巷に騒がれる、錦織圭殿:英語力と英語学習方法、そして幼くして海を渡られた話について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1989年12月29日、島根県松江市のお生まれ
- 五つの齢で、テニスを始められる
- テニスを始めて約一年後、松江のグリーンテニススクールに入られた
- 小学の折、全国の大会にて三つの冠を取られる
- 2003年9月、盛田正明テニス・ファンドの支えで米国のIMGアカデミーへ渡られた
- 共に渡った三人とも、英語はまったく話せなんだという
- 2005年、共に渡った二人は帰国し、独り残られる
- 2014年、全米オープンにて準優勝を果たされた
- これは日ノ本勢として、四大大会で初の決勝でござった
- 2015年、世界の順位で四位に達せられる
- その後、思うように戦えぬ時期が長く続いた
- 2026年4月30日、今季限りでの引退をご自身のSNSで表明された
- 2026年10月1日、ジャパンオープン1回戦が現役最後の試合となった
【五つの齢から、テニスと共にあられた】
吾輩が今宵成敗いたすは、錦織圭殿の英語についてでござる。
――日ノ本のテニスにおいて、最も高い所まで行かれた御方じゃ。
その英語もまた、若き日の苦労から生まれておってな。
――しかも、始まりは十代の初めでござった。
生まれは1989年12月29日、島根の松江でござる。
――五つの齢で、テニスを始められたという。
そして約一年後には、松江のグリーンテニススクールに入っておられた。
――暮らしの隣に、常にテニスがあったということでござる。
腕の上がり方も、並ではござらなんだ。
――小学の折、全国の大会で三つの冠を取っておられる。
小学六年の頃には、隣県のテニスの指南役にまで勝っておられてな。
――既に、只者ではなかったということでござる。
そしてこの頃、大きな縁が結ばれる。
――小学の六年の折、ある御方が試合を見に来ておられた。
熱きことで知られる、あの松岡修造殿でござる。
――そして、その御方の催す稽古の場へ招かれたのじゃ。
お主、良き者は良き者に見つけられるものでござるな。
――もっとも松岡殿いわく、その合宿の英語の集まりでは「とても嫌そうだった(笑)」そうな。
「昔は英語を一切しゃべれませんでした」とも申されておる。
――そこから、道が大きく開いてゆく。
だが、この御方は元より静かな質であられたという。
――気の優しい、物静かな少年であったと伝わっておる。
その少年が、次に取られた道が凄まじいのでござるよ。
――中学校の頃、アメリカへ渡られたのじゃ。
しかも、盛田正明テニス・ファンドの支えで、フロリダのIMGアカデミーへ入られた。
――2003年9月、十三の齢のことでござる。
十三でござるよ、お主。
――しかも、英語はまるで支度が出来ておらなんだ。
共に渡った三人とも、英語はまったく話せなんだという。
――それで、言葉の通じぬ土地へ放り込まれるのでござる。
幸い、初めは同じファンドの日ノ本の仲間が二人共におった。
――だが、その頼りも二年で消えることになる。
順に、見てゆこうではないか。
――ここからが、今宵の本題でござる。
【共に渡った者が皆帰り、独りになられた】
渡って二年の後のことでござる。
――共に渡った日ノ本の者が、皆帰ってしまわれた。
残されたのは、この御方ただ一人でござる。
――まだ十五、六の齢でござろう。
元より、静かな質であられた御方じゃ。
――不安は、さぞ大きかったに違いござらぬ。
しかも、海の向こうというのは黙っておると損をする土地でな。
――進んで話しかけねば、居らぬ者として扱われるのでござる。
吾輩も海の向こうで学んだ身ゆえ、これはよう分かり申す。
――黙っておる者は、そこにおらぬのと同じでござるからな。
それでも、この御方は帰らなんだ。
――仲間いわく「帰りたい気持ちは10%ぐらい」、強くなりたい思いが勝っておったのじゃ。
では、どう学ばれたのか。
――これが、驚くほど地道な道でござってな。
実は渡った当初、三人は日ノ本の者どうしで固まらぬよう、わざと別々の部屋にされておった。
――ところがこの御方、初めは同じ部屋の者の名すら覚えておられなんだと、仲間が明かしておる。
寮の冷蔵庫の飲み物を勝手に飲まれても、英語で文句を言うことすらできなんだという。
――それでも、少しずつ口を開いていかれたのでござる。
そして、指南役たちとも英語でやり取りされた。
――稽古の中身は、言葉が分からねば伝わり申さぬ。
つまり、通じぬままでは強くなれぬのでござる。
――これが、この御方を動かした一番の理由でござろう。
お主、ここが肝でござるぞ。
――英語のために英語を学ばれたのではござらぬ。
強くなるために、言葉が要っただけでござる。
――この順番でこそ、人は続けられるのでござるよ。
そして、この御方は触れる時を増やしていかれた。
――語学の上達は、使うた時に比例するのでござる。
才ではのうて、時でござる。
――この御方は、それを体で知っておられたのでござろう。
十三で渡り、独りになり、それでも口を開き続けられた。
――その積み重ねが、後の世界の舞台へ繋がってゆくのじゃ。
そして、この学び方には見逃せぬ点がもう一つござってな。
――この御方の英語は、教室だけで身についたものではござらぬ。
学び舎には日に二時間通い、残りは朝五時から晩までテニスの場でござった。
――暮らしの中で、必要に迫られて覚えられた。
同じ部屋の者と話し、指南役の言葉を聞き取る。
――それだけで、日に何刻も英語に浸ることになる。
日ノ本におって週に一度通うのとは、桁が違い申す。
――そして十代の耳は、まだ柔らこうござった。
早くに飛び込まれたことが、そのまま効いておるのでござる。
――厳しい場に早く身を置くというのは、そういうことじゃ。
【未来予想図-四大大会の決勝、そして引退の表明】
さて、その先に待っておったものを見てまいろうぞ。
――2014年、全米オープンでござる。
この御方は、そこで決勝まで駆け上がられた。
――そして、準優勝を果たされたのじゃ。
お主、これがどれほどのことか分かるか。
――日ノ本勢として、四大大会で初めての決勝でござる。
誰も立ったことの無い場所に、立たれたということじゃ。
――しかも、その舞台は言葉の通じぬ異国でござる。
勝った後には、その場で言葉を求められる。
――十三で渡った日々が、そこで効いておるのでござるよ。
翌2015年には、世界の順位で四位まで上られた。
――日ノ本の男のテニスとしては、史上最も高い所でござる。
そこからの日々は、平坦ではござらなんだ。
――思うように戦えぬ時期が、長く続いたのでござる。
それでも、この御方は戻ってこられた。
――何度も、何度もでござるよ。
そして2026年4月30日、一つの報せを出された。
――今季限りで退くと、ご自身のSNSで表明されたのじゃ。
三十六の齢でござる。
――五つの齢から数えれば、三十年余りでござろう。
その大半を、言葉の通じぬ土地で過ごしてこられた。
――テニスの腕だけでは、そこまで続けられ申さぬ。
指南役と話し、仲間と話し、報せの者にも答える。
――その全てを、英語でやってこられたのでござる。
そして2026年10月1日、ジャパンオープンの1回戦が現役最後の試合となった。
――世界8位のティアフォー殿に敗れはしたが、大歓声に送られたのでござる。
さて、この御方から汲めるものを並べておこうぞ。
――一つ、支度が出来ておらずとも飛び込めるということじゃ。
英語をまったく話せぬまま、渡られた御方でござる。
――二つ、黙っておっては何も始まらぬということでござる。
静かな質の少年が、腹を決めて口を開かれたのじゃ。
――三つ、言葉は目当ての先にあるということでござるよ。
強くなりたいという思いが、言葉を運んできたのでござる。
――お主も、まず欲しいものを決められよ。
欲しいものが決まれば、言葉は勝手についてくるのでござる。
――この御方の三十年が、それを証しておられる。
【英語力と学び方!?13歳で単身の留学へについてのまとめ】
今回は錦織圭殿について調査してみた!
英語をまったく話せぬまま、十三で海を渡られた。
そして二年の後、共に渡った者が皆帰り、独りとなられる。
それでも口を開き続け、四大大会の決勝まで辿り着かれたのでござる。
強くなるために言葉が要った――この順番が、全てでござった。
吾輩は錦織圭殿に対して、英語もままならぬまま海を渡り、独りになってなお口を開き続けられた御方でござると思ったんだがお主は錦織圭殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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【吾輩からの一言】
今宵の話にも、海を渡る件が出てきたでござろう。お主も、いつかは……と思われたのではないかな。
だが、いきなり決める要はござらぬ。まずは相談だけしてみられよ。銭はかから申さぬのでござるからな。
行くと決めてから調べるのではのうて、調べてから決めればよいのでござるよ。
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引いた言葉の出どころ
日刊スポーツ(2015年1月27日)圭物語4:2003年9月にIMGへ、3人とも英語はまったく話せず
日刊スポーツ(2015年1月27日)圭物語6:仲間2人は2年で帰国、錦織は1人だけ残った
朝日新聞(2026年9月30日)英語が不自由で不満を言うことさえできなかった
オリコンニュース(2018年4月22日)松岡修造「昔は英語を一切しゃべれませんでした」
JOC(2026年5月1日)今季限りでの引退を自身のSNSで発表
日テレNEWS(2026年10月1日)ジャパンオープン1回戦で現役最後の試合
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