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ダンスと歌でファンを魅了しておる一座『Da-iCE』。四オクターブに届く二枚看板の歌声は、まさに唯一無二でござる。
2011年に結成され、2014年に世へ出たこの一座。そこから十年余りをかけて、いまや年の暮れの大きな歌の催しにも呼ばれる存在となった。――その道のりは、決して平坦ではなかったのじゃ。
下積みの長さ、売れぬ時期の苦しさ、そして曲を己たちで作るという選択。一人ひとりの歩みを追っていくと、この一座がなぜここまで来られたのかが見えてくる。
この書記では、五人それぞれの歩みを一本ずつ掘り下げてまいった。このページは、その入口をまとめた案内でござる。気になる御仁のところから、存分に読み進められるがよい!
【Da-iCE・工藤大輝】
1987年6月28日生まれ、北海道の出。一座の長を務めるパフォーマーでござる。
この御仁の凄みは、踊るだけに留まらぬところにある。作詞も作曲も自ら手掛け、その筆は他の歌い手にも渡っておるのじゃ。十八の齢には既に曲を書いておったというから恐れ入る。
手掛けた曲は世の大きな賞にも届いており、一座の代表作は第63回の日本レコード大賞を、別の一曲も翌年の優秀作品賞を受けておる。
音楽のみならず、装いや世の流行りにも敏く、絵物語や歌い手の世界にも深く通じておられる。――ここまで守備範囲の広い長は、そうそうおらぬ。
そして巷では「双子の兄がおるのでは」といううわさも流れておってな。その顛末が、また面白いのじゃ。詳しくは、下の三本でたっぷりと語っておる。
ちなみにこの御仁、北海道は小樽の地とも縁が深い。雪深い港町で育った少年が、いまや東京の大舞台で一座を率いておるのじゃ。――なんとも痛快な話ではないか。
長という役目は、目立つようでいて存外に地味なものでな。人をまとめ、方針を決め、うまくいかぬときには矢面に立たねばならぬ。
そのうえで曲まで書き、踊りも踊る。――この御仁の一日は、いったい何刻あるのであろうな。
学びの道についても、うわさが色々と流れておってな。そのあたりも下の一本で丁寧に検めてある。出所の辿れぬ話は伝聞として置き、確かなものだけを並べておるゆえ、安心して読まれよ。
【Da-iCE・工藤大輝】18歳で作詞作曲!?2つの名を持つ男
【Da-iCE・岩岡徹】
1987年6月6日生まれ、千葉県千葉市の出。一座のパフォーマーでござる。
この御仁、踊るだけでなく舞台の見せ方そのものを手掛けることもあるという。つまり演じる側と作る側の、両方に足を置いておるわけじゃ。
学びの方も確かでな。法政大学の国際文化学部を出ておられる。しかも一座の中で唯一、勤め人を経験しておる御仁でもある。この経歴ゆえ、近ごろは知恵を競う番組にも数多く呼ばれておる。
美容への傾倒も相当なもので、髪と身体のための品や、日差しに備える飲み薬などを自ら考えて世に出しておられる。
そして極めつけが「画伯」の異名じゃ。想像だけで描いた一枚の絵が、そのまま人形として世に出てしまったという。――なんとも規格外の御仁ではないか。
この御仁の面白いところは、思いつきで終わらせぬところじゃ。絵は品となり、美容の好みは商いとなり、学びは番組での役どころとなった。
つまり持っておるものを、全て形にしてきたわけじゃ。――器用な者は多いが、器用なだけで終わらぬ者は少ない。
数字の「六」に縁が深いという話も伝わっておってな。生まれた日も、学び舎での番号も、蹴鞠の背の番も六であったという。こういう縁を大事にする御仁は、だいたい面白いものよ。
下積みの頃の話も、なかなかに味わい深い。一杯の丼を分け合うような日々があったというのじゃ。――いまの華やかな舞台からは、とても想像がつくまい。
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【Da-iCE・大野雄大】
1989年4月1日生まれ、愛知県の出。一座の歌い手にしてパフォーマーでござる。
この御仁の魅力は、なんといっても掠れた力強い声と、寸分違わぬ音の正しさにある。聴けば一発で分かる声というのは、それだけで大きな財産じゃ。
その土台にあるのが、声だけで音を重ねる歌の経験でな。楽器に頼らず声を合わせる稽古を積んできたゆえ、音を外さぬ耳が育ったのであろう。後に名門の記念の舞台にまで招かれておる。
2019年からは一人での歩みも始められ、己の名を掲げた曲を世に出しておられる。
趣味は釣りと料理、そして特技には裁縫まで挙げておられるという。――歌って、釣って、作って、縫う。実に手先の器用な御仁じゃな。
歌い手というのは、体そのものが楽器じゃ。喉の調子ひとつで、出せる音が変わってしまう。――ゆえに日々の暮らしが、そのまま音に出る。
この御仁が釣りや料理を好まれるというのも、案外そこにつながっておるのかもしれぬ。静かな時を持ち、己の食い物を整える。歌い手にとっては、これも稽古のうちであろう。
同じ名を持つ球の投げ手と共に画面に出たという面白い話も残っておってな。その顛末は、下の一本で語っておる。
そもそもこの御仁、少年の頃は球を追いかけておったという。そこから歌の道へ転じたわけじゃ。――人の道というものは、存外こうして横から差し込んでくるものよな。
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【Da-iCE・花村想太】
1990年8月15日生まれ、兵庫県の出。一座のもう一人の歌い手でござる。
この御仁を語るうえで外せぬのが、四オクターブに届く音域じゃ。低いところから、突き抜けるような高いところまで。その幅が、この一座の音の厚みを作っておる。
しかも歌うだけではない。曲作りにも深く関わっておられる。一座の代表作では詞を手掛け、第63回の日本レコード大賞を受けておられるのじゃ。
一人での活動も幅広くてな。自らの一座を率いたり、動画の世界の御仁と組んだり。さらには海の向こうから来た大きな演目でも主役を務めておられる。
変わったところでは、納豆の大使を務めたこともあるという。――四オクターブの声と納豆。この取り合わせの妙が、また面白いではないか。
そして学び舎については、高校へ進まぬという大きな決断をしておられる。その顛末は、下の一本でじっくりと語っておる。
四オクターブという音域が、どれほど並外れておるかを申しておこう。普通の者が無理なく出せるのは、せいぜい二オクターブほどと言われておる。
それを倍。――しかも舞台の上で、踊りながら出すのじゃ。体づくりを欠かさぬのも当然であろう。
そして高校へ進まぬという決断もまた、並の胆力でできることではない。十五の齢で、己の道を決め切ったわけじゃからな。
恋にまつわるうわさも色々と流れておるが、この書記では出所の辿れぬものは伝聞として置いておる。確かなのは、この御仁が詞を書き、その詞が世の大きな賞に届いたという一点じゃ。
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【Da-iCE・和田颯】
1994年2月3日生まれ、群馬県の出。一座のパフォーマーでござる。
五人の中では最も年若い御仁じゃ。ところが面白いことに、踊りの年季だけは一座で最も長いという。幼き頃から踊り続けてきたゆえの話じゃな。
その腕前は折り紙付きで、一座の踊りの精度を支える柱となっておられる。
近ごろは演じる仕事や誌面の仕事にも幅を広げ、声を届ける仕事も務めておられる。さらには己で装いの一群まで立ち上げておるというから、なかなかの商い上手でもある。
趣味は絵物語を眺めること。そして猫と暮らしておられるそうな。――踊りに全てを注いできた御仁の、こういう柔らかい一面もまた良いものじゃ。
最も年若いのに、踊りの年季は最も長い。――この事実が、この御仁の全てを語っておる。
幼き頃から踊りに通うには、送り迎えをしてくれる者が要る。この御仁の場合、それが実に八年も続いたという。その話は、下の一本で語っておる。
そして踊り一筋であった御仁が、いまや演じ、語り、装いの品まで作っておられる。――一つを極めた者は、他へ移っても強いということじゃな。
猫と暮らしておるという話も、なんとも良い。舞台の上では鋭い動きを見せる御仁が、住まいでは猫に振り回されておるのかと思うと、――どうにも親しみが湧いてしまうではないか。
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【Da-iCEという一座について】
最後に、この一座そのものについても少し触れておこう。
五人のうち二人が歌い手、三人が踊り手という構えでな。歌と踊りをきっちり分けておるのが、この一座の強みじゃ。歌う者は歌に専念でき、踊る者は踊りを極められる。
そして二枚看板の歌声よ。掠れた力強い声と、突き抜ける高い声。この二つが重なったときの厚みときたら、他ではなかなか味わえぬものがある。
さらに面白いのは、曲を己たちで作っておるということじゃ。長も、歌い手も、詞や曲に手を入れておられる。――与えられた曲を歌うのではなく、己たちの曲を歌う。だからこそ、あの熱が伝わってくるのであろうな。
そしてもう一つ、この一座の特徴を挙げておこう。――五人とも、それぞれ外でも動いておるという点じゃ。
一人で曲を出す者、品を作る者、舞台に立つ者、装いの一群を立ち上げる者。一座の外に己の足場を持っておるのじゃ。
普通ならば、これは一座にとって危ういことでもある。外が忙しくなれば、内が疎かになりかねぬからな。だがこの一座は、そうならなんだ。
むしろ外で得たものを、きちんと一座へ持ち帰っておるように吾輩には見える。――これができるのは、互いへの信があってこそであろう。
お一人ずつの歩みを読んでいくと、この一座がなぜここまで来られたのかが見えてくるはずじゃ。気になる御仁のところから、ゆるりと読み進められよ。
五人それぞれの歩みを並べてみると、実に対照的であることに気づかされる。曲を書く者、絵を描く者、釣りをする者、詞を書く者、そして踊り続ける者。
だが共通しておるものが一つだけある。――それぞれが、己の得手を極めておるという点じゃ。誰も他人の真似をしておらぬ。
一座というものは、似た者が集まると脆い。違う者が集まってこそ、厚みが出るのじゃ。この五人を見ておると、そのことがよく分かる。
最後にもうひとつ。この一座の曲は、耳に残るものが多い。口ずさみやすく、それでいて歌うと難しい。――この塩梅が、実に絶妙なのじゃ。
易しく聞こえる曲ほど、作るのは難しい。余計なものを削ぎ落とさねばならぬからな。この一座の曲を聴いておると、そのあたりの手練れぶりがよく分かる。
そして踊りもまた然り。五人が揃うと、線が一本に見える。――あれは、途方もない稽古の上に成り立っておるのじゃ。
歌と踊りを同時にやるというのは、考えてみれば無茶な話でな。息が上がれば声は揺れる。声を守れば動きは鈍る。
その相反するものを両立させるために、この者たちは体を作り、息を鍛えておる。画面の向こうでは涼しい顔をしておるが、その裏には相当な鍛錬があるはずじゃ。
さらに申せば、この一座は世に出るまでが長かった。結成してから広く知られるまでに、幾年もかかっておる。その間に諦めていった者は、数え切れぬほどおったであろう。
――残った者だけが、いま舞台に立っておる。そう思うて聴くと、あの歌声がまた違って響いてくるのではないか。
嘘か誠かの判断は自己責任にて!


