英国大学院を出たDoramonが気になる方の英語に関する情報をピックアップ!!
実力派俳優、平成仮面ライダー第1作目、”仮面ライダークウガ”で主演を務められた、オダギリジョーさんのご紹介です。
作中のセリフ、”だって俺クウガだもん”が当時衝撃的過ぎたことを覚えています。
素敵な俳優ですが、もともとは映画監督を目指されていたようです。
その英語力には定評がありますが、その力はどのように習得されたのでしょうか?
詳しくて見ていきましょう!
オダギリジョーさんの略歴
- 1976年2月16日 – 岡山県津山市に生まれる。
- 20歳 – カリフォルニア州立大学フレズノ校に留学、間違えて演劇学を専攻することに。
- 1999年 – 舞台『DREAM OF PASSION』で俳優デビュー。
- 2000年 – テレビドラマ『仮面ライダークウガ』で主人公を演じる。
- 2003年 – 映画『アカルイミライ』で初主演し、カンヌ国際映画祭に出品。
- 2004年 – 映画『血と骨』でビートたけしの息子役を演じる。
- 2005年 – 映画『オペレッタ狸御殿』と『メゾン・ド・ヒミコ』に主演。
- 2007年 – 自らの脚本・監督作『さくらな人たち』を撮影。
- 2007年12月27日 – 女優香椎由宇と結婚。
- 2015年 – 主演作品『FOUJITA』が第28回東京国際映画祭に出品。
- 2019年 – 初の長編映画監督作品『ある船頭の話』がベネチア国際映画祭に選出。
- 2021年1月30日 – 『津山国際環境映画祭』で『ある船頭の話』上映。
- 2021年9月 – NHKドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!) このヤロウ』で脚本・演出・出演・編集を担当。
- 2021年11月 – 連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で朝ドラに初出演。
- 2022年 – 東京ドラマアウォードで『オリバーな犬、(Gosh!!) このヤロウ』が作品賞、自身が助演男優賞を受賞。
1976年2月16日岡山県津山市で誕生されました。
幼少期の多くの時間を映画館で過ごしたことで、映画監督に憧れるようになりました。
1999年に芸能世界へと飛び込まれました。
多くのドラマ、映画、ドキュメンタリーに出演されています。
実力演技派俳優ですが、最近では監督作品も増えてきています。
オダギリジョーさんの英語学習方法
幼少期に映画館で時間を過ごした
家庭の都合で、映画館に預けられてそこで時間を過ごすことが多かったようです。
多くの作品に出会うきっかけとなったかと思います。
俳優になりたいのではなく、監督になりたいと思うところが、オダギリさんらしいです。
きっと自分ならこういう風に撮るといった考えをめぐらしながら、映像作品に向かい合っていたのでしょう。
国立大学への進学を辞めアメリカ留学へ
母上を安心させるために、必死に勉強して国立高知大学理工学部に合格されました。
必要書類、入学金をもって校門の前に来たところ、疑問が湧いたそうです。
”本当にやりたいことがここにあるのか?”と。
踵を返し家に帰り、母上と話されたそうです。
このお金をもとにアメリカヘ留学し、映画に関することを学ぶことが本当にやりたいことだと。
そして、カリフォルニア州立大学フレズノ校へ留学されました。
演出コースに入学予定でしたが、間違って演劇学を専攻してしまったとか。
結果として実力演技派俳優オダギリジョーさんが誕生することになるので、これでよかったのでしょう。
全編英語の作品に出演
2006年の作品、映画”BIG RIVER”で主演を務められました。
全編英語でかなりの英語力がないとできないことです。
オオギリさんの役はさすらいの日本人バックパッカーでした。
友情を描いたステキなロードムービーです!
まとめ
幼少期を映画館で過ごし感性を養いました。
いつか映画監督になるという夢を持ち、オダギリ青年は単身アメリカ留学を決意されました。
手違いで演劇学を専攻してしまったがゆえに、実力演技派俳優”オダギリジョー”が誕生しました。
その英語力は確かなものです。
全編英語の作品にも華麗に出演されました。
ここ最近では夢であった映画監督の世界へとシフトチェンジを行っているようです。
オダギリジョー監督作品が世界に届けられるのを心待ちにしています!
A New Hero. A New Legend.
千里も道も一歩から。Just do it!!
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