巷に騒がれる、DAIGO殿:三度目のデビュー!?名を明かすか迷った日について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1978年4月8日、東京都世田谷区にて生誕。本名は内藤大湖。
- 中学部・高等部の在学中に五人組の楽団を結成し、歌い手を務める。
- 2001年、自主の作品を経てインディーズデビュー。後に音楽の違いにより解散。
- 2003年、一人での企画を始動し、名高い音楽家の手により メジャーデビュー。
- 凝った設定が先行し、売り上げは振るわず2007年に封印する。
- 2007年、事務所を移し、三人組の楽団BREAKERZを結成。
- 同年、再びメジャーデビューを果たす。
- 同時期、自ら祖父が元の内閣総理大臣であることを公表。
- 以後、笑いの番組をはじめとした活動にも進出する。
- 俳優、声の仕事、司会もこなす。
- 2015年8月19日、自らの言葉遊びをまとめた辞典が発売される。
- 『24時間テレビ』のチャリティーの走りを完走する。
【三度目のデビューであった】

DAIGO殿は1978年4月8日の生まれ、東京都世田谷区の出にござる。
本名は内藤大湖と申される。
そして、この名の由来も語られておる。
大きい湖のように広い心を持った人間になれ。
その意が込められておるのだそうな。
良い名でござるな。
さて、この御仁の音楽の歩みが、なかなか壮絶でござる。
というのも——
メジャーデビューを三度しておられるのじゃ。
三度でござるぞ。順に申していこう。
まず一度目。
中学部・高等部に通っておられた頃、
五人組の楽団を結成し、歌い手を務められた。
そして数枚の自主の作品を経て、
2001年にインディーズデビューを果たされる。
……ところが、音楽の違いにより解散。
そして二度目でござる。
2003年、一人での企画を始動された。
しかも、その設定が凝っておった。
星から舞い降りたロックの王子でござる。
……なかなかの設定でござるな。
そして名高い音楽家の手を借りてメジャーデビュー。
ところが、設定が先に立ちすぎたのじゃ。
売り上げは振るわず、2007年に封印された。
つまり、この時点で二度失敗しておられる。
二十九の齢でござる。
普通ならば、諦めるところでござろう。
だが、この御仁は諦めなんだ。
そして2007年、事務所を移し、
三人組の楽団を結成される。
そして同じ年に——
三度目のメジャーデビューを果たされたのじゃ。
三度のデビューということについて、
もう少し考えてみようではないか。
一度目の失敗は、まだ若い。
二十三の頃でござる。やり直しも利こう。
だが、二度目の失敗が堪える。
この時、この御仁は二十九であられた。
しかも、名高い音楽家の手を借りての船出でござった。
つまり、最も恵まれた形で出て、それでも駄目だったのじゃ。
言い訳のしようが無い。
そして企画そのものを封印された。
……ここで諦めても、誰も責めまい。
だが、この御仁は同じ年に新しい楽団を作られた。
封印したその年でござるぞ。
落ち込んでおる暇も無かったということでござろう。
そして三度目のデビュー。
この楽団は、いまも続いておる。
三度目の正直、とはよく言うたものでござるな。
ちなみに、この御仁は曲を作る折、
鼻歌や弦の楽器の弾き語りから始められるという。
弦の楽器だけでも成り立つ、
覚えやすく美しい曲が好きなのだと語っておられる。
凝った設定で失敗した御仁が、
行き着いた先がそういう素朴な考え方でござる。
なかなか味わい深いのう。
ちなみに、この御仁の座右の銘も記しておこう。
「我が道を行く」でござる。
そして、この言葉は幼き頃に
祖父からよく聞かされておったものだという。
……この言葉こそ、
この御仁の歩みを言い当てておるのう。
二度失敗しても、三度目をやる。
出自を明かして道を広げる。
軽い口調で喋りながら、問答の番組では正解を続ける。
まさに我が道でござる。
【名を明かすか迷った日】

そして2007年、この御仁は大きな決断をされる。
自ら、祖父が元の内閣総理大臣であることを公表されたのじゃ。
お主ら、これがどれほど重い決断か考えてみよ。
音楽をやっておる者にとって、
こういう出自は諸刃の剣でござる。
確かに名は広まろう。
だが同時に、
「そのおかげで売れておるのだ」と言われる。
曲を聴いてもらう前に、出自で判じられてしまうのじゃ。
そして、この御仁は既に二度失敗しておられた。
三度目でようやく形になりかけたところでござる。
そこへ、この決断でござる。
そして実は、この御仁は迷っておられた。
祖父の名を公表するかどうか、でござる。
その折、親しい音楽家の御仁に相談されたという。
そして、その返しが良い。
「音楽ができなくなるわけじゃない」。
そして——
「家族なんだから何も後ろめたいことない」、と。
……この言葉でござる。
後ろめたいことは何もない。
確かに、その通りでござる。
自分が選んだわけでもない出自を、
恥じる筋合いなど無いのでござるからな。
そして、この御仁は公表された。
その結果どうなったか。
笑いの番組をはじめとした活動へ進出され、
俳優、声の仕事、司会までこなす御仁となられたのじゃ。
音楽ができなくなったか。
否、楽団の活動はいまも続いておる。
あの助言は、正しかったのでござる。
ここで一つ、この御仁の人となりを申しておこう。
温厚で、争いを好まぬ質だという。
そして、その理由も語られておる。
上のご兄姉の激しい言い争いを
傍から眺めておるうちに、
争いに首を突っ込まぬ習性を身につけられたのだそうな。
……なんとも実感のこもった話でござるな。
そして、この温厚さが
後の活動に効いておるのでござろう。
笑いの番組では、いじられ役に回ることも多い。
だが、それを嫌がらぬ。
むしろ、そこで場を和ませておられるのじゃ。
祖父の名を明かすという決断も、
この性分があってこそでござろう。
隠しておれば、いつか誰かに暴かれる。
ならば自分から言うてしまった方が楽でござる。
そして実際、そうされた。
その潔さが、いまの立ち位置を作っておるのでござる。
ここで一つ、この御仁の言葉遊びについても
触れておこう。
日本語の言い回しを数文字の英字に略す遊びでござる。
そして、これが世に広まった。
面白いのは、この遊びが
誰にでも真似できる点でござる。
難しい技も、特別な道具も要らぬ。
だからこそ広まったのでござろう。
そして2015年には辞典まで発売された。
自分の遊びが書物になる。
これほど痛快なこともござるまい。
【未来予想図-DAI語を辞典にするまで】

さて、DAIGO殿の現在(いま)である。
この御仁を語るうえで外せぬのが、
独特の喋り方でござる。
そして、その極めつけが——
DAI語でござる。
言葉を数文字の英字に略して表す遊びじゃ。
お主らも、いくつかは耳にしたことがあろう。
そして2015年8月19日、
この遊びをまとめた辞典が発売されたのじゃ。
辞典でござるぞ。
自分の言葉遊びが、書物になるのでござる。
……そうそう無い話でござるな。
そして、この御仁は意外にも博識でござる。
問答の番組にて、その腕前を幾度も披露しておられるのじゃ。
ある番組の漢字の書き取りの枠では、
一人目として九問続けて正解された。
軽い口調で喋る御仁でござるが、
中身はしっかりしておられるということじゃ。
特技はものまねだという。
先輩の歌い手の真似を、公演でも披露しておられる。
そして、食事の折などを除いて
常に指を抜いた手袋を着けておられるのだそうな。
中には、親しい音楽家から贈られたものもあるという。
さらに、動く絵の物語の大の贔屓でもあられる。
そして、その物語の声を当てておられる御仁と共演された折、
自分の目覚まし時計に声を吹き込んでもらわれたのじゃ。
さらに、その折の願いが後に叶う。
楽団の初の武道館での公演にて、
その御仁の語りが実現したのでござる。
……好きなものは、言うておくものでござるな。
そして、この御仁は
『24時間テレビ』のチャリティーの走りも完走しておられる。
座右の銘は「我が道を行く」。
幼き頃、祖父からよく聞かされておった言葉だという。
二度失敗し、三度目で形にし、
そして出自を明かして道を広げられた。
まさに、我が道を行かれた御仁でござる。
この御仁の交友についても、少し記しておこう。
親しくしておられる音楽家が二人おられる。
一人は兄貴分として慕っておられる御仁で、
週に五度も共に食事をするほどの仲だという。
……週五でござるぞ。
もう一人については「神であり最高の先輩」と
語っておられるのじゃ。
そして、この二人と出会うたきっかけも面白い。
後者の公演を観に行った折、
その熱心な贔屓であった前者と出会われたのだそうな。
つまり、客席での出会いでござる。
そして、その縁がいまも続いておる。
祖父の名を明かすか迷った折に相談されたのも、
この御仁でござった。
良き友を持たれたものでござるな。
そして、この御仁の好物も可笑しい。
寿司、拉麺、焼肉——ここまでは分かる。
だが、そこに駄菓子が並ぶのじゃ。
しかも、ある菓子については
「一途に好き」と語っておられるという。
……一途に好き、でござるぞ。
王子の設定で売り出そうとした御仁が、
駄菓子を一途に好いておられるのでござる。
この飾らなさこそが、
三度目で当たった理由なのやもしれぬのう。
ちなみに、この御仁は競馬も好まれるという。
そして、その好きが高じて
番組まで担当しておられるのじゃ。
好きなものを仕事にする。
この御仁は、それが上手いのでござるな。
動く絵の物語も、
駄菓子も、
そして競馬も。
好きだと言い続けておると、
いつか仕事の側から声が掛かる。
この御仁の歩みは、それを教えてくれるのう。
二度失敗し、三度目で立ち上がり、
そして出自を明かして道を広げられた。
そして、この御仁は俳優としても、
声の仕事としても、司会としても働いておられる。
音楽だけでは食えぬ時期を二度も味わった御仁じゃ。
ゆえに、できることは何でもやる。
その構えが、いまの姿を作っておるのでござろう。
そして楽団の活動も、いまなお続いておる。
二度失敗しても音楽を捨てなかった。
そこが、この御仁の一番の見どころでござる。
ちなみに、この御仁は楽団での担当は歌のみでござるが、
公演では弦の楽器や鍵盤を弾く曲もあるという。
さらに踊り手と共に踊りながら歌う曲もあるそうな。
歌い、弾き、踊る。
王子の設定は封印されたが、
見せることへの熱は消えておらぬのでござる。
そして、この御仁の名の由来をもう一度思い出してみよ。
大きい湖のように広い心を持った人間になれ。
二度の失敗も、出自を明かす決断も、
広い心が無ければ乗り越えられなんだであろう。
名は体を表す、とはよく言うたものでござるな。
この先どのような音がお主らの耳に届くか、吾輩も楽しみにしておるぞ。
【三度目のデビュー!?名を明かすか迷った日についてのまとめ】
今回はDAIGO殿について調査してみた!
吾輩はDAIGO殿に対して、二度失敗し、三度目で立ち上がった我が道を行く侍、と思ったんだがお主はDAIGO殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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