巷に騒がれる、佐々木蔵之介殿:明治26年創立の京の酒蔵に生まれ、男三兄弟の次男として育たれた家の話について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1968年2月4日: 京都に生まれる。本名は佐々木秀明
- 1990年: 劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加
- 1992年: 大阪の広告代理店に入社。同期に「ますだおかだ」の増田英彦
- 1998年: 惑星ピスタチオを退団
- 2000年: NHK連続テレビ小説『オードリー』で注目される
- 2006年: 映画『間宮兄弟』で映画初主演
- 2008年: ドラマ『ギラギラ』で連続ドラマ初主演
- 2015年10月12日: 京都国際観光大使に就任
- 2021年10月30日: 一般女性との結婚を所属事務所が公式サイトで発表
- 2024年4月: 新事務所「アンカー」に移籍
- 2024年: 大河ドラマ『光る君へ』で藤原宣孝を演じる
- 2025年9月20日: 京都競馬場開設100周年記念セレモニーで実家の佐々木酒造を紹介
【実家は聚楽第跡の佐々木酒造-私立は「お金がかかる」】
佐々木蔵之介殿のご実家は、京都市内の造り酒屋佐々木酒造でござる。蔵の会社概要を見ると、創立は明治26年(1893)とある。
蔵の在りかについては、島津製作所の広報誌『ぶーめらん』VOL.52(2025年 Spring/Summer)で、ご本人がこう語っておられる。
「僕の実家は京都市内にある造り酒屋で、秀吉が構えた邸宅「聚楽第(じゅらくだい)」の跡地に蔵を構えています」
――天下人の屋敷の跡に建つ蔵じゃ。大河ドラマ『麒麟がくる』で秀吉を演じた折には、「京都との縁を改めて認識したものです」とも申されておる。
さて、お主が気になるのは、老舗の酒蔵ゆえ裕福な家なのか、という点であろう。
ここは、ご本人の言葉で答えるのが筋じゃ。東京農業大学に一年通い、地元の国立大学を受け直した訳を、文春オンライン(2025年9月28日)でこう明かしておられる。
「私立なので、お金がかかるんでねえ。東京ですし、私立ですし、理系ですし、お金がかかる」
――親の懐を案じて、学び舎を移られたわけじゃ。家の暮らし向きを気にかける次男であった。神戸大学へ入り直した顛末は、東京農大から神戸大へ入り直した話に詳しく記してござる。
酒蔵の商いそのものも、楽な時代ではなかった。父上が家業を継げと言わなんだ訳を、ご本人はこう語っておられる。
「造り酒屋は昔はよかったけれど、当時は世の中の日本酒離れから京都の酒蔵もどんどんなくなっていくなかで、家業を継げとは父はまったく言いませんでした」
ゆえに吾輩の答えはこうじゃ。明治から続く老舗の蔵ではある。されど、ご本人が家を裕福だと語った言葉は見当たらぬ。むしろ日本酒離れの中で蔵を守ってきた家であった。
幼き日の暮らしも、蔵とひと続きでござる。冬の仕込みの季節を、こう振り返っておられる。
「毎朝5時頃にボイラーに火がつけられると、家がグーンと動くような揺れで目が覚めます」
そのまま寝ておると、「二段ベッドの上段は蒸した米の蒸気で真っ白に包まれてしまいます」という。学校から帰れば家の近くから酒の香りが漂い、忙しい日は瓶洗いを手伝われた。
――蔵が家であり、家が蔵であった。坊ちゃん育ちというより、蔵の子として手を動かして育たれたのじゃ。
外遊びも京の町でござった。2015年10月12日、京都国際観光大使の任命式では、こう申されておる。
「私は京都に生まれ、京都で育ちました。鴨川で遊び、御所に蝉(せみ)取りに行ったり野球しに行ったり。京都の町、文化、食、そして人に育てていただきました」
【男三兄弟の次男-兄は建築、弟が蔵を継ぐ】
ご家族の顔ぶれは、ご本人が語った範囲でこうでござる。
「僕は男三兄弟の次男として生を受けました」
兄君は建築の道へ進まれた。東京の大学に通うておった頃は、「当時一緒に住んでいた兄が建築を専攻していて」と、兄君と暮らしておられたそうな。その兄君に誘われて観た唐十郎殿の舞台も、演劇の予兆の一つとして語っておられる。
父上もまた、次男であられた。
「父自身も次男で、父にとっての母方の実家が造り酒屋で後継ぎがいないということで、小学生のときに佐々木家の養子というかたちになったんです」
――幼くして行く道を決められた父上ゆえ、子らには継げと言わなんだ。その家で道を動かしたのは、母上の一言でござる。高校2年生の進路のテストで文系と出た折、母上がこう申されたという。
「佐々木酒造を継ぐという選択肢もあるよ」
そこから農学部を目指し、何も言わなかった父上も喜ばれたという。大学を出て広告代理店に入ったのも、家業のためであった。スポニチ(2025年9月15日)によれば、フジテレビ「ノンストップ!」でこう明かしておられる。
「実家が造り酒屋なんで、家を継ぐためちょっと代理店でいろいろ勉強しようと思ったんです」
ところが東京の劇団に誘われ、2年半で会社を辞めて俳優に専念される。そのときの両親の反応を、こう明かしておられる。
「両親ですら、怒るというか、呆れるというか、それはおかしいと言われました」
ご本人も、「僕が継ぐって言ったのに、放り投げてしまったことは申し訳ないと思っていました」と振り返っておられる。
蔵を継がれたのは、三兄弟の末の弟君じゃ。弟君の心持ちを、ご本人はこう伝えておられる。
「兄(蔵之介)が帰ってくるまで留守を預かる」
――留守を預かる、とは粋な言い草よ。それが何年も続いておるという。兄の帰る場所を空けておく、弟君なりの励ましと吾輩には聞こえるのう。
家族の思いも、時とともに変わった。
「家族からは納得はしていないという感情は伝わってきましたが、今では応援してもらえるようになったのでありがたい限りです」
その言葉どおり、今では蔵の名を自ら口にされる。2025年9月20日、京都競馬場開設100周年記念セレモニーでは、競馬場のおすすめを問われてカレーと牛たんを挙げたうえで、「秋華賞は佐々木酒造のお酒もでます」と実家の酒まで売り込まれた。
――広告代理店で学ぶはずだった酒の売り方を、俳優となった今、晴れの場で使うておられる。回り道のようで、なんとも温かい話じゃ。
なお、2021年10月30日には、所属事務所の公式サイトで「相手は一般の女性です」と結婚を報告しておられる。
【未来予想図-京に戻っても蔵は継がぬ】
ここからは吾輩の見立てでござる。
根拠の一つは、ご本人の郷愁じゃ。2024年の12月半ばまで京都で映画を撮っておられた折のことを、こう語っておられる。
「京都を離れてかれこれ25年ほどになりましたが、将来、もう一度京都で暮らすのもいいかなという郷愁に浸っていました」
同じ2024年には『光る君へ』で藤原宣孝を演じ、「2024年は生まれ育った京都に縁のある感慨深い一年でした」とも申された。
根拠の二つ目は、けじめの固さじゃ。
「俳優がだめになったから(実家に)戻るということはありえないと思っていたし、一度ここでもう、うちを継ぐということはない。それは失礼すぎると思った」
ゆえに吾輩はこうみる。この御方は、いつか京へ暮らしを戻されるやもしれぬ。されど蔵の主にはならぬ。俳優として京にまつわる役を背負い、弟君の守る佐々木酒造を晴れの場で売り込み続けるであろう。
弟君の留守居も、この先ずっと続くはずじゃ。ご本人いわく「何がどうつながるかはわからない」。蔵を継ぐために始めた芝居が、今は蔵の酒を世に広める力になっておるのじゃから。
2023年10月には、初めてのファンサイト『TRANSIT(トランジット)』も開かれた。この御方を追う楽しみが増えたお主は、推し活の品の買いどきをまとめた推し活の買いどき帳も覗いてみられよ。
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家で使える器も出ておってな。
英国の美容機器の専門店でござる。まずは見てみられよ。
【実家は明治26年創立の酒蔵!?私立は「お金がかかる」についてのまとめ】
今回は佐々木蔵之介殿について調査してみた!
一つ。ご実家は京都市内の造り酒屋・佐々木酒造。会社概要では明治26年(1893)の創立で、蔵は聚楽第の跡地にある。
二つ。家を裕福だと語った言葉は無い。東京の私立大学は「お金がかかる」と、地元の国立大学を受け直された。
三つ。男三兄弟の次男。兄君は建築の道へ進み、蔵は末の弟君が継がれた。
四つ。会社を辞めた折は両親に「それはおかしい」と言われたが、「今では応援してもらえるようになった」。
五つ。2025年9月20日には「秋華賞は佐々木酒造のお酒もでます」と実家の酒を売り込まれた。
吾輩は佐々木蔵之介殿に対して、継がなかった蔵を、いちばん遠くから売り込む次男、と思ったんだがお主は佐々木蔵之介殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
引いた言葉の出どころ
島津製作所『ぶーめらん』VOL.52(2025年 Spring/Summer)
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