巷に騒がれる、石崎ひゅーい殿:名の由来はボウイ!?番号を公開した男について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1984年3月7日、茨城県水戸市にて生誕。「石崎ひゅーい」は本名。
- 幼き日より母上の影響でデヴィッド・ボウイやトム・ウェイツなどの洋楽に触れる。
- 中学3年の折、友に誘われて組んだバンド「mighty duck」にて歌を担当。
- 和光大学1年で同バンドを解散し、2004年10月にロックバンド「astrcoast」を結成。
- 活動中、横浜のライブハウスで音楽家の須藤晃殿と出会う。
- 2010年11月、須藤殿の後押しもありバンドを解散して一人の道へ。
- 2012年7月25日、ミニアルバム『第三惑星交響曲』にてメジャーデビュー。
- 同作はスペースシャワーTV7月度パワープッシュとM-ON8月度レコメンドの二冠を得る。
- 2015年6月、劇団鹿殺しの『彼女の起源』にて客演主演を務め、初めて芝居に挑む。
- 2016年12月、映画『アズミ・ハルコは行方不明』にて映画初出演。
- 2018年、日本テレビ『トドメの接吻』の主題歌となる菅田将暉殿の「さよならエレジー」を提供。
- 2020年7月、映画『糸』の主題歌として菅田将暉殿との連名で「糸」を配信。
【名の由来はデヴィッド・ボウイ】

石崎ひゅーい殿は1984年3月7日の生まれ、茨城県水戸市の出にござる。
まず、この名前じゃ。「石崎ひゅーい」——これが芸名ではなく本名であられる。
由来もはっきりしておる。母上がデヴィッド・ボウイの熱心な贔屓であられ、その息子の「ゾーイ」をもじって名付けられたのだそうな。
我が子の名を、憧れの音楽家の息子から取る。なかなかに思い切った母上でござるな。
ここで、お主らに問いたい。もし己の名がそのように付けられたと知ったら、どう思う?
石崎ひゅーい殿の答えが、また面白いのじゃ。名前そのものに嫌な思いを覚えたことはないという。だが一言添えておられる。
「むしろ『石崎』の方が『ひゅーい』に合わない気がして、あまり好きではない」と。
珍しい方ではなく、ありふれた方が気に入らぬという。この物の見方の裏返り方に、この御仁の性分が出ておるように思えるのう。
母上の影響は名だけに留まらなんだ。幼き日からデヴィッド・ボウイ、トム・ウェイツといった洋楽を聴いて育っておられる。
中学の頃はSPEEDやシャ乱Qといった当時の流行りも好んでおられたが、いま歌い手として尊敬しておられるのは玉置浩二殿、井上陽水殿、吉田拓郎殿とのこと。
ご自身も、楽曲に含まれる幻想めいた要素は母上の影響が出たものだと語っておられる。名も、耳も、作るものまで母上譲りというわけじゃ。
ちなみに「ひゅーい」という名を、ご本人は仕事の場でもそのまま使うておられる。芸名を新たに作る道もあったであろうに、母上の付けた名で世に出ることを選ばれたのじゃ。
もう一つ、意外な過去もお持ちでのう。中学3年の頃はボーイスカウトに所属しておられ、いまでも折に触れてラジオでその頃の話を熱く語られるという。
【中学三年で組んだバンドから】

音楽の道は、中学3年から始まっておる。
友に誘われて組んだバンド「mighty duck」にて歌を担当されたのが最初じゃ。そこから和光大学の1年まで続けられた。
同バンドを解散したのち、2004年10月に「astrcoast」なるロックバンドを結成。ここでも歌を担っておられる。
バンドの名にも触れておこう。中学で組んだのが「mighty duck」、大学で組んだのが「astrcoast」。どちらも英字の名でな、母上から受け継いだ洋楽の耳が、こんなところにも出ておるのう。
そして、道が変わる出会いが訪れた。
astrcoastで動いておる最中、横浜のライブハウスで音楽家の須藤晃殿と出会われたのじゃ。その後押しもあり、2010年11月にバンドを解散して一人の道へ進まれた。
十年以上、仲間と組んでやってきた者が、一人になる。並の決断ではござるまい。
だがその決断は、二年足らずで形になった。2012年7月25日、ミニアルバム『第三惑星交響曲』にてメジャーデビューを果たされたのじゃ。
しかもこの作、スペースシャワーTVの7月度パワープッシュとM-ONの8月度レコメンドを同時に得るという異例の二冠であった。世に出た途端、二つの局が同時に推したということでござる。
さて、ここで一つ、とんでもない話をせねばならぬ。
2015年、「僕がいるぞ!」という曲の映像の中に、石崎ひゅーい殿ご自身の携帯電話の番号が公開されたのじゃ。
しかも飾りではない。3月19日から4月7日までの夕方6時から夜9時のあいだ、かかってきた電話に本人が出るという企画であった。
お主ら、想像してみよ。憧れの歌い手に電話をかけたら、本人が出るのでござるぞ。掛ける方も肝が要るが、出る方はもっと要る。
こういうことを平気でやってしまうところが、この御仁の面白さでござる。
【未来予想図-書いた歌が世に出る】

さて、石崎ひゅーい殿の現在(いま)である。
この御仁の名を広く知らしめたのは、おそらく自分で歌っておらぬ歌でござろう。
2018年1月から放送された日本テレビ『トドメの接吻』の主題歌、菅田将暉殿の「さよならエレジー」。これを書かれたのが石崎ひゅーい殿じゃ。
続いて2020年7月には、映画『糸』の主題歌として菅田将暉殿との連名で中島みゆき殿の「糸」を配信しておられる。
菅田将暉殿との縁は、もう少し前から始まっておった。
2016年5月に世に出た「花瓶の花」という曲がある。これはデビュー前、友の結婚式のために書かれた歌でござった。
その発売の折、菅田将暉殿、蒼井優殿、古市憲寿殿など数多の御仁が言葉を寄せてな、菅田将暉殿は「世界で一番好きなラブソング」と評しておられる。
友の祝いのために書いた一曲が、のちに大きな縁を連れてきたわけじゃ。何が実を結ぶかは、まことに分からぬものでござるな。
この「花瓶の花」を題にした短編映画『花瓶に花』も作られ、2016年の短編映画祭にて優秀賞を受けておる。
歌そのものへの評も高い。ギタリストのマーティ・フリードマン殿からは「歌ってる最中の声に、『震え』がひしひしと感じられる」と評されておられる。
歌の作り方についても、ご本人が語っておられる。生々しく感情を歌い上げる声と、日々の暮らしと空想が混ざり合った歌。その空想めいた部分は母上の影響が出たものだ、と。
舞台での立ち居振る舞いも変わっておられる。弾き語りを見せることもあるが、たいていは歌のみを担い、舞台を所狭しと動き回られる。時折、一風変わった跳び方まで見せるという。
芝居の場にも立っておられる。2015年6月に劇団鹿殺しの舞台で客演主演を務めたのが最初で、2016年12月には映画『アズミ・ハルコは行方不明』にて蒼井優殿の相手役で映画初出演。
近ごろは『パリピ孔明』や『じゃあ、あんたが作ってみろよ』などにも顔を出しておられる。歌い手として世に出た者が、いまや役者としても呼ばれておるということじゃ。
私事の一面も愛らしい。吉田類殿に憧れておられてな、『酒場放浪記』に出た店を巡るのが趣味だという。尾崎世界観殿からは、一学年上であるにもかかわらず「弟みたい」とからかわれるそうな。
母上に付けられた名を背負い、仲間と別れて一人になり、自分の番号を世に晒し、友のために書いた歌が縁を運んできた。
この先どのような歌がお主らの耳に届くか、吾輩も楽しみにしておるぞ。
最後にひとつ申しておこう。この御仁の歩みは、決して華やかなものではなかった。中学三年で仲間と音を鳴らし始め、そこから長く長く、書き続けてきた御仁じゃ。
書いた歌が他の者の口から世に出ていくというのは、作り手にとって何よりの誉れであろう。――己の名は前に出ずとも、言葉だけがどこかの誰かに届いていく。
そして己の番号まで世に晒すという振る舞いよ。普通ならば、恐ろしくてできぬことじゃ。――それでもやってのけたところに、この御仁の人となりがよく表れておると吾輩は思うのじゃ。
【名の由来はボウイ!?番号を公開した男についてのまとめ】
今回は石崎ひゅーい殿について調査してみた!
吾輩は石崎ひゅーい殿に対して、母上に授かった名を背負い、自分の番号まで世に晒した音楽家、と思ったんだがお主は石崎ひゅーい殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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