巷に騒がれる、内田有紀殿:人気絶頂の年が、一番苦しい年であった。
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1975年11月16日、東京都のお生まれ
- 中学二年の折、モデルとしての活動を始められる
- 1992年、ドラマ『その時、ハートは盗まれた』にて役者として世に出られる
- 1992年、ユニチカの水着キャンペーンモデルに選ばれる
- 高校の頃はフェンシングに打ち込み、五輪を目指しておられた
- 1994年、『時をかける少女』にて連続ドラマ初主演。同年10月、歌い手としても世に出られる
- 2000年、北区つかこうへい劇団に八期生として入団。歌の仕事を休み、芝居の学びに専念される
- 2002年、結婚を機に芸能の場を一時離れられる
- 2006年、芸能の場に戻られ、TBS系『誰よりもママを愛す』に出演される
- 2007年、映画『クワイエットルームにようこそ』にて主演を務められる
- 2012年、ドラマ『最後から二番目の恋』に出演される
- 2021年11月30日、フジテレビ系『ノンストップ!』にて絶頂期の苦しさを語られる
- 2022年10月23日、MBS/TBS系『日曜日の初耳学』にてデビュー20年の転機を語られる
【内田有紀が明かした、絶頂期の苦しさ】
2021年11月30日でござる。
フジテレビ系『ノンストップ!』という番組でな。
内田有紀殿が、若き日を振り返っておられる。
その中身が、思いのほか重かった。
この御方は1992年に役者として世に出られ、人気が弾けたのは1994年じゃ。
『時をかける少女』で連続ドラマ初主演。
同じ年の10月には、歌い手としても世に出られた。
……押しも押されもせぬ、人気の絶頂でござる。
ところがこの御方は、その年を「一番苦しい時期」と呼んでおられる。
「まだ実力やスキルがないなか、みなさんに応援していただいていたっていう気持ちが強いので、非常に申し訳ない気持ちでいた1年でした」
……お主、聞かれたか。
申し訳ないでござる。
嬉しい、でもない。誇らしい、でもない。
申し訳ない、じゃ。
なぜそう思われたのか。
その中身も、包み隠さず述べておられる。
「歌だって下手くそだし、お芝居だって下手くそなのになんでこんなお仕事を…」
……下手くそ、と二度も申された。
己に向かって、でござる。
吾輩はここで、しばし黙り込んだ。
世は褒めそやしておった。だが本人は納得しておらなんだ。
この差が、苦しさの正体じゃ。
名が売れる速さに、中身が追いつかぬ。
そして、こう続けておられる。
「逃げてしまいたいかも…苦悩の日々でしたから」
……逃げてしまいたい。
人気の絶頂におった御方の言葉でござる。
外から見て羨ましい場所が、中におる者には牢に見えることがある。
この御方は、その中におられた。
【一度離れて、戻ってからの二十年】
では、そこからどうなったか。
この御方の歩みは、ここから折れ曲がる。
2000年、北区つかこうへい劇団に八期生として入団された。
歌の仕事を休み、芝居の学びに専念されたのじゃ。
……人気者が、一から学び直す道を選ばれた。
下手くそだと思うておったからでござろう。
そして2002年、結婚を機に芸能の場を一時離れられる。
世から姿を消されたのじゃ。
2006年、この御方は戻ってこられた。
TBS系『誰よりもママを愛す』に出演される。
2007年には映画『クワイエットルームにようこそ』にて主演を務められた。
……だが、腹が決まるのはまだ先のことであった。
決まったのは、そこからさらに五年後でござる。
2022年10月23日、MBS/TBS系『日曜日の初耳学』でな。
この御方は、転機となった一作を挙げておられる。
2012年、ドラマ『最後から二番目の恋』じゃ。
デビューから、ちょうど二十年目の作でござる。
「この作品があったから、この先もプロとして仕事をしていきたい、女優という仕事に本気で身も心も捧げたいって思えるようになりました」
……お主、聞かれたか。
身も心も捧げたいでござる。
重い言い方じゃ。
そしてこれは、十八の年には出てこなんだ言葉でござる。
あの頃は、申し訳ないと思うておられた。
二十年経って、捧げたいに変わった。
吾輩は、この二十年の長さに唸る。
世に出るのが早すぎた御方は、たいていここで折れる。
……この御方は、折れずに二十年かけて腹を決められた。
一度離れたことも、無駄ではなかったのでござろう。
離れねば、戻る理由も見つからぬゆえな。
【未来予想図-身も心も捧げると決めた御方】
さて、ここからは吾輩の見立てでござる。
内田有紀殿という御方は、これから先どう進まれるか。
吾輩は、この御方の強さは納得するまで決めぬところにあると見る。
十八で人気の絶頂に立ちながら、納得しておられなんだ。
だから劇団に入り直された。
だから一度、離れられた。
……そして二十年目に、ようやく腹を決められた。
世の常では、これを遠回りと言う。
だが吾輩は、そうは取らぬ。
納得せぬまま続けた者は、どこかで必ず崩れる。
この御方は、崩れる前に立ち止まられた。
そして、立ち止まったまま終わらなんだ。
……ここが肝でござる。
止まる者は多い。戻る者は少ない。
1975年11月16日、東京都のお生まれでござる。
中学二年でモデルを始められ、1992年に役者として世に出られた。
高校の頃はフェンシングに打ち込み、五輪を目指しておられたという。
……この頃から、腰を据えて一つを詰める性分であったのじゃ。
では、これから何が起きるか。
吾輩の見立てでは、この御方は長く続く。
早く出た者は、早く消えるのが常でござる。
だがこの御方は、早く出て、一度消えて、また出てこられた。
消えたことのある者は、消えるのを恐れぬ。
恐れぬ者は、無理な仕事を取らぬ。
……結果として、長く残るのでござる。
そしてもう一つ。
吾輩は、この御方が語る側へ回ると見る。
「歌だって下手くそだし、お芝居だって下手くそなのに」と言える御方じゃ。
十代で世に出て苦しんだ話は、いま同じ場所におる若い者に効く。
上手くやった話は、励みにならぬ。
……申し訳ない気持ちで一年過ごした、という話のほうが効くのでござる。
そしてこの御方は、その先に「身も心も捧げたい」まで辿り着かれた。
苦しんだ話に、続きがある。
続きのある話は、聞いた者を前に進ませる。
遠回りは、無駄ではなかったのではなかろうか。
納得せぬまま続けなんだ御方は、二十年かけて腹を決められた
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【逃げてしまいたかった!?デビュー20年の転機についてのまとめ】
今回は内田有紀殿について調査してみた!
一つ。2021年11月30日、フジテレビ系『ノンストップ!』にて内田有紀殿が若き日を振り返られた。
二つ。人気絶頂の年を「一番苦しい時期」と呼び「非常に申し訳ない気持ちでいた1年でした」と述べておられる。
三つ。「歌だって下手くそだし、お芝居だって下手くそなのになんでこんなお仕事を…」己に向けた言葉でござる。
四つ。「逃げてしまいたいかも…苦悩の日々でしたから」外から羨まれる場所が、中では牢に見えることがある。
五つ。転機は2012年『最後から二番目の恋』。「女優という仕事に本気で身も心も捧げたいって思えるようになりました」
吾輩は内田有紀殿に対して、納得するまで決めぬ御方、と思ったんだがお主は内田有紀殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
クランクイン!(内田有紀、人気絶頂時は“一番苦しい時期”「逃げてしまいたいかも…」と感じた苦悩の日々・2021年11月30日)
WEBザテレビジョン(内田有紀を変えたデビュー20年の転機「女優という仕事に身も心も捧げたいと思えた」<初耳学>・2022年10月23日)
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