巷に騒がれる、井上咲楽殿:百キロを走り切った健脚と、眉を変えてから広がった道について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1999年10月2日、栃木県芳賀郡益子町のお生まれ
- 栃木県立茂木高等学校を卒業しておられる
- 2015年、事務所の催しにて賞を受けて世に出られる
- 2017年より、朝の子ども番組にて曜日ごとの役を務められる
- 2021年、刑事の芝居にて役者としても世に出られる
- 2022年4月より、長寿番組の八代目の助手を務められる
- 2025年5月、初めての料理の本を世に出される
- 同年9月、その本が料理の本の賞を受けられる
【眉が看板であった頃】

巷で井上咲楽殿と申せば、かつては太い眉が看板であった御仁じゃ。
1999年10月2日、栃木県芳賀郡益子町のお生まれ。そして2015年、事務所の催しにて賞を受けて世に出られた。――十五、六の齢でござる。
面白いのは、その催しでこの御仁が披露されたものでな。――一人で漫才をやり、さらに海の向こうの喜劇役者の物真似までやってのけられた。
お主、想像してみよ。見目を競う催しの舞台で、一人漫才と物真似をやるのでござるぞ。――普通は、そんな者はおらぬ。
そして芸の名を決める折も、また変わっておってな。この御仁が挙げられた候補には、なかなか大胆な名も混じっておったという。――結局は本名に近い形に落ち着かれたわけじゃが、その候補の並びを見るだけで人柄が知れよう。
そして世に知られるきっかけとなったのが、あの眉でござる。
太い眉と、結い上げた髪。――一度見れば忘れられぬ姿であった。
だが2020年の暮れ、この御仁は初めて眉に鋏を入れられた。
番組の中でのことであったが、その変わりようは大いに世を沸かせた。
――ここで、吾輩が面白いと思うたことがある。
看板であったものを、自ら手放す。――これは、なかなかできることではない。
しかも後にこの御仁は、こうも語っておられる。毛の根が強すぎて、一週間で元に戻ると。――なんとも豪快な話ではないか。
つまりこの御仁にとって眉は、捨てたものではなく、いつでも戻せる持ち駒だったのでござる。
この御仁の生まれた土地についても触れておこう。――栃木県の芳賀郡益子町でござる。
焼き物で知られる、山に近い土地じゃな。――そういう場所で育たれたことが、後の健脚につながっておるのかもしれぬ。
そして高校は栃木県立茂木高等学校を出ておられる。――学び舎の頃には、運動会で応援の副団長を務め、学級の委員も三年続けて担われたという。
――人の前に立つことを、厭わぬ質であられたわけじゃ。
また、負けず嫌いな性分でもあられたようでな。学び舎の教室で組み合いの喧嘩をしたという話まで残っておる。――なんとも豪快な娘御であったのじゃな。
そして空手の道場にも通っておられたという。――走る話が出てくる前から、身体を動かすことがお好きだったのでござろう。
世に出るきっかけとなった催しについて、もう少し。
この御仁が受けられたのは、見目の良さを競う類の催しでござった。――そこで一人漫才と物真似をやる者が、どこにおろうか。
普通ならば、美しく見せることに全てを注ぐところじゃ。――だがこの御仁は、笑わせる方を選ばれた。
そしてそれが、賞につながった。――人と同じことをせぬ。この御仁の強さは、初めから表れておったわけじゃ。
【百キロを走り切る健脚】

さて、ここからがこの御仁の最も凄まじいところじゃ。――走るのでござる。
しかも、ただ走るのではない。
2019年には都の大きな走りの催しを三時間五十三分ほどで走り切っておられる。――初めての挑戦で、この記録じゃ。
そして年を追うごとに、記録は伸びていく。2024年には三時間二十六分ほど、2025年には三時間二十四分ほど。――素人の域を、完全に超えておる。
さらに2025年の秋には、海の向こうの大きな催しにも挑まれ、こちらも三時間二十五分ほどで走り切っておられる。
だが、これで終わらぬのがこの御仁じゃ。
2023年の夏、番組の企みにおいて百キロを走るという無茶に挑まれた。
百キロでござるぞ、百キロ。――そしてこの御仁は、十六時間半で走り切られた。
参加された十八人のうち、走り切れたのは六人。そして女子でただ一人の完走であったという。――しかも四位でござる。
翌2024年には同じ企みで頂を狙える立場と見られておったが、深夜に医の判断で止められ、途中で退くことになった。そして悔しさのあまり、大いに涙されたという。――ここに、この御仁の本気が表れておろう。
さらに2025年の夏には、山道を百キロ走る催しにも挑み、十七時間ほどで走り切っておられる。
――お主、もはや芸人の域を超えておると思わぬか。
そもそもこの御仁、中学では球技の部に入っておられた。長い距離は得意だが、短い距離は苦手だという。――なるほど、生まれ持った質がそのまま活きておるわけじゃな。
走るということについて、少し語らせてくれ。
都の大きな走りの催しを三時間半で走り切るというのは、――お主、これがどれほどのことか分かるか。
四十二キロを、一キロあたり五分ほどの速さで休まず走り続けるということでござる。――日頃から相当に走り込んでおらねば、届かぬ記録じゃ。
しかもこの御仁は、年を追うごとに記録を縮めておられる。――続けておるだけでなく、伸びておるのじゃ。
そして百キロの企みでは、医の判断で止められて涙されたという。
――ここが良い。本気でなければ、涙は出ぬのでな。
多くの者にとって、番組の企みは仕事でござる。――だがこの御仁にとっては、本気の勝負であったということじゃ。
そして翌年には山道を百キロ走っておられる。――悔しさを、次の挑戦にぶつけておられるのでござる。
走ることについて、もうひとつ。
走るという行いは、誤魔化しの利かぬものでござる。――稽古を積んだ分だけ速くなり、怠けた分だけ遅くなる。
そして記録は数字で残る。――言い訳のしようがないのじゃ。
芸の世界というのは、評価が曖昧になりがちな場でござる。――受けたか受けなかったか、そのときの空気次第で変わってしまう。
そういう世界に生きる御仁が、数字で結果の出る場に身を置いておられる。――これは、心の支えになるはずじゃ。
【未来予想図-新婚さんの八代目に】

さて、この御仁の現在(いま)の話をいたそう。
2022年4月、この御仁は大きな役目を任される。――長きにわたって続いておる番組の、八代目の助手でござる。
しかも前任の御仁は、その番組の顔として長く親しまれてきた大先輩じゃ。――その後を継ぐのでござる。
この御仁は、前任の方と同じ日に生まれておられるという。そして「あの方のように務めたい」と語っておられる。――なんとも縁のある話じゃな。
そして近ごろでは、また新しい顔を見せておられる。――料理でござる。
2025年5月に初めての料理の本を世に出され、同じ年の9月には、その本が料理の本の賞を受けられた。
――芸人であり、役者であり、走る者であり、そして料理の本まで出す。
この御仁の引き出しは、数え上げるのが面倒になるほど多いのでござる。
さらに申せば、この御仁は国の政や選挙にも関心をお持ちでな。選挙の時期になれば夜行の乗合で各地を回られるという。――五十か所近くを回られたこともあるとか。
そして配信の場では、国の議員に話を聞く企みも担っておられた。――これも、芸人の枠には収まらぬ働きぶりじゃ。
未来予想図を描くとするならば、この御仁はこれからも「何にでも足を突っ込む御仁」であり続けるであろう。
眉を切り、髪を切り、百キロを走り、料理の本を出し、そして議員に話を聞きに行く。
――興味を持ったら、すぐ動く。この御仁の強さは、そこにあるのでござる。
料理の本について、もう少し。
2025年に出された初めての料理の本が、その年のうちに賞を受けておられる。――出してすぐの受賞でござる。
料理の本というのは、世に数え切れぬほどある。その中で選ばれるというのは、――中身が確かであったということじゃ。
走る者にとって、食べることは稽古の一部でござる。――日々の膳を整えねば、身体が持たぬのでな。
つまりこの御仁の料理は、走ることと地続きなのであろう。
そして選挙の時期に各地を回るという話も、考えてみれば体力あってのことじゃ。
――走る、作る、動く。全てが一本につながっておる。
この御仁の面白さは、そこにあると吾輩は思うておるのでござる。
長寿の番組の助手という役目についても、少し。
あの番組は、何十年と続いてきたものでござる。――その助手を任されるというのは、看板の一部を預けられるということじゃ。
しかも相手は、所帯を持ったばかりの者たちでござる。――話を引き出し、笑いに変え、それでいて失礼にならぬようにせねばならぬ。
これは、なかなかの難役でござるぞ。
――若い御仁が任されたということは、それだけ聞く力を認められたということであろう。
眉を切り、髪を切り、そして新しい役目を引き受けていく。――この御仁は、変わることを恐れておられぬのじゃ。
【百キロを完走!?眉を変えてから広がった道についてのまとめ】
今回は井上咲楽殿について調査してみた!
吾輩は井上咲楽殿に対して、百キロを走り切る健脚と、自ら道を広げていく行動力の持ち主と思ったんだがお主は井上咲楽殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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