【timelesz・原嘉孝】家族は10日間の会議!?母は餃子を焼いた

timelesz・原嘉孝 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、原嘉孝殿:合否を言えぬ10日間、何も聞かずに待っておった家の話について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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【略歴】

  • 1995年9月25日、神奈川県のお生まれ
  • 2010年、中学3年のときに事務所へ入られる
  • 2021年、ジュニアを卒業され俳優として舞台・ドラマに立たれる
  • 2025年2月5日、オーディションの最終審査に臨まれる
  • 2025年2月15日、timeleszの新メンバーとして加入される
  • 2025年、映画『#真相をお話しします』に出演される
  • 2025年8月4日、日本テレビ系『しゃべくり007』に出演される
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【原嘉孝の家族は10日間の会議-何も聞かずに待っておった】

原嘉孝殿が事務所に入られたのは、中学3年の折でござる。

「中学3年生から「ジュニア」として活動を始めました」

そこから、実に14年余り。

「マイクをもって歌って踊って、全国をコンサートで回る夢をもっていた」と語っておられる。

だが、その夢はなかなか形にならなんだ。

組んでおった宇宙Sixは解散し、同じ頃に始めた者たちは次々と先へ行く。

ついにはCDデビューを諦め、俳優業に専念すると決められた。

……そして29歳。この御方は、もう一度オーディションを受けられたのでござる。

お主、ここでござる。

――なぜ29歳になって、なお諦めなんだのか。

ご本人が挙げた訳は、二つであった。

一つはファンのため。

「ずっと応援し続けてくれるファンの方たちに、もっと輝いている自分を見せたい、喜んでもらいたいって思っていたのであきらめられなかった」

そして、もう一つがこれじゃ。

「あとは……親孝行したかったですね。家族にはずっと支えてもらったので」

――親孝行したかった。

14年余りである。中学3年から29歳まで、この御方の家は、ずっと待っておったことになる。

さて、そのオーディションの最終審査は2025年2月5日であった。

「2月5日の最終オーディションには会場に来てくれました」

家族が、会場まで足を運ばれたのでござる。

ところが――ここからが、この家の見せ場でござる。

「でも合否の結果は2月15日の発表までは絶対に秘密だったので、家族にも伝えることができなかったんです」

審査は5日。結果が世に出るのは15日。

その間の10日、本人は答えを知っておりながら、家の者にすら言えなんだ。

では、家の者はどう過ごしておったか。

「家族は10日間ずっと不安で、「合格していたら」「落ちていたら」って家族会議をしたそうです(笑い)」

――家族会議。

受かった時にどうするか。落ちた時に何と言うてやるか。

本人のおらぬところで、家の者たちは両方の筋書きを立てておった訳でござる。

そして、この一文が効く。

「でも、ぼくには何も聞かずにそっとしておいてくれました」

……10日である。

親であれば、聞きたいに決まっておる。「どうだったの」の一言が喉まで出ておったはずじゃ。

それを、飲み込み続けた。

【母は黙って餃子を焼いた-合格の日に流した涙】

では、母上はその10日を、どう過ごしておられたか。

ご本人の言葉が、たまらぬ。

「母は黙ってぼくの好きなギョーザを焼いてくれて、合格を知ったときには涙を流してハグしてくれました」

――黙って、好きな餃子を焼いた。

お主、この一行の中身をよう味わわれよ。

聞かぬと決めた。だが、何もせぬとは決めなんだ。

言葉の代わりに、台所に立たれたのでござる。

しかも「好物を作ってやろう」と言うて作ったのではない。黙って焼いた。

食卓に餃子が出れば、息子は察する。

――ああ、聞かずにおってくれるのだな、と。

これは、なかなか真似のできぬ支え方でござるよ。

励ましの言葉は、時に急かしになる。「大丈夫よ」は「早う教えて」と聞こえることがある。

だがこの母上は、問わぬまま、皿の上だけで返事をなさった。

……そして2月15日。結果が世に出た。

「合格を知ったときには涙を流してハグしてくれました」

10日こらえた末の涙でござる。

ところでこの母上、只者ではない。

2025年8月4日、日本テレビ系『しゃべくり007』に原殿が出られた折のことじゃ。

番組は、母上をサプライズで呼んだ。それも姿は見せず、調整室から声だけで。

すると――そのプロ顔負けの声とトークに、出演者から「ラジオパーソナリティみたい!」と声が上がったと報じられておる。

……餃子を焼いて黙っておられた御方が、いざ喋れば場をさらう。

息子が人前に立つ生業を選んだのも、あながち偶然ではないのかもしれぬな。

家の外にも、待っておった者たちがおる。

「地元の友達とは今も仲よしで、毎日のように連絡を取り合う相手もいます。オーディションもずっと応援してくれました」

小学校からの友が、29歳の挑戦を見届けておった訳でござる。

ついでに申せば、この御方にはもう一つの道もあったという。

「ぼくはアイドルにならなかったら、学校の先生になりたかったんですよ」

――人を育てる側でござるか。

10日を黙って待ってもらった御方が、教える生業に憧れておったというのは、どこか筋が通っておる。

【未来予想図-待たれることで強うなった御方】

さて、ここまでを一度まとめておこうぞ。

――原嘉孝殿は中学3年で世に入り、14年余りを経て29歳で夢を掴まれた。

その理由のひとつが「親孝行したかった」であった。

合否を言えぬ10日の間、家の者は家族会議をしながら、本人には何も聞かなんだ。

母上は黙って餃子を焼き、報せが出た日に涙を流された。

さて、ここからは吾輩の見立てでござる。

この御方は、待たれることで強うなった御方だとみる。

根拠は、10日の過ごし方でござる。

普通の家であれば、あの10日は問い詰めの10日になる。

「どうだったの」「言えないってことは駄目だったの」――悪気なく、そう出るものじゃ。

だがこの家は、不安を家族の側だけで引き受けた。

会議は家族でやり、本人には皿を出す。負担を本人へ返さなんだのでござる。

そして、これは10日に始まった話ではあるまい。

14年余りである。一座は解散し、同じ頃に始めた者は先へ行き、歌の道は一度諦めた。

その長い年月、この家は同じやり方で待っておったのではないか。

……問わずに、飯を出す。

ゆえに吾輩はこうみる。

この御方が今、人を支える側に回れるのは、支えられ方を知っておるからでござる。

急かされた者は人を急かす。待たれた者は人を待てる。

餃子の皿で覚えたものは、言葉よりずっと長う残るものでござるよ。

問わずに待つことこそ、一番こらえの要る励ましでござる

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【吾輩からの一言】

人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。

とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。

英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。

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【家族は10日間の会議!?母は餃子を焼いたについてのまとめ】

今回は原嘉孝殿について調査してみた!

一つ。原嘉孝殿は中学3年で事務所に入られ、29歳で夢を掴むまで14年余りを重ねられた。

二つ。諦めなんだ訳のひとつが「親孝行したかったですね。家族にはずっと支えてもらったので」であった。

三つ。最終審査から発表までの10日、「家族は10日間ずっと不安で、「合格していたら」「落ちていたら」って家族会議をしたそうです」とのこと。

四つ。それでも「ぼくには何も聞かずにそっとしておいてくれました」という。

五つ。「母は黙ってぼくの好きなギョーザを焼いてくれて、合格を知ったときには涙を流してハグしてくれました」と語っておられる。

吾輩は原嘉孝殿に対して、問わずに待ってもらった御方ゆえ、人を待つこともできる、と思ったんだがお主は原嘉孝殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

引いた言葉の出どころ

AERA

音楽ナタリー(timelesz原嘉孝、お母さんサプライズ登場 2025年8月3日)

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