巷に騒がれる、比嘉愛未殿:二千人を超える審査を抜けて掴んだ朝の主役と、そこで感じた孤独について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1986年6月14日、沖縄県のお生まれ
- 三人きょうだいの長女として育たれる
- 2005年、映画『ニライカナイからの手紙』にて役者としてお披露目となる
- 2007年、NHK連続テレビ小説『どんど晴れ』にてヒロインを務められる
- 2009年、NHK大河ドラマ『天地人』に出演される
- 2016年、映画『カノン』にて主演を務められる
- 2017年、フジテレビ系『コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命 THE THIRD SEASON』に出演される
- 2023年10月、映画『親のお金は誰のもの 法定相続人』にて主演を務められる
- 2024年、NHK夜ドラ『作りたい女と食べたい女』Season2にて主演を務められる
【比嘉愛未の朝ドラは2000人超の審査-浅倉夏美という若女将】
2007年の春から秋にかけて、朝の茶の間に流れた連続テレビ小説がござる。
作は『どんど晴れ』。
舞台は岩手・盛岡の老舗旅館「加賀美屋」でござった。
ヒロインは、その旅館へ嫁いだ若女将浅倉夏美。
演じられたのが、比嘉愛未殿でござる。
――このとき、まだ二十歳を過ぎたばかりであった。
そして選ばれ方が、なかなかのものでござる。
「07年、NHK連続テレビ小説『どんど晴れ』で2000人以上のオーディションでヒロインを勝ち取った」
お主、ここで唸られよ。
――2000人以上じゃ。
役者としてのお披露目は、その二年前の映画一本きりでござる。
積んだ数でいえば、ほとんど無いに等しい。
そこから二千人を抜いて、半年間毎朝流れる物語の真ん中に立たれた。
後年、この御方はその折をこう振り返っておられる。
「16年前、まさにこのNHKスタジオで『どんど晴れ』のオーディションを受けたんです」
「そこで初めて朝ドラデビューさせていただいたんですけど、その時の出会いがなかったらまずここにはいないはずです」
――ここにはいないはずでござる。
ずいぶん先まで、あの審査から続いておるという言い方じゃ。
だが、当時の中身については、こう明かされる。
「当時は右も左もわからないド新人だったので、周りの人に助けていただきながら、走りきった感じで」
――右も左もわからない。
そして走りきった。
巧く演れたとは、一言も言うておられぬ。
半年、ただ走り抜けたと言われるのじゃ。
同じ作の脚本を書かれたのが小松江里子殿でござる。
この御方との縁は、2023年の時点で十七年続いておった。
――最初の一作で結んだ縁が、それだけ長く残る。
「その時の出会いがなかったら」という言葉は、そこを指しておられよう。
【親の反対を押し切って出た作で、孤独を感じておられた】
さて、この稿の山でござる。
2023年の秋、この御方は朝の連続ドラマについてこう語られた。
「朝ドラは大きな転機でした。親の反対を押し切って出演した作品で、その中で私はある意味、孤独を感じていました」
――親の反対を押し切ってじゃ。
そして孤独を感じていました。
順に見てまいろう。
そもそも役者を志して沖縄から東京へ出る折に、こうであったという。
「私が役者を目指し上京しようとした時、親からは理解されず、反対を受けました」
――理解されなんだ。
その上で出た作が、二千人を抜いた朝の主役でござる。
傍から見れば、これほどの晴れ舞台は無い。
だが本人の内では、そうではなかった。
――ご本人は、こうも明かしておられる。
「それがきっかけで、親との間に距離を感じるようになりました。絶縁というほどではないですが、私は自分の道を選ぶという強い意志を持つことができました」
そして今については、「今の関係を築けているのは、向き合った結果だと思っています」とも語っておられる。
毎朝、己の顔が全国に流れる。
その中で、己の道を選ぶ意志を固めておられたのじゃ。
「ある意味、孤独を感じていました」という言い方が、かえって重うござる。
ここまでで終われば、ただの重い話でござる。
だが、続きがある。
「しかし、その中でキャストやスタッフからの温かさを感じ、家族のような関係が築けることを実感しました」
「血のつながり以外にも家族のような絆が存在することを学びました」
――血のつながり以外にもでござる。
二十歳の御方が、半年の現場でそこへ行き着かれた。
先の一言も、ここで意味が変わってまいる。
「周りの人に助けていただきながら、走りきった感じで」
――助けていただきながら、じゃ。
巧く演れなんだと言われる話ではござらぬ。
誰に支えられて立てたか、を数えておられるのじゃ。
そして十六年後、この御方はこう言われた。
「今でも当時への感謝の気持ちとか、恩返ししたい気持ちがずっとあって」
「だから、作品を通して自分が成長する姿をあの時のスタッフやキャストに見てもらいお返しをしてる気持ちです」
――お返しをしてる気持ちでござる。
十六年、まだ返し終わっておられぬ。
2024年、この御方は同じNHKで夜の連続ドラマの主演に立たれた。
「16年後の今、今度は夜ドラの主演をさせていただくことになって」
――朝で始まり、十六年後に夜で主演でござる。
同じ局の、同じ建物じゃ。
【未来予想図-恩返しで動く御方】
ここまでを、一度まとめておこう。
――比嘉愛未殿は2007年の連続テレビ小説『どんど晴れ』にてヒロイン浅倉夏美を演じられた。
二千人を超える審査を抜けての抜擢でござる。
その作を「親の反対を押し切って出演した作品」とし、「ある意味、孤独を感じていました」と語っておられる。
そして現場で「血のつながり以外にも家族のような絆が存在することを学びました」とも。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方は、恩返しで動く御方だとみる。
根拠は、十六年経ってなお出てくるあの言い方でござる。
「作品を通して自分が成長する姿をあの時のスタッフやキャストに見てもらいお返しをしてる気持ちです」
お主、よく読まれよ。
――伸びる先が、己の内に無いのじゃ。
巧くなりたい、上へ行きたい、という言い方をされておらぬ。
見てもらい、お返しをするためだと言われる。
これは、ずいぶん珍しい構えでござる。
多くの御方は、己の願いを軸に語られる。
この御方は、他人へ向けた勘定で語られる。
――なぜそうなったか。
二十歳のとき、親の反対を押し切って立った現場であったからでござろう。
そこで支えたのが、現場の者であった。
血ではなく、仕事で結んだ者が家族の代わりを務めた。
――ならば、返す先も現場になる。
十七年続いた脚本家との縁も、同じ筋でござろう。
縁を切らさぬ御方は、たいてい返す気で繋いでおられる。
そして、これは強さでもござる。
己の願いで動く者は、願いが満ちれば止まる。
――だが返す気で動く者は、返し終わらぬゆえ止まらぬ。
十六年経って夜の主演に立ち、なお「お返しをしてる気持ち」と言われる。
この御方はまだ、あの二千人の審査から続く道を歩いておられるのじゃ。
己の願いで動く者は満ちれば止まる。返す気で動く者は返し終わらぬゆえ止まらぬ
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【朝ドラは2000人から!?親の反対を押し切ったについてのまとめ】
今回は比嘉愛未殿について調査してみた!
一つ。比嘉愛未殿は2007年の連続テレビ小説『どんど晴れ』にてヒロイン浅倉夏美を務められた。岩手・盛岡の老舗旅館「加賀美屋」の若女将でござる。
二つ。抜擢は2000人以上の審査を抜けてのもの。役者としてのお披露目は、その二年前の映画一本きりであった。
三つ。当時を「右も左もわからないド新人だったので、周りの人に助けていただきながら、走りきった感じで」と振り返っておられる。
四つ。同作を「大きな転機でした。親の反対を押し切って出演した作品で、その中で私はある意味、孤独を感じていました」と語られた。
五つ。そのうえで「血のつながり以外にも家族のような絆が存在することを学びました」とし、十六年後もなお「お返しをしてる気持ちです」と言われておる。
吾輩は比嘉愛未殿に対して、己の願いではなく、返す気で伸びておられる御方、と思ったんだがお主は比嘉愛未殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
リアルサウンド(比嘉愛未が語る『デフ・ヴォイス』・2024年2月27日)
ENCOUNT(比嘉愛未が明かす朝ドラの転機・2023年10月13日)
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