英国大学院を出たDoramonが気になる方の英語に関する情報をピックアップ!!
世界を飛びまわり過酷な現実を伝えている戦場カメラマン渡部陽一さんのご紹介です。
学生時代から困っている助けるための仕事に就きたいと思われていました。
過酷なお仕事である戦場カメラマンになられたのも、世界に貢献するためでしょう。
強い使命感をお持ちです。
渡部陽一さんの略歴
1972年9月1日静岡県富士市で誕生されます。
高校卒業まで静岡で生活されました。
大学は明治学院大学法学部を選ばれ上京されます。
講義を受講する中でアフリカの狩猟民族に興味を持たれ、学生の身でコンゴ共和国へ旅行者としていきます。
そこでルワンダの少年兵に襲われるなど過酷な経験をされます。
この出来事により渡部陽一さんが戦場カメラマンとして活動していくことになります。
現地に敬意をはらうこと
渡部陽一さんが大切にされていることは現地の文化に敬意を払い、そこに日本を持ちこまないことです。
取材先の方々と同じものを食べるようにされています。
イスラム圏での活動が多いため、ひげを伸ばされています。
現地の方々と同じ目線に立ち、一緒に考え生活を共にすることは、信頼関係を築く上で大切なことです。
一方的に価値観を押し付けるのではなく、自分から歩み寄り学ばせていただく中で共感していく流れは、国際社会で活動する心掛けとして必要不可欠です。
渡部陽一さんの英語学習方法
コミュニケーションの大切さ
特徴的な話し方の渡部陽一さん。
戦場カメラマンなりたての頃はコミュニケーションで苦労されたようです。
今では取材のほとんどを英語で行っています。
それも日本語同様にあの独特なスローテンポで話されているようです。
ゆっくり丁寧に話すことでお互いのリズムがあい、取材が円滑に進むようです。
公用語が英語ではない場所が主な取材先です。
お互いに伝えたいという意思があればコミュニケーションは成立します。
学習には好きなものを
英語習得には好きな洋画の台本をまるまる暗記することをされたようです。
を完全にコピーされたようです。
トム・クルーズさんの大ファンで作品はすべて鑑賞されています。
まとめ
渡部陽一さんの生き方は高い使命感に支えられています。
カメラマンという職業は必要とされているけど安定した収益を得るのは困難です。
戦争が行われている地域での活動資金を得るために、一時期TVに良く出演されていました。
その際、世界の現場で起こっている戦場の悲惨な状況を伝えることを忘れませんでした。
また、あの落ち着いた話し方からは想像しがたいですが、戦場に持ち込む機材の管理も徹底されています。
暗闇でも機材の操作ができるように訓練されているようです。
渡部陽一さん曰く、”戦場カメラマンは生きて帰ること”が第一だと。
これは海外で活動するすべての人が持つべき考えです。
千里も道も一歩から。Just do it!!