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巷に騒がれる、佐々木蔵之介殿:広告会社を辞めて舞台へ!?京の造り酒屋の次男について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1968年2月4日: 京都市の造り酒屋・佐々木酒造の3代目、佐々木勝也の次男として生まれる。
- 社会人初期: 広告代理店・大広に新卒で入社。約2年半在籍し、その間、劇団活動と両立。
- 劇団「惑星ピスタチオ」参加: 旗揚げに参加し、1998年の『大切なバカンス』まで出演。
- 上京: 劇団を退団後、テレビドラマや映画へと活動範囲を広げる。
- 2000年: NHK連続テレビ小説『オードリー』に出演し注目を集める。
- 2006年: 映画『間宮兄弟』で映画初主演。
- 2008年: ドラマ『ギラギラ』でゴールデン帯の連続ドラマ初主演。
- 2009年: 主演ドラマ『ハンチョウ〜神南署安積班〜』開始(後にシリーズ化)。
- 2014年: 四代目市川猿之助主演の舞台『スーパー歌舞伎II 空ヲ刻ム者-若き仏師の物語』で歌舞伎デビュー。
- 2015年: 京都国際観光大使に任命。
- 2021年10月30日: 一般女性と結婚を発表。
- 2023年: ドラマ『マイホームヒーロー』主演。
【京の造り酒屋に生まれて】

佐々木蔵之介殿は昭和43年2月4日の生まれ、京都府京都市の出にござる。本名は佐々木秀明殿と申される。
ご実家については、ご本人が公にしておられる。洛中に唯一残る京都市の造り酒屋・佐々木酒造の三代目の次男としてお生まれになった。
これは家業として世に知られておることでござる。ただしそこから暮らし向きを推し量る話となると、確かな出所は見当たらなんだ。ご兄弟の学歴や勤め先も同じことじゃ。
巷にはご兄弟について細かく書かれた読み物もあるが、吾輩が手繰ってみても確かな出所は辿れなんだ。確かめられるのは、兄君と弟君がおられるということまでである。
学び舎はノートルダム学院小学校、京都市立二条中学校、洛南高等学校。そして東京農業大学へ進まれた。
ここからが面白い。三年次に神戸大学農学部へ編入学され、そちらを卒業しておられるのじゃ。大学を移るというのは、簡単な話ではない。
農学を修めたというのも、家業を思えば頷ける選択である。酒造りは、突き詰めれば微生物と穀物の学問だからじゃ。
卒業後は広告代理店の大広に入社された。同期には、ますだおかだの増田英彦殿がおられるという。こういう縁も面白いものよ。
つまりこの御仁は、一度きちんと勤め人になっておられる。役者一筋で来た方ではないのじゃ。
家業を継ぐという道も、目の前にあったはずである。造り酒屋の次男であり、農学まで修めておられるのだから。
それでも別の道を選ばれた。しかも一度は会社に入り、そこからさらに動かれた。回り道に見えて、どの選択もご自身で決めておられる。
【会社を辞めて舞台へ】

勤めながら、この御仁は劇団の活動も続けておられた。昼は会社、夜は稽古場という日々である。
平成2年、劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げ公演に参加。ここから看板役者として、退団まで全作品に出演された。
だが、二足の草鞋はいつまでも続かぬ。約二年半の大阪本社勤務ののち、会社を退社して劇団の活動に専念する道を選ばれた。
二十代の半ばである。大学まで出て入った会社を、二年半で辞める。ご家族はどう思われたであろうか。
平成10年の『大切なバカンス』を最後に劇団を退団し、上京された。この時のことを弟君は「突然『俳優になる』と言って出て行ってしまった」と語っておられるという。
三十の歳である。関西で看板役者として名を成した者が、東京では一からのやり直しじゃ。
そして平成12年、NHKの連続テレビ小説『オードリー』で脚光を浴びられる。上京から二年ほどでの出来事であった。
以降は脇を固める役者として多数の話題作に出演。平成18年には映画『間宮兄弟』で映画初主演。平成20年には『ギラギラ』でゴールデン帯の連続ドラマ初主演を果たされた。
平成21年に始まった主演ドラマ『ハンチョウ』は、続きが作られ続ける当たり役となっておる。
会社を辞めた時、この御仁は何の保証も持っておられなんだ。それでも舞台を選ばれた。そこから二十年余りで、ここまで来られたのである。
【未来予想図-舞台に立ち続ける】

この御仁が立派なのは、名を成した後も舞台から離れなかったことじゃ。多数のドラマや映画に出ながら、毎年必ず舞台に立っておられる。
平成17年には、演劇のユニット「Team申」を立ち上げられた。「観客と緊密な距離で息遣いまでも感じられる舞台を、新しい才能とともに創りたい」との思いからだという。
ユニットの名は、ご本人が申年の生まれであることに由来するそうな。自ら企画し、自ら出演する。作り手の側にも回っておられるわけじゃ。
平成26年3月には、四代目市川猿之助殿が主演する舞台で歌舞伎に出演された。当時、歌舞伎役者以外の俳優が歌舞伎に出るのは異例のことだと報じられた。
その市川猿之助殿とは、大河ドラマ『風林火山』での共演を機に交流を深められたという。縁が縁を呼んで、新しい舞台に繋がったわけじゃ。
平成27年10月12日には京都国際観光大使に任命されておる。生まれ育った土地から役目を託されるとは、何よりの誉れであろう。
歌舞伎の舞台に立つというのは、所作の全てを問われるということじゃ。足の運び、手の位置、間の取り方。外から入った者には、そう易々と務まるものではない。
演出家の白井晃殿は、この御仁を「自分や物事を俯瞰で見ている眼をしている」と評しておられる。一度勤め人を経験した者ならではの目線やもしれぬ。
「Team申」の公演は、随時企画されて今も続いておる。新しい才能と組みたいという当初の思いのまま、若い作り手や役者と場を作っておられるわけじゃ。
令和3年8月には感染症にかかったことを公表され、公演の中止と延期を経て、9月10日に活動を再開された。同じ年の10月30日には、一般の女性との結婚も発表しておられる。
令和6年4月には所属事務所を移られた。五十を過ぎての身の振り直しである。
平成21年から続く主演ドラマは、番組の名を変えながら今も続きが作られておる。長く愛される役を持つというのは、役者にとって大きな財産じゃ。
好きな食べ物は葡萄。母上が山梨県のご出身であることの影響だという。平成23年の夏には、沖縄で小型船舶免許の一級も取得しておられる。
五十を過ぎてなお、毎年舞台に立ち、自ら公演を企画する。テレビや映画だけで十分に食べていける立場でありながら、である。
舞台というのは、稽古の日数が長い割に実入りが少ない。それでも立ち続けるのは、そこにしか無いものがあるからじゃ。
造り酒屋に生まれ、農学を修め、広告の会社に勤め、それを辞めて舞台に立ち、歌舞伎にまで出る。こういう道を歩んだ役者は、そうそうおらぬ。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
【広告会社を辞めて舞台へ!?京の造り酒屋の次男についてのまとめ】
今回は佐々木蔵之介殿について調査してみた!
吾輩は佐々木蔵之介殿に対して、裕福な実家で厳しい教育を受け実家を支えている武士、と思ったんだがお主は佐々木蔵之介殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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