巷に騒がれる、玉木宏殿:23の齢で覚悟が決まり、35の齢で一つの人生を終えたと感じた話について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1980年1月14日、愛知県名古屋市のお生まれ
- 1998年、俳優として世に出られる
- 2001年、映画『ウォーターボーイズ』で知られる
- 2003年、連続テレビ小説『こころ』にて堀田匠役を務められる
- 2006年、NHK大河ドラマ『功名が辻』に山内康豊役で出られる
- 2006年、ドラマ『のだめカンタービレ』にて千秋真一を演じられる
- 2015年、連続テレビ小説『あさが来た』にて白岡新次郎を演じられる
- 2018年6月、女優の木南晴夏殿と結婚される
- 2021年、NHK大河ドラマ『青天を衝け』に出られる
- 2025年12月、第二子の誕生が発表された
【玉木宏の朝ドラは2本-こころとあさが来た】
玉木宏殿の朝ドラは、2本ござる。
1本目は2003年の『こころ』、堀田匠役。花火職人の役でござった。
2本目は2015年の『あさが来た』、白岡新次郎役。ヒロインあさの夫でござる。
……ここで一つ、取り違えの多いところを申しておく。
『あさが来た』で五代友厚を演じたのはディーン・フジオカ殿。この御方ではござらぬ。
さて、1本目の話でござる。
当時23の齢。この御方は当時をこう振り返っておられる。
「俳優を志して上京した僕に大きな変化をもたらせてくれたのがこの作品でした」
その頃の暮らしぶりが、また具体でござる。
「まだ現実は厳しくてアルバイトをしながらさまざまなオーディンションを受けていたころです」
「朝ドラ・ヒロインの相手役も何度かトライしていました」
お主、ここでござる。
――何度かトライしていました。
一度で受かった話ではござらぬ。落ちた回が先にあったのじゃ。
そして受かった後の一節が、この稿の題にした所でござる。
「『こころ』で堀田匠役に選ばれて撮影がスタートしてからも、しばらくはアルバイトを続けていたのですが、後半にかけて出番が多くなってきたことで辞めることになりました」
「俳優だけでやっていく、やっていかなくてはいけない、そんなタイミングだったと思います」
――やっていかなくてはいけない。
覚悟が先にあって朝ドラに出たのではない。
朝ドラの出番が増えたゆえ、バイトを辞めざるを得なくなった。順が逆でござる。
この御方は、教わったことも忘れておられぬ。
師匠役であった寺尾聰殿の言葉じゃ。
「セリフを受けるときは、ちゃんと相手の言葉を聞いて一回自分の中でリフレインしてから返すぐらいでちょうどいいんだぞ」
「相手の言葉、芝居を受けるということを教えてくれたのが寺尾さんでした」
NHKの現場そのものについても、こう述べておられる。
「NHKでは、きちんとリハーサルをして撮影に臨むというスタイル、さらにスパンも長い」
半年の作ゆえ、役に向き合う刻がそれだけ長うなる、という訳でござる。
【正解がわからなかった新次郎-12年後の2本目】
2本目は、12年後でござる。
35の齢で演じた白岡新次郎は、商いに興味の無い両替屋の次男坊であった。
この御方は、初めの頃をこう明かしておられる。
「最初のころは新次郎をどんなふうに演じていったらいいのか、正解がよくわからなかったんです」
困りごとは他にもござった。
幼きあさを演じたのは子役の鈴木梨央殿。途中から波瑠殿へ替わる。
されど新次郎は同じ人が通して演じる。
「僕だけはそのまま通して演じるので見た目はそんなに変わらないのに大丈夫かなと(笑)」
その戸惑いが、やがて解けてゆく。
「あのふわふわしたつかみどころのなさが新次郎らしさなんだとわかってくる」
――わかってくる。
決めてから演じたのではなく、演じながら見つけていかれたのじゃ。
三味線も、そのまま続けておられる。
「僕も本当にちゃんと弾けなくてはいけない。相当練習もしましたし、収録が終わってからも継続して習っていたんです」
――収録が終わってからも。
役が終われば要らぬ稽古でござる。それを続けられた。
そして半年の果てに、この御方は思いがけぬものを味わわれた。
「そんなふうに若い時から亡くなるまでを演じることができたのは、すごく大きなことでした」
「役を演じきったという思いと同時に、本当に一つの人生を終えてしまったのではないかと思うほどの喪失感もありました」
「そんな経験はそれまで感じたことがなかったので、とても印象深い作品になりました」
お主、よう読まれよ。
――そんな経験はそれまで感じたことがなかった。
2001年に世に知られ、大河にも出て、千秋真一まで演じてきた御方が、でござる。
【未来予想図-人の一生を引き受けられる御方】
ここまでを、一度まとめておこう。
――玉木宏殿の朝ドラは2本。2003年『こころ』の堀田匠と、2015年『あさが来た』の白岡新次郎でござる。
1本目は出番が増えてバイトを辞めることになり、「俳優だけでやっていく」覚悟が決まった。
2本目は「正解がよくわからなかった」役を演じ切り、「一つの人生を終えてしまったのではないか」という喪失感を得られた。
ここからは吾輩の見立てでござる。
この御方は、人の一生を丸ごと引き受けられる御方だとみる。
根拠は、その喪失感の中身でござる。
作が終わって寂しい、という話ではござらぬ。
若い時から亡くなるまでを演じたゆえに、一つの人生が終わったように感じた、と言うておられる。
半年、毎朝、同じ人物の続きを生きる。
その積み重ねが、役を「演じたもの」から「生きたもの」へ変えたのでござろう。
思えば1本目の教えも、同じ向きであった。
寺尾聰殿の「相手の言葉を聞いて一回自分の中でリフレインしてから返す」――受けてから返す、という教えじゃ。
己の芝居を先に立てず、相手と刻を受け止める。
12年の間を置いて、その教えが一番効く場所へ戻ってこられたことになる。
ゆえに吾輩はこうみる。
この御方が次に長い作へ入られる時も、初めは「正解がわからない」と仰るであろう。
されど終わる頃には、また一つ、人の一生を生き終えておられるのじゃ。
正解を決めてから入らぬ者だけが、役の一生を最後まで生きられる
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【朝ドラで辞めたバイト!?2度目は喪失感についてのまとめ】
今回は玉木宏殿について調査してみた!
一つ。玉木宏殿の朝ドラは2本。2003年『こころ』の堀田匠(花火職人)と、2015年『あさが来た』の白岡新次郎でござる。
二つ。『こころ』の頃は「アルバイトをしながらさまざまなオーディンションを受けていたころ」で、出番が増えてバイトを辞めることになった。
三つ。「俳優だけでやっていく、やっていかなくてはいけない、そんなタイミングだった」と振り返っておられる。
四つ。『あさが来た』では「最初のころは新次郎をどんなふうに演じていったらいいのか、正解がよくわからなかった」とのこと。
五つ。演じ切った後には「一つの人生を終えてしまったのではないかと思うほどの喪失感」があったと語っておられる。
吾輩は玉木宏殿に対して、正解を決めずに入り、役の一生を最後まで生き切られる御方、と思ったんだがお主は玉木宏殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
モデルプレス(木南晴夏、第2子出産発表 夫は玉木宏・2025年12月5日)
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