英国大学院を出たDoramonが気になる方の英語に関する情報をピックアップ!!
数々のセリエA名門クラブチームで活躍された中田英寿さんのご紹介です。
ベルマーレ平塚からペルージャへ移籍されたときテンションが上がりました。
当時は今ほど世界のクラブチームで活躍できる日本の選手は多くありませんでした。
そして、ペルージャ1年目に決めたピアチェンツァ戦でのオーバーヘッドキックシュート!
あれから20年以上たちますが、記憶は鮮明です。
絶妙のポジショニングと完璧なタイミングでした。
現在も実業家として世界を飛び回れています。
早いうちからその準備をされていました。
中田英寿さんの略歴
1977年1月22日山梨県甲府市で誕生されました。
サッカーを始められたのは小学校3年生からです。
日本代表デビューは中学3年生です。
当時から意識されていたかはわかりませんが、世界での活躍を視野に入れてフィジカルトレーニングを重視されていたようです。
それが代表選出のポイントとなりました。
1995年にベルマーレ平塚でプロデビュー。
そして1998年からイタリア、ペルージャへ。
サッカー日本代表として、”マイアミの奇跡”、”ジョホールバルの歓喜”時の中心選手の一人として活躍されました。
中田英寿さんの英語学習方法
早いうちにイメージを持ち準備する
高校時代から世界での活躍を視野に入れて語学学習に取り組んでいます。
英語とイタリア語の習得に時間をかけていたようです。
先見の明ですね。
そのかいもあり、イタリア生活2か月目からは通訳を介せずにコミュニケーションされていました。
アウトプットと反復練習
イタリア時代には家庭教師にお願いして英語学習に取り組まれました。
積極的にアウトプットする機会を設けました。
セリエAには世界中から選手が集まります。
イタリア語ももちろんですが、英語ができるとチャンスが広がります。
中田さんは努力を怠らないストイックで優秀な方です。
さらに、マネージャーさんは英語と日本語のバイリンガルでした。
会話のパートナーとして最適です。
反復練習し確実に語学能力を向上させていったことがうかがえます。
まとめ
超絶努力家の中田英寿さんです。
高校時代に夢見た、イタリアでのサッカー生活を実現します。
習得したイタリア語、英語を駆使し、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語もある程度理解できるようです。
まさに国際人!
何事にも準備を欠かさずに、先を見てプランを立てています。
チャンスはそうそうやってくるものではなく、備えていた者だけがつかめる可能性があります。
イタリア語の準備をしていたから、順調にセリエAへ移籍することができました。
英語を勉強していたから、実業家として国際社会での活躍の場に出会うことができました。
現在は日本の技術や文化を世界へ伝える活動をされています。
今後の”世界というフィールド“での活躍も期待大です!
千里も道も一歩から。Just do it!!