巷に騒がれる、布袋寅泰殿:出自について本人が自著で明かされたことと、高崎の少年期について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1962年2月1日、群馬県高崎市江木町のお生まれ
- 幼き頃より、ピアノを習うておられた
- 小学五年の折、トランペットの鼓隊にも入られた
- 小学の高学年では、エレクトーンも習われた
- その発表の場が、群馬音楽センターであった
- 後に己の催しでも、その場を使うておられる
- 小学では、児童会長を務められたという
- 坊主頭を避けるため、私立の学び舎へ進まれた
- 14歳の折、従姉の家で西洋の楽に触れられる
- 同じ頃、あるミュージシャンの貼り紙を見て感じ入られた
- そして、ギターを手にされたのでござる
- 中学三年の折、先輩に声を掛けられグループに加わられた
【出自について、本人が自著で明かしておられる】
「布袋寅泰殿はハーフなのか」と、よう検索されておる。
――この問いには、本人が答えておられる。
先に断っておく。ここに書くのは、本人が自ら明かした範囲だけでござる。周りが取り沙汰したことは書かぬ。
2006年、この御方は自著『秘密』を世に出された。その中で、父君が韓国の御方であることを明かしておられる。
――ご自身の口から、書物という形で述べられたのじゃ。
そして母上は、北海道余市町のお生まれで樺太の育ちであられる。日本とロシアの血を引かれ、国籍は日本でござった。
――つまりこの御方の根は、いくつもの土地に跨っておる。
お主、ここが肝要でござってな。
この御方は、それを重荷としてではなく、己の芯として語っておられる。
映画『新・仁義なき戦い』に出られた折、その訳をこう述べておられる。
「彼の生い立ちと同じく、僕も父親が韓国人で、アウトサイダーとして生きざるを得なかった」
――「アウトサイダー」でござる。
外の者として生きるほかなかった、と。
だが、その先が良いのでござる。この御方は、そこから逃げるのではなく役として引き受けておられる。
――同じ生い立ちの男を演じる理由に、己の生い立ちを挙げられたのじゃ。
そして思い出していただきたい。この御方は五十の齢で日ノ本を出て、ロンドンへ移られた。
英国では無名から出直され、地下鉄でオーディションに通われたという。
――また、外の者から始められたわけでござる。
外の者として生きるほかなかった少年が、五十を過ぎて自ら外の者になりに行かれた。
――吾輩は、ここに一本の筋を見た。
根がどこにあるかを、この御方は隠しておられぬ。隠さぬどころか、それを土台にして海を渡っておられるのでござる。
【楽の音に囲まれた少年期】
巷で布袋寅泰殿と申せば、あの背丈と、稲妻の如きギターの音で知らぬ者はおるまい。
1962年2月1日、群馬県高崎市江木町のお生まれ。
――いまや、世界に名を轟かせるギターの名手でござる。
だが今宵、吾輩が語りたいのは少年の頃の話でござる。
――ギターを手にされるまでの、日々でござる。
さて、まず申しておかねばならぬことがござる。
この御仁は、幼き頃より楽の音に囲まれておられた。
――ピアノを、習うておられたのでござる。
お主、意外でござろう。
――ギターから始まったのでは、ないのじゃ。
そして母上は、西洋の映画の調べを好まれた。
――南米の舞の調べも、好んで聴かれたという。
その求めに応じて、この御仁が弾かれた。
――お主、なんとも良き光景でござるな。
さらに父君も、楽を好まれた。
――交響の調べを、中心に聴いておられたとか。
つまり、家中が楽の音に満ちておったのでござる。
――これは、恵まれた育ちでござろう。
さて、この御仁はピアノだけに留まらぬ。
――小学五年の折、トランペットの鼓隊にも入られた。
そして高学年では、エレクトーンも習われた。
――お主、次から次へと手を出されるな。
そしてその発表の場が、群馬音楽センターであった。
――ここが、後に効いてくるのでござる。
後年、この御仁は己の催しでもこの場を使われた。
――グループの催しでも、独りの催しでもでござる。
お主、これは胸が熱くなる話でござるな。
――子の頃に立った舞台に、大人になって戻られたのじゃ。
さて、この御仁は小学で児童会長も務められた。
――お主、意外でござろう。
後の風貌からは、想像もつかぬ。
――だが、人をまとめる力はあったのでござろう。
そして海外へ学びに出る話も挙がったという。
――お主、そういう子であられたのじゃ。
さらに装いにも、幼き頃から拘りがあった。
――小学六年で、髪を長くしておられたとか。
そして裾の広がった衣を履いておられたという。
――お主、小学六年でござるぞ。
なんとも、早熟な少年でござったな。
――既に、己の型を持っておられたのじゃ。
さて、ピアノを習うておられた頃の話を今一度。
――母上の求めに応じて、弾いておられたという。
つまり、聴き手がおったのでござる。
――これは、大きなことでござるぞ。
人に聴かせるという経験は、
――後の舞台に、必ず効いてくるのでござる。
そしてトランペットの鼓隊では、皆と合わせることを覚えられた。
――グループで音を出すということでござるな。
お主、全て繋がっておるのじゃ。
――少年期の全てが、後の糧となっておる。
さて、群馬音楽センターの話を今一度。
――子の頃、そこで発表の場に立たれた。
そして大人になり、同じ舞台に立たれた。
――しかも、満場の客を前にでござる。
お主、これほど痛快な話もござるまい。
――同じ床板を、踏まれたのでござる。
【14歳でギターを手にされる】
さて、ここからが今宵の肝でござる。
――14歳の折のことでござった。
この御仁は、釜石に住む従姉の家を訪ねられた。
――そこで、西洋の楽に触れられたのでござる。
そして同じ頃、あるミュージシャンの貼り紙を目にされる。
――その姿に、感じ入られたという。
そして、ギターを手にされた。
――ここが、全ての始まりでござる。
さて、初めて買われたギターはいかなるものか。
――よく知られた形の、エレキギターでござった。
そしてその銭の出所が、また可笑しい。
――母上の財布から失敬した一万両であったと、自ら明かしておられる。
お主、これは叱られるところでござるな。
――だが、そこから世界へ行かれたのでござる。
母上も、後に許されたであろう。
――いや、許すどころではござるまいな。
そして初めて弾かれたのは、
――あの、ディープ・パープル「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の出だしでござった。
ギターを習う者が、必ず通る道でござるな。
――この御仁も、そこから始められたのじゃ。
さて、中学の頃のこの御仁は冷めておられた。
――勉学には、身が入らなんだという。
毬のチームにも、サッカー部にも入られた。
――だが、闘う気が湧かず辞められたとか。
そしてご本人は、こう振り返っておられる。
――何にも興味が持てなんだ日々であったと。
だが、ギターだけは違うた。
――お主、これが出会いというものでござる。
さて、初めて買われた盤も申しておこう。
――イギリスの名高き三人のグループの盤であったという。
そしてもう一つは、あの四人組の盤でござった。
――赤き表紙の、名高き選りすぐりでござるな。
お主、良き選びでござるな。
――十四で、この選びは大したものじゃ。
そしてギターを手にしてからは、日々が変わった。
――何にも興味の湧かなんだ少年が、でござる。
一つのものに出会うと、人は変わるのでござる。
――お主、これは希望のある話でござるな。
さて、母上の財布から銭を失敬した話でござるが、
――これは、褒められた話ではござらぬな。
だがご本人が、自ら明かしておられる。
――隠さぬところが、この御仁らしい。
そしてその一万両が、世界へ繋がった。
――お主、これほど値打ちのある一万両もござるまい。
母上も、後には誇りに思われたであろう。
――いや、間違いなくそうでござろうな。
さて、14歳という年について考えてみようぞ。
――何者にもなれる年でござる。
そしてこの御仁は、そこでギターに出会われた。
――お主、これが人生を決めたのじゃ。
もし出会わなんだら、どうなっておったか。
――誰にも、分からぬな。
だが出会うたゆえ、いまがござる。
――縁とは、恐ろしいものでござるな。
【未来予想図-高崎から世界へ】
さて、そこからの歩みも早うござった。
中学三年の三学期のことでござる。
アメリカから来た、名高きグループの催しでござった。
――そしてそこで、声を掛けられたのじゃ。
同じ学び舎の、二つ上の先輩であられた。
――その縁で、グループに加わることになったのでござる。
お主、催しの場での出会いでござるぞ。
――動いた者だけが、縁を掴むのでござる。
そしてその先輩は、独特の目を持っておられた。
――様々な楽を、この御仁に教えられたという。
そしてそれが、後の作風に効いてくる。
――良き師に、恵まれたのでござるな。
さて、この御仁の性分も面白い。
――人と同じことが、大嫌いなのでござる。
皆が名高きグループに夢中の頃、
――この御仁は、王道を外れた楽を聴き込んでおられた。
そして装いも、風変わりでござった。
――髪を橙に染め、赤き衣を着ておられたとか。
眉を剃り落とされたこともあるという。
――お主、高崎の町では目立ったであろうな。
そして高校は、卒業の直前に辞められた。
――髪型を咎められたことが、その訳であったという。
だが後年、思わぬ知らせが届く。
――2017年5月26日のことでござった。
長年の働きを称えられ、
――その学び舎から、名誉の卒業を贈られたのでござる。
お主、四十年越しでござるぞ。
――なんとも、良き話でござるな。
お主も、この御仁の行く末を見守られよ。
さて、高校を辞められた翌日の話も面白い。
――この御仁は、髪を切り落とされたという。
お主、髪型を咎められて辞めたのでござろう。
――それを、翌日に自ら切られたのじゃ。
つまり、髪に拘りがあったのではござらぬ。
――人に強いられることが、嫌であったのでござる。
お主、ここが肝でござるぞ。
――この性分が、後の道を作ったのじゃ。
人と同じことが大嫌い。
――だからこそ、誰にも似ておらぬ音になった。
そして誰にも似ておらぬ姿にもなった。
――お主、高崎の少年期に全て詰まっておるのでござる。
そして、その少年は世界へ出て行かれた。
――なんとも、痛快な話でござるな。
さて、この御仁の少年期を振り返ってみようぞ。
――楽の音に囲まれ、ピアノを習い。
トランペットを吹き、エレクトーンも習われた。
――そして14歳で、ギターに出会われた。
そこからは、脇目も振らずでござる。
――中学三年で、既にグループに加わっておられた。
お主、早いのでござるな。
――そして十七の終わりには、都へ出られた。
高崎の少年が、世界へ向かう第一歩でござる。
――なんとも、胸の躍る話でござるな。
さて、少年期の風変わりな装いについて。
――あれは、目立ちたかったのではござらぬ。
人と同じが、嫌であっただけでござろう。
――そしてその性分は、いまも変わっておらぬ。
誰にも似ておらぬ音を作り、
――誰にも似ておらぬ姿で立たれる。
お主、少年期から一貫しておるのじゃ。
――そこが、この御仁の凄いところでござる。
そして最後に一つ。
――この御仁は、いまもロンドンにおられる。
高崎の少年が、世界のミュージシャンとなられたのじゃ。
――その始まりが、14歳のギターでござった。
お主も、この御仁の行く末を見守られよ。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【ハーフなのか!?自著で明かした生い立ちについてのまとめ】
今回は布袋寅泰殿について調査してみた!
吾輩は布袋寅泰殿に対して、楽の音に囲まれた高崎の少年期を経て、14歳でギターを手にされたと思ったんだがお主は布袋寅泰殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
Wikipedia(布袋寅泰)※自著『秘密』(2006年)および映画『新・仁義なき戦い』出演時の発言による
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