巷に騒がれる、あばれる君殿:福島県矢祭町のふるさとと、教職を43年以上続けた厳格な父上について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1986年9月25日:福島県東白川郡矢祭町に生まれる。本名は古張裕起殿。
- 2008年:ワタナベコメディスクールに9期生として入り、2009年にデビュー。駒澤大学法学部の卒業生でもある。
- 2010年:フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』の新メンバーオーディションで3次選考まで進む。
- 2011年3月11日:東日本大震災の津波で、福島県双葉町で避難誘導にあたった警察官の叔父上を亡くす。
- 2013年10月17日:高校の先輩であった一般の女性と結婚。
- 2014年12月5日:故郷の福島県警棚倉警察署で一日警察署長を務める。
- 2015年2月:「R-1ぐらんぷり2015」決勝に進む。
- 2016年6月:第1子が誕生。2021年8月に第2子、2024年8月に第3子。
- 2017年4月22日:テレビ朝日系『こんなところにあるあるが。土曜♥あるある晩餐会』に「親が教師の芸能人」の一人として出る。
- 2024年5月22日:初の著書『自分は、家族なしでは生きていけません。』(ポプラ社)を刊行。父上を「厳格な父」と記す。
- 2024年12月:ほぼ日刊イトイ新聞の和田ラヂヲ殿との対談で、父上が英語の先生であったと語る。
- 2025年8月1日:体験型コミュニティー「あばれる君のアドベンチャークラブ」を本格始動。
【教職43年以上、英語の先生であった父上】
あばれる君殿のふるさとは、福島県東白川郡矢祭町でござる。2021年4月18日に流れたフジテレビ系『爆買い☆スター恩返し』でも、ふるさとの矢祭町へ帰り、町の肉屋や酒蔵で買い物をしておられた。
では、どのような家で育たれたのか。一番確かな手がかりは、2024年5月22日に出された初の著書『自分は、家族なしでは生きていけません。』(ポプラ社)でござる。婦人公論.jpに載った抜粋の書き出しが、これじゃ。
「厳格な父に育てられました。」
続けて「その職業を43年以上続けたのが僕のお父さんであります。」——その職業とは教師でござる。ご本人も社会科の教員免許をお持ちゆえ、「教師という仕事はすごいものだと感じています」とも綴っておられる。
教えておられた科目も、ご本人の口から出ておる。2024年12月29日に公開されたほぼ日刊イトイ新聞の対談で「父親は英語の先生やってたんですけど」と。
父上の朝は、判で押したように決まっておったそうな。「無表情で顔を洗い、四角いメガネをかけて、神棚に向かって二礼二拍手一礼。」フロントガラスまで凍る福島の冬でも、「お父さんは同じ時間に同じ表情で出勤していきます」と書いておられる。
さて、ここへ来られたお主が知りたいのは、金持ちの家であったかどうかであろう。ご本人が家の財を語った言葉はござらぬ。手がかりは二つじゃ。
一つは大学の頃。駒澤大学法学部へ進み東京で暮らされた折のことを、著書に「親から家賃と仕送りをもらい」と書いておられる。息子を東京の大学へ出し、部屋代まで送ってくれる両親であったわけでござる。
もう一つは小学生の頃のクリスマス。2017年4月22日のテレビ朝日系『こんなところにあるあるが。土曜♥あるある晩餐会』に「親が教師の芸能人」の一人として出られ、「ペットが欲しい」と願ったのに、親から贈られたのは「喋る電子辞書」であったと明かされた。
派手な分限者の家ではのうて、学びには銭を惜しまぬ、堅い教師の家——吾輩はそう読む。教員免許を取られた学生の頃の話は【あばれる君】山岳部でインターハイ!?学歴と教員免許に記しておる。
【「お前は町をまたぐつもりか!」と叱られた日々】
厳格な父上の話は、まだござる。ご本人が自分の小遣いでギターを買われた折のこと。
父上はすぐさま「音楽だけでは食べていけないことを詠ったポエム」を書いて、部屋のドアの下から差し入れてこられたという。書き出しは「野球をやっていた息子が音楽に走った」。……読んだあばれる君殿は、涙が出たそうな。
ほぼ日の対談では、父上は「欧米アレルギーだったんです」とも明かしておられる。「だからフライングVも、厳重に押し入れに隠してたんですよ」。スケボーに乗れば「とんでもない不良が乗る乗り物だ!」と叱られた。
極めつけはこれでござる。隣町へ電車で映画を観に行くと告げたところ、「お前は町をまたぐつもりか!」と、こっぴどく叱られたそうな。
ミニ四駆の話は、ちと切ない。小学4年生の頃、週末の大会に父上を誘われた。「なにも買ってもらえなくてもいいからとにかく、自分のマシンが走る姿を一緒に見てほしかったのです。」
ところがレースの直前にマシンが動かなくなり、皆の前で「いじってばっかりいるからダメなんだよ!!」と叱られて、泣かれたという。対談では「厳しい父でしたね。あのときは、ちょっとつらかったです。」と振り返っておられる。
母上も負けてはおらぬ。「うちは、お母さんも怒ってましたよ。両方怒ってました。ステレオで。」叱られた訳は「ごはんの三角食べができなかったんで。」味噌汁、おかず、最後に白いご飯と、一品ずつ平らげる食べ方であったそうな。
ただ、厳しいばかりの父上ではござらぬ。2024年6月18日のマイナビ子育ての聞き書きでは、「父は海釣りとかに連れて行ってくれたりして、楽しい思い出もたくさんある」とも語っておられる。
親族の話も一つ。2011年3月11日、福島県双葉町で警察官を務めておられた叔父上が、避難誘導の最中に津波に呑まれて殉職された。あばれる君殿にとって「自慢の叔父さん」であったと、2021年3月6日のスポーツ報知は伝えておる。
2023年9月1日のTBS NEWS DIGでは、こう語っておられる。「叔父さんは最後まで体を張った。だから、僕も、最後の最後まで体を張り続けようと決めました」。郷里の福島との縁は【あばれる君】一日署長も!?福島に返し続ける歩みに並べておる。
【未来予想図-「田舎生まれでよかった」の先に】
さて、あの厳しかった父上の現在(いま)でござる。マイナビ子育ての聞き書きで、あばれる君殿はこう申された。
「厳しい親父だったんですけど、今はほんとうに丸くなって、優しくていいおじいちゃんです。」
ほぼ日の対談でも「でも、いまお父さん、やさしいんです。」「毎日、おだやかな日々を送っています。」と。趣味は庭いじりだそうで、「こんど言ってやろうて思っています。もしも父の植物が枯れてたら。」——ミニ四駆の日の一言を、そっくり返す腹づもりでござる。
そして実家は、いまや孫たちの遊び場じゃ。「最近では実家に帰ると餅つきやバーベキューをやってくれたり、火おこし体験をさせてくれたり、子どもたちに育てている野菜の収穫を体験させてくれたりします。」
ここで吾輩は膝を打った。2025年8月1日に本格始動した「あばれる君のアドベンチャークラブ」は、日刊スポーツによれば火おこしやキャンプ、旬の野菜の収穫などを子どもらに体験させる場でござる。実家で父上が孫にしておることと、ほとんど同じではないか。
しかもご本人は、父上が子の遊びに加わらなんだことを覚えておられる。「僕の父親が子どもの趣味に興味を持たなかった分、僕は子どもが好きなゲームなどに積極的に参加していきたいなと思っています。」ミニ四駆の大会で寂しかった少年が、いまは子どもの隣に座る父になられたわけじゃ。
若き日は「早く田舎から東京に出たい」と思うておられた御方が、いまは「田舎生まれでよかった」と言う。2021年3月のスポーツ報知では、家族で福島へ移り住むことも視野に入れていると伝えられておった。
吾輩の見立てはこうじゃ。厳格な教師の父上と、遠回りをした息子。その間に孫が入って、ようやく二人が同じ方を向いた。いずれ福島の野山で、祖父と父と孫がそろって、よその子らに火おこしを教える日が来よう。
「町をまたぐつもりか!」と叱られた少年が、いまは子らを連れて富士の麓でキャンプをしておられる。父上も、もう文句は言えまい。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は矢祭町!?教職43年以上の厳格な父についてのまとめ】
今回はあばれる君殿について調査してみた!
ふるさとは福島県東白川郡矢祭町。父上は教職を43年以上続けた英語の先生で、ご本人いわく「厳格な父に育てられました。」
金持ちかどうかを、ご本人は語っておらぬ。ただ大学の頃は「親から家賃と仕送りをもらい」、クリスマスの贈り物は「喋る電子辞書」。学びに銭を惜しまぬ堅い家でござった。
ギターにはポエム、隣町の映画には「お前は町をまたぐつもりか!」。その父上もいまは「優しくていいおじいちゃん」で、実家では孫に火おこしや野菜の収穫をさせておられる。
吾輩はあばれる君殿に対して、厳格な父上の背中を見て育ち、いまは子どもの遊びの隣に座る側へ回った御方、と思ったんだがお主はあばれる君殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
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