巷に騒がれる、山下智久殿:あしたのジョーで8.5キロ減!?役作りの凄みについて、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1985年4月9日:千葉県船橋市にて生誕。
- 1996年:ジャニーズ事務所入所。
- 1998年6月:生田斗真と2人でB.I.G. East(後にB.I.G.へ改名)活動。
- 1999年:『っポイ!』連続ドラマ初主演。
- 2002年:生田斗真、長谷川純、風間俊介とFour Tops結成。
- 2003年11月7日:NEWS「NEWSニッポン」CDデビュー。
- 2005年11月:亀梨和也と修二と彰結成、「青春アミーゴ」発売。
- 2006年:『クロサギ』連続ドラマ単独初主演。
- 2007年:ドラマ『プロポーズ大作戦』月9初主演。
- 2008年:『映画 クロサギ』映画初出演・初主演。
- 2009年11月21日:初ソロコンサート「SHORT BUT SWEET」開催。
- 2011年:NEWS脱退、ソロ活動専念。
- 2011年11月:『山下智久・ルート66〜たった一人のアメリカ』アメリカ横断。
- 2012年:ワーナーミュージック・ジャパン移籍。
- 2019年:国際連続ドラマ『THE HEAD』出演。
- 2020年10月31日:ジャニーズ事務所退所。
- 2021年:ブルガリとDiorアンバサダー就任。
- 2022年2月16日:独立後初シングル「Face To Face」リリース。
- 2024年4月期:ドラマ『ブルーモーメント』主演。
【役のために作られた体】

まず、はっきりさせておかねばならぬことがある。巷では、ある低い体脂肪の率を常に保っておるかのような言い方が広まっておるが、これは事実の取り違えじゃ。
この数値が記録されておるのは、平成23年2月に公開された映画『あしたのジョー』の役作りの折のものである。
つまり、常にその体であったわけではない。一本の映画のために、期間を区切って作られた体なのじゃ。
だが、そう分かった上で見ると、この話はむしろ凄みを増す。普段の体ではないものを、わざわざ作り上げたということだからよ。
その内訳がこうじゃ。3か月以上にわたって過酷な稽古を積み、8.5キロを落とし、そして鍛え上げた体で撮影に臨まれた。
『あしたのジョー』は、ボクシングの物語である。しかも主人公は、減量に苦しみながら戦う男じゃ。生半可な体では、画面が嘘になる。
8.5キロというのは、相当な数字である。しかも落とすだけではならぬ。筋を残したまま落とさねば、動けぬ体になってしまう。
そのうえで「本気のボクシングシーン」を演じ切られた。殴られ、殴り返す場面を、作り物に見せずにやり遂げるということじゃ。
なお、稽古の中身や器具の重さについて細かく書かれた読み物も見かけるが、吾輩が手繰ってみても確かな出所は辿れなんだ。ゆえに、ここでは数字を並べぬ。
【3か月以上を費やした役作り】

役のために体を作るという話は、聞こえは格好良い。だが実際にやるとなれば、これほど地味で辛いことも無い。
三か月というのは、長い。その間ずっと食べたいものを我慢し、稽古を重ね続けるのじゃ。しかも撮影が始まれば、その体を維持せねばならぬ。
この御仁の歩みを見れば、こうした積み重ねが特別でないことが分かる。十一の歳、平成8年に母上に頼んで履歴書を送り、この道へ入られた。
初めてJr.として番組に出ることになった日、学校ではしゃぎすぎて骨折してしまわれた。医者からは手術を勧められたという。
ところが痛み止めを飲み、ギプスをして収録に参加された。そのおかげで「お前、根性あるな」と評され、次の週からも続けて稽古に呼ばれるようになったそうな。
十一の歳で、既にこの気質である。体を張ることを厭わぬ質は、若い時分から変わっておらぬ。
学業の面でも同じことが言える。平成16年に堀越高等学校を卒業し、同年4月に明治大学商学部へ進学。
そして平成20年、組での活動に加えて俳優としても評判となり、日程が過密を極める中で明治大学商学部を卒業しておられる。
映画に初出演して初主演も務めた年に、大学も出ておられるのじゃ。役のために体を作るのも、忙しい中で単位を積むのも、根は同じ。決めたことを、決めた通りにやり切るということよ。
【未来予想図-最前線で活躍継続】

この御仁の歩みで、もう一つ見事なのが語学への向き合い方じゃ。小学6年の夏休みの一か月、ロサンゼルスへ連れて行ってもらったことが切っ掛けで、海の向こうの文化に憧れを持たれた。
「いつか英語が話せるようになりたい」との思いを抱き続け、大人になってから独学で学習を始められた。
その学び方が理に適っておる。教材で学ぶだけでなく、友との会話も、電子の便りも全て英語にされたという。
つまり、英語を使う場所を自分で作られたのじゃ。これは語学において最も効くやり方である。
私生活でもロサンゼルスの俳優の学び舎に通い、演技と発音の稽古を受けておられる。役者としての技も、言葉と一緒に磨いてこられた。
令和2年10月をもって長く籍を置いた事務所を離れ、同年11月からは独立して、日本のほか海外にも活動の場を広げておられる。
平成30年6月20日には中国で人気のある短文投稿の場に公式の場を開かれた。所属していた事務所の者が常設でそうした場を持つのは、当時としては初のことであった。
令和元年5月に開かれた写真の場は、当時世界で二番目の速さとなる7時間半で百万人に届いた。後には日本の男性の芸能人で最も多い数となっておる。
十一の歳で入所し、十四の歳で連続ドラマ初主演。デビュー前から数多くの話題作に出ておられた。Jr.の二代目のまとめ役にも就いておられる。
平成15年9月にNEWSの一員に選ばれ、同年11月にCDデビュー。脱退する平成23年まで、組のまとめ役と中心を務められた。
役のために体を作り、忙しい中で大学を出て、大人になってから英語を身につける。どれも、決めたことをやり切る力の表れじゃ。
英語を学び直された動機も良い。海の向こうの現場で、その土地の俳優や裏方と交わる機会が増えたことが切っ掛けであったという。必要に迫られて始められたわけじゃ。
祖母君の姉君がアメリカの方と結ばれておられたため、幼い頃から異国の方と交わる機会があったことも、英語への関心の元になったと公にしておられる。
ロサンゼルスで俳優の稽古を受けるというのは、相当に思い切った話じゃ。既に日本で名を成した者が、言葉の通じにくい土地で一から学び直すのだから。
「継続の力」という言葉が似合う御仁であることは間違いない。令和2年10月に事務所を離れてからも、海の向こうを含めて活動を続けておられる。自らの足で立つと決めた者の歩みじゃ。
ただしそれは、一つの数値を保ち続けたという話ではない。そのつど、必要なものを身につけてきたという話なのじゃ。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
【あしたのジョーで8.5キロ減!?役作りの凄みについてのまとめ】
今回は山下智久殿について調査してみた!
吾輩は山下智久殿に対して、長年筋トレを継続してきた真のストイック侍、と思ったんだがお主は山下智久殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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