巷に騒がれる、中川大志殿:二度目の声掛けで決められた道と、日本アカデミー賞新人賞について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1998年6月14日、東京都のお生まれ。五つの頃に茨城へ移られる
- 三つの齢から踊りを習い、舞台に立つことを覚えられる
- 小学四年の折、原宿で声を掛けられるも一度は断られる
- 数日後、同じ相手に再び声を掛けられ、小学五年で事務所へ
- 2009年、番組の再現の映像にて子役として世に出られる
- 2011年、話題の芝居にて長男を演じ広く注目を集められる
- 2017年3月、高校を卒業。大学へは進まず俳優の道を選ばれる
- 2019年、二本の映画での演技により日本アカデミー賞新人俳優賞を受けられる
- 2021年4月、初めての冠の放送が始まる
【3歳から踊っておった日々】

中川大志殿は1998年6月14日のお生まれ。東京都の出でござるが、五つの頃に茨城へ移られた。
公にされておる書きつけでは東京の出とされておる。幼い頃のほとんどを東京で過ごされ、学び舎の時分は東京で仕事をしながら、茨城で学びと部活に励んでおられた。
この道の入り口は踊りであった。三つの齢からジャズダンスを習い始め、舞台に立ち始めておられる。
2008年には舞台のミュージカルにも出演。十にも満たぬ齢で、既に人前に立つ経験を積んでおられたわけじゃ。
お名前の由来も良い。「大志」という名は、かの「少年よ大志を抱け」にちなんで付けられたという。
――なんとも大きな名でござる。そしてこの御仁は、その名に恥じぬ歩みをしてこられた。
子供の頃は球を蹴る少年で、将来の夢は世界の大会に出ることであったそうな。――踊りと球技。どちらも体を使うものでござる。
なお、交際にまつわる話も巷では賑やかじゃ。だが手繰ってみても確かな出所は、どこにも辿れなんだ。ご本人が公にしておられることの中に、その手の話は見当たらぬのでござる。
人柄を当てこするような物言いも同じことじゃ。心の中など、外から見えるものではない。この書記では、そうした書き方はやらぬ。
三つの齢から踊るということについて、少し語らせてくれ。
踊りというのは、体で覚えるものでござる。――頭で理解するより先に、身体が動くようになる。
そして幼いうちに始めた者ほど、その染み込み方が深い。――後から始めた者では、なかなか追いつけぬ。
この御仁が画面の中で見せる立ち居振る舞いの美しさは、この頃に作られたものであろう。
そして球を蹴る少年でもあられた。――踊りと球技、どちらも体を使うものじゃ。
身体をどう動かすかを、幼き頃からずっと考えてこられたわけでござる。
役者という仕事は、顔だけでできるものではない。――背中でも、指先でも語らねばならぬ。
その土台が、三つの齢から積まれておったのじゃ。
名の由来についても、もう少し語らせてくれ。
「大志」という名は、海の向こうから来た教育者が残した言葉に由来するという。
――少年よ、大きな志を抱け。
この言葉を名に込められたということは、親御がそれだけの願いを託されたということでござる。
そして面白いのは、この御仁が実際にその通りに生きておられることじゃ。
十八で大学へ進まぬと決め、俳優一筋でやると公にされた。――志を抱いて、その通りに歩んでおられる。
名は体を表すと申すが、これほど言い得た例も珍しかろう。
【2度目のスカウトで決めた道】

さて、この御仁がこの道へ入った経緯が、まことに面白い。
小学四年の折、親御と出掛けた原宿で声を掛けられたのじゃ。
ところが、この時は一度断っておられる。――十かそこらの子が、差し出された話を断ったわけよ。
だが数日後、また同じ人に声を掛けられる。ここで気持ちが動いた。
踊りやミュージカルで舞台に立つ楽しさを既に知っておられたことから、「やってみたい」という思いが強くなり、小学五年の時に事務所へ所属されたのである。
――一度断って、二度目に受ける。この間に、ご自身の中で答えが出たということじゃ。流されて決めたのではない。
2009年、番組の再現の映像で子役として世に出られる。翌2010年の秋には映画にも出られた。
2011年の春には公開の審査に合格し、同じ年の秋から誌面の男子の顔としても登場されておる。
そして同じ年の秋、大きな転機が来る。話題となった芝居で長男を演じ、広く注目を集められたのじゃ。
――この作品は、当時たいそうな評判となった一本でござる。その中で、十三の少年が確かな存在感を示された。
一度断るということについて、もう少し。
十かそこらの子が、大人からの誘いを断る。――これは、なかなかできることではない。
その年頃であれば、褒められれば嬉しく、誘われれば頷いてしまうものじゃ。――だがこの御仁は、断られた。
そして数日後、同じ相手にまた声を掛けられて受けられた。
――その数日で、己の中の答えを出されたのでござる。
つまり流されて入った道ではない。考えて、決めて、そして入られた。
この違いは、後々まで効いてくる。――己で決めた者は、辛いときに逃げぬのでな。
十八で「俳優一筋」と決められたのも、小学四年のあの数日と、どこかで地続きなのであろう。
世に知られるようになった芝居についても、もう少し触れておこう。
2011年の秋に放送されたその作品は、当時としては途方もない評判となった一本でござる。
そこでこの御仁が演じられたのは、ある家の長男の役どころであった。
――十三の齢でござる。
大人の役者に混じって、重い芝居を成り立たせねばならぬ。――生半可な力では務まらぬ役でござった。
そしてこの一本で、この御仁の名は一気に世へ広まる。
――三つの齢から積んできたものが、ここで花開いたわけじゃ。
【未来予想図-俳優一筋の道】

十三といえば、まだ中学生である。学校では茨城で普通の生徒として過ごし、東京では大きな作品の現場に立つ。――この二重の暮らしを続けておられた。
学び舎の時分は、学びも部活動も茨城で続けておられたという。仕事のために学校を離れるのではなく、両方をきちんと回しておられた。
2017年3月、高校を卒業。そしてここで、この御仁は一つの決断を公にされる。
――大学には進学せず、俳優一筋で仕事をしていくと発表されたのじゃ。十八の齢での決断である。
その二年後、決断が形になる。2019年、二本の映画での演技により、第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞された。
2020年の上半期には、宣伝の露出の伸びを調べた順位で一位を獲得。――顔が世に広まった年であった。
面白いのが、放送への思いである。子供の頃から放送の語り手にも憧れておられ、その思いを言い続けたことが関わる者の耳に留まったという。
そして2021年4月、初の冠の放送が始まった。――言い続ければ、届くことがあるということじゃ。これは先の「二度目の声掛けで受けた」話とも通じておる。
2024年の秋には自らの会も開かれ、同じ年の暮れには記念の催しも開かれておる。
――三つの齢から踊り、十かそこらで一度断り、十八で俳優一筋と決め、そして二十歳そこそこで新人賞を手にされた。
この御仁の歩みには、いつも己で決めた跡が残っておるのでござる。
二重の暮らしについても、もう少し語っておこう。
茨城で学び舎に通い、部活動もこなし、そして東京の現場にも立つ。
――移る時だけでも、相当な負担でござる。
しかも中学生の齢じゃ。――体力も、気力も、削られたはずでござる。
それでもこの御仁は、どちらも投げ出さなんだ。
仕事のために学びを捨てるのでもなく、学びのために仕事を断るのでもない。――両方を回された。
この時期に身につけた「二つを同時に回す力」が、後の働きぶりを支えておるのでござろう。
放送への思いを言い続けて叶えられた話も、同じ筋の話じゃ。――諦めずに言い続ける。
断ってから受けたことも、言い続けて叶えたことも、根っこは同じでござる。
新人賞について、もう少し。
日ノ本で最も名の知れた映画の賞において、新人として選ばれるというのは――若い役者にとって最も大きな誉れの一つでござる。
しかもこの御仁は、二本の作品での演技をまとめて評されておられる。
つまり一発当たりではない。――続けて良い仕事をしたと認められたのじゃ。
そして受賞の翌年には、宣伝の露出の伸びを調べた順位でも一位を取られた。
――評価と人気の両方を、同じ時期に手にされたわけでござる。
これは、なかなかできることではない。
評価が高くとも知られておらぬ者もおれば、知られておっても評価の低い者もおる。――その両方を揃えられた。
十八で決めた「俳優一筋」という言葉が、二年で形になったということでござる。
そして近ごろでは、己の会も開かれ、記念の催しも催しておられる。
――見てくれる者との縁を、大事にしておられるのじゃな。
三つの齢から踊り、十で一度断り、十三で世に知られ、十八で俳優一筋と決め、二十で新人賞を手にされた。
――こう並べてみると、この御仁の歩みに一度も途切れが無いことに気づこう。
【中川大志殿は2度目のスカウトで決めた!?日本アカデミー賞新人賞についてのまとめ】
今回は中川大志殿について調査してみた!
吾輩は中川大志殿に対して、一度断ってから己で決め、俳優一筋を貫いておられる御仁と思ったんだがお主は中川大志殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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