巷に騒がれる、原田泰造殿:家業を継ぐ覚悟で選ばれた学び舎と、四つの土地の日々について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
1970年3月24日: 広島市にて生誕。
1990年: 高校時代の友人とお笑いコンビ『パープルン』結成、渡辺プロダクションオーディション合格。
1991年: 堀内健とコンビ『フローレンス』結成。
1993年: 名倉潤加入、お笑いトリオ『ネプチューン』結成。
1995年: TBS愛の劇場『ママに宿題』出演。
1998年: 映画『どつきどつかれ』主演。
2000年:ドラマ『編集王』単独初主演。
2004年: 映画『ジャンプ』単独映画初主演。
2005年: 舞台『キスへのプレリュード』主役出演、第43回ゴールデン・アロー賞新人賞受賞。
2008年: NHK大河ドラマ『篤姫』大久保正助役。
2010年: NHK大河ドラマ『龍馬伝』近藤勇役を。
2017年:ドラマ『全力失踪』主演。
2019年:ドラマ『サ道』主演。
2020年:ドラマ『はぐれ刑事三世』主演。
2023年:ドラマ『生理のおじさんとその娘』主演。
2024年:ドラマ『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』主演。
【広島に生まれ、四つの土地を移られた少年】

さて、まずは生い立ちから参ろうではないか。
――お生まれは、父上の故郷である広島県でござる。
東京の出と書かれることが多いが、生まれは広島でござった。
――そして三つまでを、その広島で過ごされた。
その後、父上の転勤で移り住みが始まるのでござる。
――小学一年までは、北海道の札幌でござった。
そして小学五年までは、東京の狛江でござる。
――小学六年からは、東村山に移られたのでござる。
広島、札幌、狛江、東村山でござる。
――十二の年までに、四つの土地を渡っておられる。
これは、なかなか大変な子供時代でござろう。
――友と別れ、また一から作り直すのでござるからな。
だが、この経験が人懐こさを育てたのやもしれぬ。
――どこへ行っても馴染める者は、こういう育ちでござる。
そして、ご両親は所沢で弁当の店を営んでおられた。
――「ランチショップたきたて」と申す屋号でござった。
姉上も、その店を手伝っておられたそうな。
――家族総出の、商いでござったのでござるな。
幼き頃から、画面の世界に憧れておられたという。
――内緒で、子供の劇団に応じられたこともあるそうな。
だが、月々の謝礼を払えず断念されたのでござる。
――これは、切ない話でござるな。
さて、この御方の育ちをもう少し考えてみよう。
――十二の年までに、四つの土地を渡っておられる。
広島、札幌、狛江、そして東村山でござる。
――転校とは、子供にとって大きな試練でござる。
また一から、友を作り直さねばならぬ。
――だが、この御方はそこで武器を身に付けられたのでござろう。
誰とでも、すぐ打ち解ける力でござる。
――後の芸の道で、これほど役に立つ力もござらぬ。
そして、家の商いも大きく効いておる。
――弁当の店は、朝が早く夜も遅いのでござる。
ご両親が働く姿を、間近で見て育たれた。
――姉上まで、手伝っておられたのでござるからな。
その姿を見て、継ごうと思われたのでござろう。
――十五の子が、家の負担を考えるのでござるよ。
これは、なかなか出来ることではござらぬ。
――そして食べ物の好き嫌いも、無いと伝わっておる。
幼き頃、家の飯を不味いと申して母上に叱られたそうな。
――以来、何を食べても美味しいと言うよう心掛けられた。
すると、本当に美味しく感じるようになったという。
――言葉が、味まで変えるのでござるな。
念のため、この稿の線引きを申しておこう。
――ご家族の私事には、一切触れておらぬのでござる。
旧い記事には、出会いの話が書かれておった。
――だがその中身は、辿れなんだのでござる。
世に出ておらぬ方のことは、書かぬのが筋でござる。
――ゆえに、その見出しごと取り下げたのでござる。
【弁当屋を継ぐため、農業高校を選ばれた】

さて、ここからが此度の題の核心でござる。
――進まれたのは、東京都立農芸高等学校でござる。
農業を学ぶ、専門の学び舎でござるな。
――お主、なぜここを選ばれたと思われるか。
その理由が、実に泣かせるのでござる。
――家業の弁当屋を、継ぐつもりであられたのでござる。
ご本人が、こう語っておられる。
――中学三年で進路を決める時、芸人になりたいとは思うておらなんだ。
ご両親と、店を手伝う姉上を少しでも楽にさせたかった。
――そのために、本気で弁当屋を継ごうと思われたという。
そして、こう続けておられる。
――何も知らぬよりは、何か知っていた方がよいと思うたと。
ゆえに、農業を学ぶ学び舎を選ばれたのでござる。
――十五の子が、そこまで考えるのでござるよ。
食材のことを知れば、店の役に立つと踏まれたのでござろう。
――実に、地に足の着いた選び方でござるな。
画面に憧れながら、家のために進路を決められた。
――この真面目さこそ、この御方の芯でござる。
だが、その夢は消えておらなんだ。
――高校を出た後、こう思われたのでござる。
「何でもいいからテレビに出たい」でござる。
――そして、様々な選びに応じ始められたのでござるよ。
さて、あの学び舎の選び方をもう少し味わおう。
――農業を学ぶ学び舎を、自ら選ばれたのでござる。
普通の学び舎に行く道も、あったはずでござる。
――だが、家業に役立つ道を選ばれた。
食材を知れば、店の役に立つと踏まれたのでござろう。
――十五で、そこまで先を読まれたのでござる。
この判断力は、後の芸の道でも効いておるはずでござる。
――そして、憧れは捨てておられなんだ。
幼き頃、内緒で子供の劇団に応じられたこともあった。
――だが月々の謝礼を払えず、断念されたのでござる。
その悔しさを、胸に仕舞われたのでござろう。
――そして高校を出た後、こう思われた。
「何でもいいからテレビに出たい」でござる。
――この一言に、十数年分の思いが詰まっておるのでござる。
家のために我慢した分、爆発したのでござろうな。
――そこから、次々に選びへ応じられていく。
模す者の選び、演じ手の選び、何でもでござる。
――そして笑いの道で、ようやく扉が開いたのでござる。
念のため、あの学び舎の話をもう一度。
――東京都立農芸高等学校でござる。
そして選ばれた訳は、家業を継ぐためでござった。
――これは、ご本人が語っておられる話でござる。
十五で家の負担を考えられた、という事実でござる。
――笑いの人の、意外な一面でござるな。
【未来予想図-笑いから、演じる道へ】

さて、そこからの道筋を辿ってみよう。
――十代の頃、ジュノン・スーパーボーイにも応じられた。
だが、こちらは落選されたのでござる。
――その選びでは、長渕剛殿の『とんぼ』を歌われたそうな。
選びの場で『とんぼ』でござるよ。実に、渋いのでござる。
――その後、背景に映る役の会社にも入られた。
1991年の大河『太平記』では、亡骸の役で出ておられる。
――亡骸の役でござるぞ。台詞も動きもござらぬ。
そこから始められたのでござる。
――そして1990年、笑いの二人組を作られた。
働いておられた居酒屋の名にちなんだ名であったという。
――その組で、事務所の選びに受かられたのでござる。
だが、その組はすぐに解散してしもうた。
――そこで、新たな相方を探されるのでござる。
選びの折に一緒であった、ある御方に目を留められた。
――そして、自ら声を掛けられたのでござる。
それが1991年、堀内健殿でござった。
――そして1993年、名倉潤殿が加わられる。
こうして、ネプチューンが生まれたのでござる。
――弁当屋を継ぐはずの少年が、ここまで来られたのでござるよ。
さて、演じ手としての歩みも並べておこう。
――1995年、昼の連続に出られたのが始まりでござる。
1998年には、初主演の映しにも出られた。
――2000年、連続の作で単独の初主演を務められる。
そこから、数々の作に出られていくのでござる。
――2004年には、映しでも単独の初主演を果たされた。
そして2005年、舞台の主役でも評されておる。
――その年、名だたる賞の新人賞を受けられた。
面白いのは、その七年前のことでござる。
――組として、同じ賞の別の部門を受けておられるのでござる。
笑いで受け、七年後に芝居で受けられたわけでござる。
――これは、なかなか出来ることではござらぬ。
さらに大河にも、二度出ておられる。
――2008年の『篤姫』では、大久保正助を演じられた。
2010年の『龍馬伝』では、近藤勇でござった。
――亡骸の役から始めて、ここまで来られたのでござる。
1991年の大河では、亡骸であられたのでござるからな。
――十七年で、主要な役まで登られたわけでござるよ。
念のため、この稿の締めくくりを申しておこう。
――弁当屋を継ぐ覚悟で、農業を学ばれた。
そして高校を出た後、憧れの道へ舵を切られた。
――亡骸の役から始め、大河の主要な役まで登られたのでござる。
遠回りに見えて、全て一本の道でござった。
――お主の回り道も、きっとそうなのでござるよ。
さらに一つ、この御方の芸風にも触れておこう。
――がっちりした体つきを活かした芸で、名を上げられた。
そして、己を名乗る歌もお持ちでござった。
――曲がったことが大嫌い、と歌い上げるあれでござる。
近頃は、あまり使われぬそうな。
――だが作の披露の場では、今も見せられることがあるという。
また、投げ技でも知られておられた。
――だが2000年、外からの指摘を受けて取り止められた。
女子を投げる形が、良くないと指摘されたのでござる。
――それをきちんと受け止め、以後は封じられた。
指摘を素直に受け入れる。これも一つの器量でござる。
――弁当屋を継ごうとした、あの真面目さでござろうな。
【弁当屋を継ぐため!?学歴と農業高校を選んだ訳についてのまとめ】
今回は原田泰造殿について調査してみた!
吾輩は原田泰造殿に対して、弁当屋を継ぐ覚悟から、笑いと芝居の道へ進まれた勇者と思ったんだがお主は原田泰造殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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