて最優秀賞を受けられた
- 養成所を出ると同時に、芸歴0ヶ月で『PON!』の曜日の常連となられる
- 2026年、連続テレビ小説『風、薫る』にて中山マツを演じられる
- 2026年5月31日、地元の北見市にて同じ作のトークショーに出られた
【丸山礼の実家は北海道の北見でござる】
「丸山礼殿の実家はどこか」――これを調べに来られた御方へ、先に答えを出しておこう。
北海道の北見市でござる。
1997年4月1日のお生まれじゃ。
――道東の、冬の冷えることで知られた町でござるな。
そして2026年5月31日、この御方はその北見に帰っておられる。
連続テレビ小説『風、薫る』のトークショーが、地元の大学で開かれたのじゃ。
その席で、こう述べておられる。
「たくさんのお客様に集まっていただけて、地元ということで懐かしいお顔も見ることができましたし、その人たちのおかげで今の自分があるのだと思いました」
――「その人たちのおかげで今の自分がある」でござる。
お主、ここを軽く読んではならぬ。
地元に礼を言う御方は多い。だがこの一言には、裏がござってな。
この御方が語っておられる子の頃の暮らしが、平らかなものではなかったのじゃ。
2019年3月23日に出た取材にて、こう明かしておられる。
「小さい頃、小学生くらいの時は、家計がすごく苦しくて、ズドーンと落ち込むことが何度もあったんです」
そして、こう続く。
「貧乏コンプレックスが強くて、周りの子とかともすごく比べちゃうんですよね」
――正直な言葉でござる。
比べてしまう、と言うておられる。比べぬようにしていた、ではない。
さらに、こうも述べておられる。
「このにぎやかな性格を良く思わない人も多くて『うるさい』とよく言われたり、クラスの子とも馴染めなくて『学校行きたくない』と思っていた時があって、そういう時はいつも保健室に行っていました」
――いまの明るい芸を知る御方には、意外に映ろう。
そして、この保健室が後の道を決めることになる。
そこの先生が、こう言うてくださったという。
「そんなに落ち込む必要ない。自分のいいところをどんどん伸ばして行きなさい」
この一言に救われ、この御方は保健室の先生になりたいと思うようになられた。
「私はもともと芸人になりたかったわけではないんです。保健室の先生になりたくて」
――そう、この御方の初めの志は、芸ではのうて学び舎であった。
【17歳の夏、親御が言うた一言】
さて、その志がどう曲がったか。
高校2年の折、この御方はものまねの番組の選考を受けておられる。
だが音沙汰が無く、諦めて「教育大に行こうかな」と進学を考えておられた。
――ここで終わっておれば、いまの丸山礼殿はおらぬ。
ところが高校3年の夏、いきなり電話がかかってきた。
身に覚えが無く「何の電話?」と思われたそうな。
実は高2の折、いまの事務所にも応募しておられたのじゃ。
そして女性芸人の選考を勧められ、出てみたら最優秀賞であった。
――17歳の夏に、道が二つに割れたわけでござる。
保健室の先生か、芸の道か。
そして、ここでこの稿の柱が出てくる。
親御が、こう言われたのじゃ。
「いろいろあなたには我慢させてたから、やりたいことやっていいよ」
お主、この一言をよう噛みしめられよ。
「いろいろあなたには我慢させてたから」――でござる。
苦しい暮らしを、親御のほうが覚えておられた。
そして詫びるかわりに、行かせるという形で返された。
――泣かせるではないか。
この御方も、すんなり決めたのではござらぬ。
「本当に悩んで、親や身内にも泣きながら話したんですが、分かってくれて、それで上京することになりました」
泣きながら話した、とある。
――家を出るというのは、そういうことでござろう。
そして上京の後が、また楽ではなかった。
養成所を出ると同時に、芸歴0ヶ月で番組の常連となられたのじゃ。
華々しく聞こえるが、本人の言葉はこうでござる。
「正直、以前は事あるごとに母親に『実家に帰りたい』と連絡していました。それくらい本当にしんどかったですね」
――実家に帰りたい、でござる。
そして落ち込んだ日の立ち直り方が、これじゃ。
「沢山ご飯食べて、沢山寝て、母親にLINEして『大丈夫、ちょっとずつ進んでるよ』と言ってもらって、やっとそこで元気が出ます」
【未来予想図-帰る家があるという強さ】
問いに、答えをまとめておこう。
――丸山礼殿の実家は、北海道の北見市でござる。
小学の頃は家計が苦しく、保健室に通う日々を過ごされた。
17歳の夏、親御の「やりたいことやっていいよ」で上京を決められた。
そしていまも、しんどい日には母上に連絡をしておられる。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方の強みは、帰る家があると分かっていることではなかろうか。
考えてもみられよ。
「実家に帰りたい」と親に言える者は、案外少ない。
――言えば心配をかける、と黙る者のほうが多いのじゃ。
この御方は、言うておられる。しかも何度も。
そして母上は止めもせず、責めもせず、「大丈夫」と返される。
帰ってこいとも、頑張れとも言うておられぬ。
――ただ、進んでおるよ、と。
この返し方が、この一族の形とみた。
そしてもう一つ。
苦しい暮らしを知っておる者は、人の弱ったところが見える。
保健室に通うておった子が、いま画面の向こうで人を笑わせておるのじゃ。
――元気のない子を、おしゃべりで笑顔にしたい。それが初めの志であった。
形は変わったが、やっておることは同じではなかろうか。
だから2026年、地元に立って「その人たちのおかげ」と言えたのでござろう。
帰りたいと言える家がある者は、遠くまで行ける。逃げ道ではのうて、綱でござる
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は北海道北見!?母の一言で決めた17歳についてのまとめ】
今回は丸山礼殿について調査してみた!
一つ。丸山礼殿の実家は北海道北見市で、1997年4月1日のお生まれでござる。
二つ。小学の頃について「家計がすごく苦しくて、ズドーンと落ち込むことが何度もあったんです」と語っておられる。
三つ。学校に馴染めず保健室に通い、そこの先生の言葉から保健室の先生を志しておられた。
四つ。17歳の夏、親御の「いろいろあなたには我慢させてたから、やりたいことやっていいよ」で上京を決められた。
五つ。いまも「実家に帰りたい」と母上に連絡し、「大丈夫、ちょっとずつ進んでるよ」と言うてもらって元気を出しておられるという。
吾輩は丸山礼殿に対して、帰りたいと言える家を持っておられる、と思ったんだがお主は丸山礼殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
モデルプレス(丸山礼、芸人とYouTuber両立で若者から支持
MANTANWEB(丸山礼:「風、薫る」撮影は「とても奥深い経験」
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