【トラジャ・七五三掛龍也】実家は茨城!?小6で履歴書を送った

トラジャ・七五三掛龍也の実家 怒羅悶倶楽部

巷に騒がれる、七五三掛龍也殿:父と母が好きで通うた場所から、子の道が始まった話について、

さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!

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【略歴】

  • 1995年6月23日、茨城県のお生まれ
  • 小学校6年のとき、自ら履歴書を事務所へ送られる
  • 1年半から2年の後、オーディションの報せを受けられる
  • 2012年、Travis Japanの結成に加わられる
  • 2022年、Travis Japanがデビューされる
  • 2025年9月3日、テレビ朝日系『徹子の部屋』に初出演される
  • 2026年1月、連続ドラマ『ぜんぶ、あなたのためだから』に出演される
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【七五三掛龍也の実家は茨城-父と母が連れて行った場所】

七五三掛龍也殿の実家は、茨城でござる。

まず、この珍しい名字から参ろうぞ。

――七五三掛。「しめかけ」と読む。

東京へ出てからは驚かれることが多いそうじゃが、ご本人はこう申しておられる。

地元・茨城では、それほど珍しくないのだと。

土地に根を張った名でござるな。

さて、この御方が芸の道へ入った訳が、なんとも良い。

きっかけは、己の憧れではのうて両親の好きなものであった。

「父がSMAPさんのファンで、母はKAT-TUNさんのファン」

お主、ここでござる。

――父と母で、好きな組が違う。

そして、その二人が子を連れて出かける先が、どこであったか。

「小さい頃からSMAPさん、KAT-TUNさんのライブに行かせてもらって」

……幼子の頃から、親の推す者たちの舞台を客席で見ておった訳でござる。

遊園地でも動物園でもない。親が夢中になっておる場所へ連れて行かれた。

そこで、この御方は何を見たか。

「そこで先輩方を見てこの事務所に入りたいとなって、履歴書を小学校6年生のときに送りました」

――小学校6年で、自ら履歴書を送る。

親に勧められたのではない。連れて行かれた先で、己で決めておられる。

ここが肝でござるよ。

親は「なれ」とは言うておらぬ。ただ己が好きなものを、隠さず見せただけじゃ。

……そして、その後の親の振る舞いがまた良い。

合格の後、この御方は茨城の実家から東京へ通うことになる。

片道1時間半の電車でござる。それを毎日じゃ。

中学生の子に、これは軽い話ではない。

だが伝えられるところによれば、茨城から毎日レッスンに通うのは大変であったが、両親は何も言わず見守ってくれたという。

――何も言わず。

「大丈夫か」「やめてもよいのだぞ」とも言わぬ。送り出して、待つ。

好きなものを見せた親が、子が同じ道へ走り出した後は、口を出さなんだのでござる。

【小6で送った履歴書-忘れた頃に来た報せ】

さて、その履歴書の話には続きがござる。

小6で送った。……ところが、返事が来ぬ。

一月や二月ではない。1年半から2年でござる。

子の時の流れで二年と申せば、途方もない長さじゃ。

当然、この御方も忘れておられた。しかも、その間に別の夢を見つけておられる。

「(履歴書を送ったことを)忘れていたので、当時美容師さんになりたいとなっていて(笑)」

――美容師。

そこへ、忘れた頃の報せが届く。

「そこにオーディションの連絡が来て、最初うそだと思って、でも行ってみたら本当でした」

……最初うそだと思った。

無理もござらぬ。二年も音沙汰の無かった話が、ある日いきなり動き出したのじゃ。

そして「でも行ってみたら本当でした」の一行が良い。

疑いながらも、とりあえず行った。

……人の分かれ道は、たいてい大袈裟な顔をしてやって来ぬものでござる。

さて、そこから始まったのが、先ほどの片道1時間半でござる。

その通いの日々を、ご本人はこう振り返っておられる。

「やっぱりすごく遠くて、でも頑張らないと、という気持ちがあったので毎日通い続けました」

そして、この一言が可笑しい。

「帰りは電車で寝ちゃって、地元から1時間先くらいのところまで行っちゃったこともよくありました」

――寝過ごして、地元を1時間通り越す。

しかも「よくありました」と申されておる。一度や二度ではないのじゃ。

稽古で疲れ果てた子が、帰りの電車で船を漕ぎ、気づけば見知らぬ駅におる。

……その分、家に着くのはさらに一時間以上遅うなる。

それでも翌朝また乗るのでござる。

ちなみに下積みは長うなり、どうすればデビューできるのかと思い悩んだ時期もあったという。

その頃を支えたのは、先輩のKis-My-Ft2であったと明かしておられる。

……さて、家族の話をもう一つ。2026年の初め、妹御の結婚式に出られた話を明かしておられる。

その披露宴で、この御方は泣いておられる。

「披露宴の最後らへんで妹が両親に手紙を読んでいて、その後に生まれた時のグラム数と同じお米を渡していたんです」

「それをもらった両親は号泣していて、僕もそれを見て号泣して(笑)」

――生まれた時と同じ重さの米。

抱いた日の重みを、そのまま親の手に返す趣向でござる。

そして兄は、妹の涙ではなく親の涙を見て泣いたと申しておられる。

「素敵だな、いいなって思ったので、そういうのいいですよね」

【未来予想図-好きなものを見せてもろうた御方】

さて、ここまでを一度まとめておこうぞ。

――七五三掛龍也殿の実家は茨城。名字は地元では珍しくないという。

父君と母君はそれぞれ別の組を好み、幼い子を連れて何度も舞台へ通われた。

そこで芸の道を志した子は、小学校6年で自ら履歴書を送った。

返事は1年半から2年も来ず、忘れた頃に届いた報せを「うそだと思った」という。

合格の後は茨城から片道1時間半を毎日通い、両親は何も言わず見守られた。

さて、ここからは吾輩の見立てでござる。

この御方は、好きなものを見せてもろうて育った御方だとみる。

根拠は、始まりの形でござる。

この家の親は、子に何かをさせようとはしておらぬ。

ただ己が好きな場所へ、子を連れて行っただけじゃ。

――親が本気で楽しんでおる場に、子は必ず目を留めるものでござる。

そして子が「あそこへ行きたい」と言い出した時、この親は止めもせず、急かしもせなんだ。

片道1時間半を毎日、何も言わずに見守る。……これは口を出すより難しい。

妹御の披露宴で親が泣き、それを見て兄も泣いた――という話も、同じ家の続きでござろう。

ゆえに吾輩はこうみる。

この御方が今も舞台に立ち続けておるのは、始まりが「やらされたこと」でなかったからじゃ。

人に決められて始めた道は、辛い時に人のせいにできてしまう。

だがこの御方の道は、二年も返事を待ち、寝過ごしながら通うて、己で掴んだものでござる。

そして今、目指す先はここじゃ。

「グループで東京ドームに立ちたいです。先輩のバックでしか立ったことがなくて、いつか自分たちのメインのステージでコンサートしたいです!」

……幼き日に客席から見上げた場所へ、こんどは真ん中から立とうとしておられる。

親が本気で好きなものを見せた家の子は、己で道を選ぶ

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【吾輩からの一言】

人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。

とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。

英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。

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【実家は茨城!?小6で履歴書を送ったについてのまとめ】

今回は七五三掛龍也殿について調査してみた!

一つ。七五三掛龍也殿の実家は茨城。七五三掛という名字は地元ではそれほど珍しくないという。

二つ。「父がSMAPさんのファンで、母はKAT-TUNさんのファン」で、幼い頃から一緒に舞台へ通われた。

三つ。「この事務所に入りたいとなって、履歴書を小学校6年生のときに送りました」と語っておられる。

四つ。返事は1年半から2年も来ず、「最初うそだと思って、でも行ってみたら本当でした」とのこと。

五つ。茨城から片道1時間半を毎日通い、両親は何も言わず見守ってくれたという。

吾輩は七五三掛龍也殿に対して、親の好きなものを見せてもらい、己で道を選ばれた御方、と思ったんだがお主は七五三掛龍也殿についてどう思ったかな?

世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。

引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!

それではまた次の記事にて会おう!

嘘か誠かの判断は自己責任にて!

引いた言葉の出どころ

MANTANWEB(両親の影響でダンス&歌好きに 小6で履歴書送付 2025年9月3日)

MANTANWEB(地元・茨城では珍しくない名字 父は木村拓哉、母は亀梨和也のファン 2025年9月2日)

MANTANWEB(藤井流星&七五三掛龍也 “理想の結婚式”語る 2026年1月7日)

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