巷に騒がれる、川後陽菜殿:仲間を飾る側に回られた話と、今も続けておられる新しい仕事について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1998年3月22日、福岡県のお生まれ。育ちは長崎県西海市
- 学生の頃は空手と剣道を習っておられた
- 別の名にて少女の一座の一員として世に出られる
- 2011年、乃木坂46の一期生の選考に受かられる
- 同年、本名にて活動することを告げられる
- 2013年、七枚目の盤にて初めて選ばれる
- 2014年、雑誌にて仲間を飾る連載を始められる
- 2015年、少女向けの雑誌の専属の模特となられる
- 2018年、乃木坂46を卒業される
- 2019年、催しの選考の委員を務められる
- 2021年、映像の一座と歌の組に加わられる
- 2023年、自らの名を冠した組と装いの店の差配を続けておられる
【福岡に生まれ、長崎に育つ】

巷で川後陽菜殿と申せば、乃木坂46の一期生であった御仁でござる。
だがお主、この御仁が人を飾る側に回った者であることを存じておるか。
1998年3月22日、福岡県のお生まれ。そして育ちは長崎県西海市でござった。
学生の頃に習っておられたのが、これがまた意外でのう。
――空手と剣道じゃ。
武の道でござるよ。――吾輩、これを知って親近感が湧いたわ。
そしてこの御仁、乃木坂46が最初ではない。
別の名を用いて、少女の一座の一員として既に世へ出ておられた。
――つまり下地がある方なのじゃ。
2011年8月21日、乃木坂46の一期生の選考に受かられる。
――ちなみにこの日は、先ほど語った深川麻衣殿と同じ日でござる。
同じ年の9月22日、この一座は本名で活動するのが決まりであったがゆえ、本名にて活動することを告げられた。
――ここから、この名で世に知られていくのじゃ。
2013年11月27日、七枚目の盤にて初めて選ばれた側に入られる。
――一期生として、確かに歩んでこられた。
この御仁の名について、少し触れておこうかのう。
もともとは別の読みの名を用いておられた。
だが乃木坂46は本名で活動するのが決まりであったがゆえ、選考に受かったあと、本名にて活動することを告げられたのじゃ。
――途中で名が変わるというのは、なかなか珍しい話でござる。
そして育たれたのが長崎県西海市。
――海に囲まれた土地でござるな。
空手と剣道を習っておられたという話と合わせると、なかなか芯の強い育ち方をされたように吾輩には見える。
――踊りや歌の稽古ではなく、武の稽古じゃ。
ちなみにこの御仁、同じ一座の中でも仲の良い者が多かったという。
――人と人を繋ぐのが上手い方なのじゃろう。
【川後Pと呼ばれた御仁】

さて、この御仁が面白いのはここからでござる。
2014年10月10日、ある雑誌にて連載が始まった。
その中身が仲間を飾ることじゃ。
同じ一座の者に装いを見立て、髪を整え、写真に収める。――つまり飾られる側から、飾る側に回られたのじゃ。
――お主、これは珍しいことでござるぞ。
人前に立つ者というのは、普通は飾られる側に留まるものじゃ。
それを自ら飾る側へ回り、しかもそれを連載として続けられた。
この連載ゆえに、この御仁は「川後P」と呼ばれるようになった。
Pとは、まとめ役という意味合いでござろう。
――愛称が仕事の名から来ておる。良いではないか。
そしてこの連載、生半可なものではなかった。
最後となった2018年12月発売の号では、これまでの再録も含めて百二十四頁にわたる特集が組まれておる。
――百二十四頁でござるぞ。
一つの連載に、それだけの頁を割いてもらえる。これは支持があればこその話じゃ。
その一方で2015年からは、少女向けの雑誌の専属の模特も務めておられる。
――飾る側と、飾られる側。両方じゃ。
この模特は2018年10月発売の号をもって卒業された。
そして2018年11月22日、自らの日誌にて乃木坂46からの卒業を告げられる。
同年12月16日には卒業を記念した語りの催しを開かれ、同じ年に卒業しておった深川麻衣殿が客人として出ておられる。
――同期の縁でござるな。
12月20日、東京の会場での催しをもって卒業された。
――七年余りの歩みでござった。
この連載がどれほどのものであったか、もう少し語らせてもらおう。
普通、一座の中の一人が他の者を飾るという企ては、そう長くは続かぬものじゃ。
――飽きられるからのう。
だがこの連載は四年余りも続いた。
2014年の秋に始まり、2018年の暮れまでじゃ。
そして最後の号では百二十四頁の特集。
――これはもう、一つの仕事として認められておったということでござる。
しかもこの間、この御仁自身も少女向けの雑誌の専属の模特を務めておられた。
――飾る側と飾られる側を、同時にでござるぞ。
両方をやると、見え方が変わるものじゃ。
飾られる側の気持ちが分かるからこそ、飾る側に回ったときに手加減が効く。
――これは、両方やった者にしか身につかぬ技でござる。
【未来予想図-自ら立てた旗】

さて、ここからが今のこの御仁でござる。
卒業の翌年、2019年2月10日には長崎の灯りの催しに皇后の役として参加された。
――育たれた長崎からのお呼びでござる。
同じ年の4月9日には、ある出版の会社が催す選考の選ぶ側の委員を務められた。
翌年の回でも同じく委員を務めておられる。
――ここでもまた、選ばれる側から選ぶ側へ回っておられる。
面白いことに、この御仁は在籍しておられた頃にもこの選考について番組で語っておられたという。
――好きなものを、ちゃんと仕事にされたのじゃ。
2021年4月には映像の一座に加わることを告げられ、同じ年の11月には歌の組に入られた。
そして12月22日、一枚の盤にて再び世へ出られておる。
――一度離れた場所へ、形を変えて戻ってこられた。
その組は2023年に幕を下ろすこととなり、この御仁も同年7月に離れておられる。
だがそこで止まってはおられぬ。
自らの名を冠した組での活動と、装いの店の差配は続けると告げられた。
そして同じ年の9月27日には、その組として新しい一曲を世に出しておられる。
――止まらぬ方でござる。
飾られる側から、飾る側へ。
選ばれる側から、選ぶ側へ。
そして今は、自ら旗を立てる側へ。
――この御仁の歩みは、一貫しておる。
常に一段ずつ、作る側へ回ってこられたのじゃ。
この先この御仁がどこへ進まれるか、吾輩には分からぬ。
だが装いの店を持ち、組を持ち、そして人を見立てる目を持っておられる。
――道具は、既に揃っておるのじゃ。
空手と剣道で鍛えた芯もある。――吾輩、この御仁の先が楽しみでござる。
吾輩がこの御仁を面白いと思うのは、その立ち位置の移り方でござる。
一座の一員として飾られる側から始まり、連載にて飾る側へ回られた。
模特として選ばれる側であった方が、催しの選考にて選ぶ側へ回られた。
そして今は、組を持ち、店を持ち、自ら旗を立てる側におられる。
――一段ずつ、作る側へ上がってこられた。
これは、狙ってできることではない。
その場その場で好きなことに手を伸ばし続けた結果、気づけばこうなっておったのではないかと吾輩は思う。
――好きこそものの上手なれ、でござるな。
組が幕を下ろしたときも、この御仁は次にやることをその場で告げておられる。
――止まらぬ。振り返らぬ。前だけを見ておられる。
この構えがある限り、この御仁は何度でも新しい場を作られよう。
最後に一つ、吾輩が良いと思った話を添えておこう。
卒業を記念した語りの催しに、同じ年に卒業しておった同期の御仁を客人として呼んでおられる。
――そしてその同期の方に、この御仁は愛称を贈っておられるのじゃ。
「聖母」という名でござる。
――人に名を贈る。これもまた、飾る仕事じゃ。
人を見て、その人らしい言葉を見つけ、贈る。
この御仁は、ずっとそれをやってこられたのでござる。
――だから連載も四年続いた。
――だから選ぶ側にも呼ばれた。
人を見る目。これがこの御仁の武器でござろう。
そして武の稽古で培われた芯がある。
空手と剣道を習うておった子が、人を飾る仕事に辿り着く。
――一見すると繋がらぬ話じゃ。
だが吾輩は思うのじゃ。
武の道というのは、相手をよく見ることから始まるものでござる。
――相手の構えを見て、間合いを測る。
人を飾る仕事も、まさに同じではないか。
その人をよく見て、似合うものを見つけて差し出す。
――根は同じでござるよ。
そう考えると、この御仁の歩みは何一つ無駄がないように吾輩には見えるのじゃ。
――お主も、己の来し方を振り返ってみよ。
無駄に見えておった稽古が、思わぬところで効いてくるものでござるぞ。
【仲間を飾る側へ!?川後Pと呼ばれた御仁についてのまとめ】
今回は川後陽菜殿について調査してみた!
吾輩は川後陽菜殿に対して、仲間を飾る側に回り、川後Pと呼ばれた歩みと思ったんだがお主は川後陽菜殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
関連記事



