巷に騒がれる、吉田仁人殿:鹿児島の実家から毎週末ひとりで東京へ通われた中学の頃のことについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1999年12月15日、鹿児島県霧島市のお生まれ
- 四つの齢より踊りを習い始められた
- 2011年、小学六年でEBiDANの審査に受かり入所される
- 中学二年の頃より、毎週末ひとりで東京へ通われるようになった
- 2014年11月24日、M!LKの結成の一員となられた
- 2015年3月25日、M!LKとしてCDにて世に出られる
- 2021年11月24日、M!LKとして大手からCDを出された
- 2023年4月、文化放送『レコメン!』木曜の顔を務められる
- 2025年、「イイじゃん」が日本レコード大賞の優秀作品賞を受けた
- 2025年、M!LKとして紅白歌合戦に初めて出られる
- 2025年12月22日、雑誌『JUNON』2月号にて実家の正月を語られる
- 2026年4月21日、フジテレビ系『ぽかぽか』にて中学の頃の往復を語られる
- 2026年7月17日、鹿児島県「薩摩大使」と霧島市「おじゃんせ霧島大使」に就任
【実家は鹿児島県霧島市-毎週末ひとりで東京へ】
「吉田仁人殿の実家はどこか」——これを調べに来られた御方へ。
答えを先に申しておこう。
――鹿児島県霧島市でござる。
これは噂ではない。この御方が県と市の大使に任じられた折の報せに、はっきり「鹿児島県霧島市出身」と記されておる。
さて、ここからが本題じゃ。
その実家と東京の間で、この御方はとんでもないことをしておられた。
2026年4月21日、フジテレビ系『ぽかぽか』という番組でな。
同じグループの曽野舜太殿と二人で出られ、下積みの頃を語られた。
その中身が、これでござる。
「中学2年生ぐらいからグループの活動やレッスンなどが多くなってきたので、中学3年生の半分ぐらい…1年半ぐらいですかね、毎週末東京に1人で通うっていうのをやってて」
……お主、聞かれたか。
毎週末。ひとりで。鹿児島から東京へ。
しかも中学二年から、およそ一年半でござる。
共演の方々からは驚きの声が上がったという。……そうであろう。
そして、その道行きがこれじゃ。
「よくよく考えると、1人で東京駅まで行って、シャトルバスに乗って空港の近くまで行って、ホテル泊まって…みたいなのを全部やってたんですけど」
……全部、ひとりで。
十三、十四の齢でござるぞ。
宿を取り、乗り換え、荷を持ち、時を計る。
……大人でも面倒なことを、中学生が毎週やっておられたのじゃ。
だが、吾輩がいちばん唸ったのはこの後の一言でござった。
「で、7時の飛行機とかで(鹿児島に)戻って、月曜日に朝、遅刻していくみたいな、学校に…」
……遅刻していく、でござる。
つまり、日曜の夜に鹿児島へ帰り、そのまま月曜の学校へ向かわれた。
間に合わぬのを承知で、それでも行っておられたのじゃな。
休むという手もあったはずでござる。
――だが、行っておられた。
ちなみに、共に出られた曽野殿も三重から片道四時間かけて通われ、高校の三年で動いた道のりは「地球3周半分」であったという。
……このグループは、そういう者ばかり集まっておるのう。
【正月は典型的な寝正月であられた】
さて、その実家での過ごしようも、この御方は語っておられる。
2025年12月、雑誌『JUNON』の特集でな。
相手は塩崎太智殿。事務所に入られた日が同じ、同期のお二人でござる。
話は子どもの頃の正月に及んだ。
塩崎家は雪山へ滑りに行かれる家であったという。
対してこの御方はこう答えられた。
「うちの実家は、典型的な寝正月。初詣も行かないかな」
……寝正月でござる。
しかも初詣にも行かぬ。
吾輩はここで、思わず膝を打ってしもうた。
毎週末ひとりで飛行機に乗っておられた御方の家が、寝正月なのじゃ。
……外では走り、家では寝る。良い釣り合いではござらぬか。
そして、その正月に何をしておられたか。
「僕は餅ばっかり食べてた」
……餅ばっかり。
ついでに、おせちはどうかと問われての答えがこれでござる。
「食べない。牛丼屋も閉まってるから、スーパーでお総菜を買ったり。何年か前のお正月は8年分ぐらいの『ガキ使』を配信で一気見して、正月気分を味わったよ(笑)」
……八年分でござるぞ。
おせちの代わりに総菜、初詣の代わりに笑い番組の一気見。
――これを正月気分と呼ばれた。
吾輩はこの正直さが、たいそう好きでござる。
格好のつく答えを並べようと思えば、いくらでもできたはずじゃ。
だがこの御方は、寝正月と餅と総菜をそのまま出された。
【未来予想図-故郷を背負うと言われた御方】
さて、ここからは吾輩の見立てを述べようぞ。
この御方は2026年7月、故郷から二つの役を授かっておられる。
――鹿児島県の「薩摩大使」と、霧島市の「おじゃんせ霧島大使」でござる。
その折の言葉が、これじゃ。
「芸能活動を通していつか故郷に錦を…と思い、これまで活動をしていたのですが」
……いつか故郷に錦を、でござる。
ここで、話が繋がるのでござるよ。
中学の頃、この御方は毎週末ひとりで飛行機に乗っておられた。
月曜には遅れて学校へ入っておられた。
――あれは、故郷を出るための往復ではなかったのじゃな。
出て行くためなら、片道でよい。
だがこの御方は、毎週帰っておられた。
そして今、こう言われる。
「これからはより一層鹿児島県、そして生まれの地・霧島市を背負って、日々精進していきます!!」
……背負って、でござる。
置いてきたものを背負うことはできぬ。
毎週帰り続けた御方だからこそ、背負うと言えるのじゃ。
この先もおそらく、この調子でござろう。
遠いところへ行かれても、根はあの家に置いたままでな。
――そういう御方だというのが吾輩の見立てでござる。
さても、良い話でござった。
寝正月の家から毎週飛び立った少年が、いま故郷の看板を背負っておられる。
……こういう筋書きは、なかなか作れぬものでござるよ。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は霧島!?中学から毎週末ひとりで上京についてのまとめ】
今回は吉田仁人殿について調査してみた!
実家は鹿児島県霧島市。県と市の大使に任じられた折の報せに「鹿児島県霧島市出身」と明記されておる。
2026年4月21日のフジテレビ系『ぽかぽか』にて、中学2年の頃から約1年半、毎週末ひとりで鹿児島から東京へ通っておられたと明かされた。
「1人で東京駅まで行って、シャトルバスに乗って空港の近くまで行って、ホテル泊まって…みたいなのを全部やってた」といい、「7時の飛行機とかで戻って、月曜日に朝、遅刻していく」という日々であったそうじゃ。
共に出られた曽野舜太殿も三重から片道4時間。高校の三年で動いた道のりは「地球3周半分」であったという。
実家の正月については「うちの実家は、典型的な寝正月。初詣も行かないかな」「僕は餅ばっかり食べてた」と語られた。おせちは「食べない」そうで、「8年分ぐらいの『ガキ使』を配信で一気見して、正月気分を味わった」年もあったという。
2026年7月には鹿児島県「薩摩大使」と霧島市「おじゃんせ霧島大使」にW就任され、「生まれの地・霧島市を背負って、日々精進していきます」と述べておられる。
吾輩は吉田仁人殿に対して、毎週帰り続けたゆえに、背負うと言える御方、と思ったんだがお主は吉田仁人殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
オリコンニュース(M!LK吉田仁人、中学時代は毎週飛行機で鹿児島と東京を往復していた 驚きのスケジュールも明かす・2026年4月23日)
オリコンニュース(M!LK“同期コンビ”塩崎太智&吉田仁人、正月事情告白「プラスのままで東京に帰る」・2025年12月19日)
オリコンニュース(M!LK・吉田仁人、鹿児島県“薩摩大使”霧島市“おじゃんせ霧島大使”W就任・2026年7月17日)
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