巷に騒がれる、新内眞衣殿:勤め人と掛け持ちしておられた頃の話と、幾つもの一番乗りについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1992年1月22日、埼玉県朝霞市のお生まれ
- 中学では羽根の競技にて市の大会の団体で一位を取られる
- 高校の頃、街頭にて雑誌の読者模特に誘われ選考の最終まで残られる
- 大学にて経営を学び、学園祭の副実行委員長を務められる
- 2013年、乃木坂46の二期生の選考に受かられる
- 2014年、正規の一員へ昇格し、同年に大学を卒業される
- 同年4月、勤め人として働き始め、掛け持ちの日々に入られる
- 2015年、十二枚目の盤にて初めて選ばれる
- 2016年、夜半の語りの番組を受け持たれる
- 2018年、勤め先を辞められる
- 2019年、装いの雑誌の常連の模特に就かれる
- 2022年、三十の齢を迎えられ、同年2月に卒業される
【就職活動の途中で見つけた募集】

巷で新内眞衣殿と申せば、夜半の語りの番組で覚えておる者も多かろう。
だがお主、この御仁が乃木坂46に入られたきっかけを存じておるか。
――就職活動の最中でござった。
1992年1月22日、埼玉県朝霞市のお生まれ。
幼き頃は琴の稽古に泳ぎ、異国の言葉に踊りと、実に多くの習い事をしておられたという。
中学では羽根の競技の部に籍を置かれ、市の大会の団体で一位を取っておられる。
――遊びの域ではないぞ。
高校の頃には街頭で雑誌の編集の者から声をかけられ、読者の模特の選考に応じられた。
そして選考の最終まで残られておる。
――もうこの時点で、目に留まる方であったのじゃな。
だがこの御仁、そこで芸の道へは行かれなかった。
大学へ進み、経営を学ばれたのでござる。
部にも会にも入らず、学びと働きを中心に日々を過ごされたという。
ただ学園祭では副の実行委員長を務めておられる。――やる時はやる方じゃ。
そして大学三年からは就職活動を始められた。
――目指しておられたのは、計算機の仕組みを組む仕事であったという。
求人を眺めておられたある日じゃ。
ある音の会社の頁で、乃木坂46の二期生の募集を見つけられた。
――就職の口を探しておって、アイドルの募集を見つける。
そして応じられた。
2013年3月28日、選考に受かられる。
――人の縁とは、まこと分からぬものでござるな。
この御仁の学生の頃を眺めておると、一つ気づくことがある。
――何をやっても、そこそこ以上まで行っておられるのじゃ。
琴の稽古に泳ぎ、異国の言葉に踊り。
そして羽根の競技では市の頂に立たれた。
雑誌の選考では最終まで残られた。
学園祭では副の実行委員長を務められた。
――器用というより、手を出したものは最後までやる方なのじゃな。
そして就職活動においても、計算機の仕組みを組む仕事というはっきりした目当てを持っておられた。
――ふわりと選んでおられぬ。
そういう方が、たまたま目にした募集に応じて受かる。
――人の道筋というのは、面白いものでござる。
【昼は勤め人、そしてアイドル】

さて、ここからがこの御仁の凄まじいところじゃ。
2014年3月2日、正規の一員へ昇格される。
そして同じ月の27日、大学を卒業された。
――ここで一つ目の一番乗りでござる。
この御仁は乃木坂46で初めて学位を取った者じゃ。
だが卒業しても、話はそう甘くはなかった。
研究生になって一年が経っておったが、そのままの実入りでは学びのために借りた銭の返済が立ちゆかぬ。
――現実は、こういうものでござる。
そこで裏方に相談をされた。
すると返ってきたのが「勤め人にならぬか」という話であったという。
――そんな話があるか。
そして2014年4月1日、語りの局に連なる会社へ入られた。
管理の部にて週に五日、勘定や事務の仕事をこなされる。
そのうえで稽古を受け、アイドルも務められた。
――お主、想像してみよ。
昼は机に向かって数字を合わせ、夜は稽古場で踊り、休みの日には人前に立つ。
これを続けられたのじゃ。
同じ年の10月には催しの店の差配役にも就かれておる。
2015年3月には「勤め人と掛け持ちのアイドル」を名に掲げた語りの番組の進行役を務められ、一年続けられた。
――掛け持ちを、そのまま看板にされたのじゃ。
同年5月、十二枚目の盤にて初めて選ばれた側に入られる。
2016年3月には夜半の語りの番組を受け持たれ、3月31日から始まっておる。
2017年には郷里の県の一日広報の役に就かれ、同じ年の11月には初めての一冊も出された。
そして2018年3月、勤め先を辞められた。
――掛け持ちは、およそ四年に及んだ。
芸の仕事が増え、出勤の日が減っていったこと、そして勤め先が合併したことが区切りであったという。
――辞め方まで、筋が通っておる。
この掛け持ちの日々について、少し想像を巡らせてみようではないか。
週に五日、机に向かわれる。
勘定を合わせ、書類を整える。
――これだけでも一人分の仕事でござる。
そのうえで稽古に通い、踊りと歌を体に入れ、休みの日には人前に立って笑顔を作る。
――これを四年でござるぞ。
しかも当時の実入りは、学びのために借りた銭を返すのがやっとという話であった。
――華やかに見える場の裏側は、こういうものじゃ。
だがこの御仁は、それを隠されなかった。
むしろ「勤め人と掛け持ちのアイドル」と自ら看板に掲げられた。
――ここが、この御仁の見事なところでござる。
多くの者は、こういう事情を隠したがるものじゃ。
それを笑い話にして前へ出す。――強い方じゃと吾輩は思う。
【未来予想図-語りの場という居場所】

さて、ここからが今のこの御仁でござる。
2019年3月、装いの雑誌二誌の常連の模特に就かれた。
そして同じ年の4月、乃木坂46の夜半の語りの番組が始まり、この御仁が主たる進行役を務められることとなった。
――夜半の語りといえば、長く続く大きな枠じゃ。
そこの主を任されるというのは、並のことではない。
2021年11月、その番組の中で卒業を告げられた。
――自分の番組で告げる。これも良いのう。
同じ年の暮れに出された総集の盤には、初めての一人歌も収められておる。
そして2022年1月22日、三十の齢を迎えられた。
――ここで二つ目の一番乗りでござる。
この御仁は乃木坂46で初めて三十代になった者じゃ。
同じ月に二冊目の一冊も出され、2月10日に催しをもって卒業された。
そして2月17日付で今の事務所へ移っておられる。
――学位の一番乗り。三十代の一番乗り。
この御仁は、幾度も先頭を歩いてこられた。
考えてみればじゃ。
就職活動の最中に募集を見つけ、働きながら稽古に通い、学びの銭を自分で返し、そして語りの場に居場所を見つけられた。
――どこにも借り物がない。
全て自分の足で立ってこられた歩みでござる。
この先この御仁がどこへ進まれるか、吾輩には分からぬ。
だが語りの場と装いの場、そのどちらにも既に居場所を作っておられる。
――加えて経営を学ばれた頭もある。
机に向かって数字を合わせておった日々は、決して無駄にはならぬはずじゃ。
――吾輩、この御仁の歩みが好きでござる。
この御仁の歩みを眺めておると、吾輩はある言葉を思い出すのじゃ。
――「身の丈を知る者は強い」でござる。
銭が足りぬなら働く。
働くなら看板にする。
辞めるときは筋を通して辞める。
――全て、地に足がついておられる。
そして卒業を告げる場に選ばれたのが、自らが長く務めてこられた語りの番組であった。
――これも良い話でござろう。
自分の言葉で、自分の場所で告げる。
人任せにせぬのじゃ。
初めての学位も、初めての三十代も、誰かに用意してもらったものではない。
――全て、自分で歩いて辿り着かれた場所でござる。
考えてみればじゃ。
計算機の仕組みを組む仕事を目指しておられた方が、いまや語りの場と装いの場に立っておられる。
――人生とは、まこと分からぬものよ。
だが吾輩が思うに、目指す先が変わっただけで、この御仁の中身は何一つ変わっておらぬ。
決めたことは最後までやる。
足りぬものは自分で補う。
――この二つを、ずっと守ってこられただけじゃ。
そういう方は、どの道に進んでも強い。
――吾輩、この御仁の先を楽しみにしておるぞ。
それにしてもじゃ。
求人を眺めておって、そこにアイドルの募集を見つけて応じる。
――こんな入り方をされた方が、後に一座を代表して夜半の語りの番組の主を務めることになる。
そして最も年長の者として、皆を見送る側に回られた。
――順番というのは、こうして巡ってくるものでござるな。
お主も、いま目の前にある募集や誘いを軽く見ぬほうが良いぞ。
――何がどこへ繋がるか、その時には分からぬものなのじゃ。
【昼は勤め人!?大卒一号にして三十代一号についてのまとめ】
今回は新内眞衣殿について調査してみた!
吾輩は新内眞衣殿に対して、昼は勤め人として働き、幾つもの一番乗りを果たされた歩みと思ったんだがお主は新内眞衣殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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