巷に騒がれる、西村知美殿:資格を五十七も集められた話と、九十で人生の助言者を目指される話について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1970年12月17日、山口県宇部市のお生まれ
- 父君が歌い手の沢知美殿の舞台を観に行っておられた折の誕生
- そこから「知美」と名付けられたという
- 小学の頃、動きがゆっくりで「トロリ」と呼ばれる
- 1984年11月、姉上が写真を応募し雑誌に載られる
- 1985年4月、「第1回ミス・モモコクラブ」で頂を取られる
- 堀越高等学校を卒業しておられる
- 1986年3月、映画『ドン松五郎の生活』で女優として世に出られる
- 同月、「夢色のメッセージ」で歌い手としても世に出られる
- 1986年、第28回日本レコード大賞の新人賞を受けられる
- 1988年4月、朝の連続劇『ノンちゃんの夢』に出られる
- 2024年10月の時点で、五十七もの資格を取っておられる
【名の由来と、とろりんの謂れ】

巷で西村知美殿と申せば、「とろりん」の愛称で覚えておる者が多かろう。
1970年12月17日、山口県宇部市のお生まれ。
まず、この御仁の名の由来が面白いのでござる。
父君が、沢知美殿という歌い手の舞台を観に行っておられた。
――ちょうどその折に、生まれられたのじゃ。
そこから「知美」と名付けられたという。
お主、これは良い話ではないか。
――親御殿の、その日の心持ちが名に残っておる。
そして愛称の「とろりん」でござる。
これも謂れがはっきりしておる。
小学の頃、動きがゆっくりであられた。
給食も、なかなか食べ終わらぬ。
――そこから「トロリ」と呼ばれるようになったのじゃ。
だがこの御仁、
中学の頃までは内気で恥ずかしがりであったという。
先生に当てられると赤くなるゆえ「トマトちゃん」、
おとなしいゆえ「ネクラちゃん」とも呼ばれておったそうじゃ。
――いまの姿からは、想像もつかぬのう。
そして中学ではテニスの部に入られた。
これが、漫画の影響であったという。
――この御仁、大層な漫画好きなのでござる。
特に『うる星やつら』を好まれ、
その集まりにまで入っておられたそうじゃ。
しかも読み手が書く筋書きの募集に応じ、
――二十ほどの候補作にまで残られたという。
お主、これは大したものでござるぞ。
そして後に、その物語の映画に声で出られた。
――夢が、叶ったのでござる。
お主、この御仁の口ぶりを思い出してみられよ。
ほんわかとして、急がぬ。
――あれが、この御仁の持ち味でござる。
だが持ち味というのは、
――生まれつきのものとは限らぬ。
小学の頃に「トロリ」と呼ばれたことが、
――そのまま芸の名になっておる。
つまり短所と思われたものが、
――そのまま長所になったのでござる。
お主も覚えておかれよ。
己の欠点と思うておるものが、
――案外、一番の武器かもしれぬのじゃ。
そしてこの御仁、
顎の先まで届く長い舌をお持ちだという。
そのため麺を啜ることができぬ。
――口の中で、舌に巻きつけて食べられるそうじゃ。
お主、笑うたか。
こういう話まで惜しみなく語られるところが、
――この御仁の人柄でござろう。
そして絵物語や画面の遊びを好まれる。
特に一つの物語には、深く入れ込んでおられた。
――集まりに入り、筋書きまで書かれたのじゃ。
好きなものを、とことん好きになる。
――この性分が、後の資格集めに繋がるのでござる。
【姉上の応募から始まった道】

さて、この御仁がこの道へ入られた経緯でござる。
これがまた、面白い。
1984年11月、中学二年の頃のこと。
――姉上が、勝手に写真を応募されたのじゃ。
そして雑誌に載ることとなった。
お主、己の与り知らぬところで
――写真が世に出るのでござるぞ。
驚かれたであろうな。
だがそこから、話が転がっていく。
翌1985年4月、その雑誌が催した選考で
――頂を取られたのでござる。
そして事務所も決まり、
中学三年の夏休みには
映画への出演と歌い手としての門出が決まった。
――月に一度、都へ稽古に通われたという。
山口から都まででござるぞ。
――なかなかの道のりじゃ。
そして中学を出られてから、堀越の学び舎へ。
同じ組には、後に名を成す者が幾人もおられた。
――そういう学び舎でござる。
1986年3月、映画で女優として世に出られ、
同じ月に「夢色のメッセージ」で歌い手としても世に出られた。
この曲、いきなり売り上げの番付で二位に入っておる。
――見事な船出でござった。
そして同じ年の暮れ、
――大きな賞の新人の部を受けられた。
さらに1988年、朝の連続劇に出られる。
この劇が、また当たった。
――最も多い時で、五割を超える者が観ておったという。
これで、この御仁の名は国じゅうに知れ渡った。
さて、姉上の応募という話について
少し考えてみようではないか。
この御仁は、己で応じたのではござらぬ。
――姉上が、勝手に送られたのじゃ。
つまり本人には、その気が無かった。
お主、これは面白いことでござるぞ。
望んでもおらぬところから、道が開いた。
――人の縁とは、そういうものでござる。
そして中学三年で、都へ通い始められた。
山口から都まで、月に一度でござる。
――親御殿も、大変であったろう。
そして堀越の学び舎へ進まれる。
だがここでの日々が、また厳しい。
芸の仕事が忙しく、
――休みは半年に一度しかなかったという。
夕餉は、撮影の弁当か焼肉か麺のいずれか。
――なんとも、偏った食事でござるな。
そして劇の撮影で学び舎を休むゆえ、
――土日にも通うて単位を取られた。
お主、これは並の苦労ではござらぬぞ。
遊びたい盛りの十代でござる。
――その全てを、仕事と学びに注がれたのじゃ。
そして1988年、朝の連続劇に出られる。
この劇の評判が、凄まじかった。
――国じゅうが、この御仁の顔を知ることとなった。
【未来予想図-資格が五十七】

さて、いまのこの御仁を語るならば
――資格の話を外すわけにはいかぬ。
この御仁、芸の道でも指折りの資格集めとして知られておる。
その数、2024年10月の時点で――五十七でござる。
お主、五十七でござるぞ。
――並の執念ではござらぬ。
始まりは、二十一の齢での車の免許であった。
だがこの折、事務所から大反対されたという。
そこでこの御仁は、こう説き伏せられた。
「身分を示すものが欲しいのです。
――己では運転せぬと約束します」と。
お主、なかなかの交渉でござるな。
そして後に、身内が商いを始める折があった。
そこで必要となる資格を、共に取られた。
――これを機に、火が点いたのでござる。
手話の技能の検定は二級。
これは二十代の頃、
耳の聞こえぬ者が催しに来てくれたことがきっかけであった。
「せめて歌詞だけでも手話で伝えられたら」と。
――そういう始まりでござる。
そのほかにも、温泉の目利き、花火を鑑賞する者の資格、
紅茶の取り合わせの資格、認知症の介助の資格。
――そして「カッパ捕獲許可証」まで持っておられる。
お主、笑うたか。
だがこれ、全て本気でござるぞ。
選ぶ基準も、はっきりしておられる。
「好きなこと」「苦手なこと」「いつか役立ちそうなこと」。
――この三つのどれかに当てはまるものを選ぶという。
そしてこの御仁の夢が、また良い。
――「九十で人生の助言者になること」でござる。
取った資格の知恵を活かして、人に助言する。
――九十でござるぞ、お主。
そこまで先を見ておられる御仁が、どれほどおろうか。
最後に、吾輩の思うところを述べさせてもらおう。
五十七の資格と聞くと、
――ただの物好きと思う者もおろう。
だが、この御仁の言葉を聞けば考えが変わる。
「日々の仕事や家の用は、終わりが見えぬ。
だが資格を目当てに掲げれば、前向きに励める。
――違う世界も覗けて、人生の幅が広がる」と。
お主、これは深い言葉でござるぞ。
終わりの見えぬことばかりでは、人は疲れる。
――だから、終わりのあるものを混ぜるのじゃ。
そしてこの御仁は、
諦めどきも心得ておられる。
試験は多くて二度まで。
――それでも駄目なら、きっぱり次へ移られるという。
――執着せぬのでござる。
また覚えたことを忘れぬよう、
書き付けを写真に撮って残し、
実技は動く絵で記録しておられるそうじゃ。
――実に、丁寧な御仁でござる。
そして学ぶ時を作るため、
家の用を手早く済ませる工夫をしておられる。
――眠る時を削らぬためじゃ。
お主、ここが立派でござるぞ。
無理をせず、工夫で作る。
――だからこそ、五十七まで続いたのでござろう。
そして「九十で人生の助言者に」という夢。
――吾輩、これを聞いて唸ってしもうた。
五十を過ぎてなお、
――四十年先を見ておられるのじゃ。
お主も、この御仁の生き方を見習われよ。
そして最後に、もう一言だけ添えておこう。
この御仁は、己の性分をこう見ておられる。
「探究の心が強く、興味を持てばすぐ動く。
――だが熱しやすく、冷めやすい」と。
そして踊りや鍵盤や英会話は、
――終わりが無いゆえ、続かなかったと仰る。
お主、ここが面白いところでござるぞ。
己が続かぬ性分だと知っておられる。
――だから、終わりのある資格を選ばれたのじゃ。
己を変えようとするのではない。
――己に合うやり方を、見つけられたのでござる。
これは、なかなかできることではござらぬ。
多くの者は、続かぬ己を責めて終わる。
――責めても、性分は変わらぬというのに。
吾輩、この御仁の賢さに感じ入っておる。
【資格が五十七!?九十で人生の助言者についてのまとめ】
今回は西村知美殿について調査してみた!
吾輩は西村知美殿に対して、姉上の応募から道が開け、いまや五十七もの資格を集め、九十での夢まで語っておられると思ったんだがお主は西村知美殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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