英国大学院を出たDoramonが気になる方の英語に関する情報をピックアップ!!
透き通るような歌声を持つ、平井堅さんのご紹介です。
2000年の”楽園”の大ヒット、そして2004年の”瞳をとじて”の爆発的ヒットは記憶に新しいです。
昔から歌が大好きだったそうです。
マイヒーローはサザンオールスターズさんです。
平井さんの美しき英語の発音はどこから来たのでしょうか?見ていきましょう。
平井堅さんの略歴
1972年1月17日大阪府東大阪市で誕生されました。
その後すぐに拠点を三重県に移され、高校卒業まで過ごされます。
大学は当サザンオールスターズの母校である青山学院大学への進学を考えていたようですが、手違いにより横浜市立大学へ行くことになります。
かなりの学力を持っていたことがわかります。
どちらも簡単には入学できないレベルです。
歌手として最初から成功したわけではなく、追い込まれ背水の陣をひいた8曲目”楽園”から一気にスターへの道を歩むことになります。
濃い風貌をお持ちですが、両親ともに生粋の日本人らしいです。
平井堅さんの英語学習方法
サザンオールスターズの大ファン
20歳くらいの時きっかけがあり、サザン桑田さんのお家を知ることになったようです。
大ファンである平井さんはデモテープを自作し、桑田さんのポストへ入れたようです。
内容はバックコーラスで雇ってくれといったことです。
その時の曲は”プロコル・ハルムの「青い影」”でした。
イギリスのロックバンドで、歌詞は当然英語です。
あこがれのサザンに下手なものを渡すわけがないので、相当研究され、練習されたかと思います。
英語学習にも結び付いたことでしょう。
あこがれのニューヨークへ
2003年ごろ、年に数回ニューヨークを訪れるほど好きな場所だったようです。
将来は拠点をアメリカに置き、時々日本に帰る生活を夢見ていました。
売れない歌手から突如対スターとなってしまった現実にギャップを感じ、お仕事を3か月お休みします。
その期間大好きな場所ニューヨークへ。
なんとマンションを購入されています。
夢の実現に本気だったのでしょう。
しかし、英会話学校で挫折を味わい、ニューヨークでの生活は夢で終わります。
同じ英語でも場所によってスピード、イントネーションなど少しずつ違います。
特にニューヨークの英語はとても早く、習得が難しいとされています。
まとめ
サザンオールスターズにあこがれた平井青年は歌手となります。
大好きなニューヨークの地で挫折を味わい、そこを拠点にするというひとつの夢が破れます。
しかし平井さんは曰く、ニューヨークは”憧れを育てて日本人である自分の根っこを再び教えてくれた場所”であると。
歌手としても苦労されながら遅咲きの平井さんは、かなりのガッツをお持ちです。
挫折した英語ですが、その力には定評があります。
求める力が高すぎたのでしょう。
力なき場合はまずニューヨークで生活できませんから。
平井さんの今後の歌手活動に期待です。
千里も道も一歩から。Just do it!!