巷に騒がれる、青山テルマ殿:世に出た曲が98位であった頃と、そこからの一年について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1987年10月27日のお生まれ、奈良県の出
- 10の齢の頃より、聖なる歌を習い始められたという
- 12の齢にて、家族とアメリカのロサンゼルスへ移り、向こうで声の鍛錬を始められた
- 2002年の冬に戻られ、日ノ本で世に出る道を目指される
- 2007年9月5日、「ONE WAY」にて世に出られた
- 同じ年の9月19日、SoulJa殿の「ここにいるよ feat.青山テルマ」に招かれて歌っておられる
- 2008年1月23日、「そばにいるね」を出され頂に立たれた
- この曲は、この国で最も売れた着うたフルとしてギネスの記録に認められた
- 2008年3月26日、初の一枚組『DIARY』が三位に入っておる
- 2008年12月、年の暮れの大きな歌合戦にも出ておられる
- 2014年には、無料の読み物『DREAMPAPER』の編み手の長を務めておられた
- 2024年8月11日、結婚を自ら報せておられる
- 2026年7月20日、第一子の誕生を自ら報せておられる
【世に出た曲は、98位であった】
吾輩が今宵語るは、青山テルマ殿の出発でござる。
――「そばにいるね」の御方、と申せば通じようか。
この曲は、この国で最も売れた着うたフルとしてギネスの記録に認められたのでござってな。
――知らぬ者はおるまい、というほどの曲でござるよ。
だが今宵語りたいのは、その曲の話ではござらぬ。
――その一つ手前の話でござる。
この御方が世に出られたのは、2007年9月5日でござってな。
――「ONE WAY」という曲でござった。
お主、この曲を御存知かな。
――御存知ない、という方が多いはずでござる。
何ゆえかと申せば、この曲は98位であったのでござるよ。
――百に届くか届かぬか、という所でござった。
ここが、今宵の肝でござってな。
――あれほどの曲を出された御方の、初めの一曲が98位でござる。
お主、この落差をどう受け取られるかな。
――吾輩は、ここに救いがあると思うのでござるよ。
世に出た者は、初めから輝いておったように語られるのでござってな。
――だが実の所は、そうではないのでござる。
そしてこの御方は、そこまでの道も平坦ではなかったのでござってな。
――10の齢の頃より、聖なる歌を習っておられたという。
12の齢では、家族とアメリカのロサンゼルスへ移り、向こうの教会でゴスペルを歌い、声の鍛錬も始められておる。
――幼くして、海を渡られたのでござるよ。
2002年の冬にこの国へ戻られ、日ノ本で世に出る道を目指された。
――つまり十年近く、歌に向き合うてこられたのでござる。
その十年の末に出された曲が、98位でござった。
――これは、堪えたはずでござるよ。
普通ならば、ここで折れるのでござってな。
――十年やって、この結果かと思うてしまうのでござる。
だがこの御方は、折れられなんだのじゃ。
――そして、その僅か二週間後に転機が来るのでござるよ。
【跳ねたのは、己の曲ではなかった】
さて、ここからが今宵の本題でござる。
――この御方が広く知られた道筋が、実に面白いのでござってな。
2007年9月19日、SoulJa殿の「ここにいるよ feat.青山テルマ」に招かれて歌っておられるのでござる。
――己の曲を出した、僅か二週間後のことでござった。
そしてこの、招かれて歌った方が跳ねたのでござるよ。
――お主、ここに引っ掛かりを覚えられぬかな。
己の曲では届かず、人の曲で届いたのでござる。
――普通ならば、悔しいはずでござろう。
だがここが、この御方の賢い所でござってな。
――その流れを、そのまま次に繋げられたのでござるよ。
2008年1月23日、「そばにいるね」を出されて頂に立たれた。
――SoulJa殿を招き返し、「ここにいるよ」に女子の側から答える一曲でござった。
つまり、貸し借りを二度に分けて成されたのでござる。
――一度目は招かれ、二度目は招く側に回られたのじゃ。
これは、なかなかできることではござらぬ。
――人の力で跳ねたことを、素直に認めねばできぬのでござるからな。
己の力だけで行きたい、と思う者は多いのでござってな。
――そして、その意地で機を逃す者もまた多いのでござるよ。
だがこの御方は、来た流れに乗られたのじゃ。
――乗ることは、負けではないのでござるよ。
そしてこの曲は、当時この国で最も売れた着うたフルとなった。のちにGReeeeN殿の曲に抜かれたが、ご本人は「一瞬、私世界一だったの」と笑うておられる。
――世の記録にまで、認められたのでござるからな。
同じ2008年、初の一枚組『DIARY』も三位に入っておる。
――年の暮れには、大きな歌合戦にも出ておられるのじゃ。
98位から、僅か一年余りでござるよ。
――この速さに、吾輩は唸るのでござる。
だが忘れてはならぬのは、その一年余りが十年の上に乗っておることでござってな。
――十年積んでおったゆえ、来た流れに乗れたのでござるよ。
積んでおらぬ者は、流れが来ても乗れぬのでござる。
――ここが、いちばん大事な所でござってな。
【未来予想図-大きすぎる一曲を持つということ】
さて、ここからは大きすぎる一曲を持つという話をいたそうぞ。
――これは、良いことばかりではないのでござってな。
あれほどの曲を持つと、以後は必ず比べられるのでござる。
――何を出しても、あの曲と並べられるのでござるよ。
実際、この御方の後の作を見ればそれが分かるのでござってな。
――2009年の『Emotions』は十一位でござった。
2011年の『WILL』は、六十一位でござる。
――数だけを見れば、下がっておるように映るのでござるよ。
だが吾輩は、ここを下がったとは見ておらぬ。
――あの一曲が、大きすぎたのでござるからな。
比べる相手が化け物では、誰であろうと勝てぬのでござってな。
――そして、その化け物は己自身なのでござるよ。
これは、なかなかに苦しい立場でござろう。
――越えるべき相手が、昔の己なのでござるからな。
だがこの御方は、そこで音を絞られなんだのじゃ。
――2014年には、無料の読み物『DREAMPAPER』の編み手の長も務めておられた。
近ごろは、テレビの賑やかな場にも出ておられてな。
――歌の外にも、場を広げてこられたのでござるよ。
ここが、この御方の生き延び方でござってな。
――同じ土俵で戦い続けるだけが道ではないのじゃ。
そして2024年8月11日には、結婚を自ら報せておられる。2026年7月には、第一子の誕生も報せておられる。
――人としての歩みも、進んでおられるのでござるよ。
さて最後に、お主に申し上げたいことがござる。
――初めの一曲は98位でござった。
そこで辞めておれば、あの曲は世に無かったのでござる。
――お主、この一点だけは覚えておかれよ。
初めの結果は、その者の値打ちではないのでござってな。
――ただの、初めの結果でござるよ。
そして流れは、思わぬ所から来るのでござる。
――己の曲ではのうて、人の曲から来ることもあるのでござるからな。
【そばにいるねの前!?デビューの道についてのまとめ】
今回は青山テルマ殿について調査してみた!
この御方が世に出られた曲「ONE WAY」は、98位でござった。
そこに至るまでに、十年近く歌に向き合うてこられておる。
だがその僅か二週間後、他の者の曲に招かれて歌われた。
そして跳ねたのは、己の曲ではのうてそちらの方でござった。
この御方は、その流れを素直に受けて次へ繋げられたのじゃ。
2008年1月、「そばにいるね」を出されて頂に立たれた。
この曲は、この国で最も売れた着うたフルとしてギネスの記録に認められた。
98位から頂まで、僅か一年余りのことでござった。
吾輩は青山テルマ殿に対して、跳ねる時は、己の曲ではない所から来ることがある、と思ったんだがお主は青山テルマ殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
オリコンニュース(2008年2月5日)「ONE WAY」の98位から「そばにいるね」で1位・「ここにいるよ」は最高6位
アルキタ「バイトがあったから」10歳でゴスペル・ロサンゼルスでボイストレーニング
ENCOUNT(2022年)奈良県出身・2002年夏に一時帰国して声をかけられる
Real Sound(2019年1月6日)着うたフルでギネス認定・「一瞬、私世界一だったの」
オリコン 作品頁『DIARY』(2008年3月26日発売・最高3位)
オリコンニュース(2008年)第59回NHK紅白歌合戦に初出場
マイナビウーマン(2014年3月26日)フリーペーパー「DREAMPAPER」編集長
テレ朝NEWS(2026年7月20日)第1子誕生を発表・2024年8月に結婚を発表
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