巷に騒がれる、木村多江殿:日本舞踊は師範!?最優秀主演女優賞への道について、
さても気になる話じゃ!今宵はこの御方を追ってみようぞ!
【略歴】
- 1971年3月16日:東京都にて誕生。
- 1999年:ドラマ『リング〜最終章〜』と『らせん』山村貞子役で注目
- 2005年6月:広告代理店電通の社員と結婚。
- 2007年8月:妊娠を発表し、『大奥』を降板。
- 2008年2月23日:第1子(長女)を出産。
- 2010年:日本アカデミー賞の司会を務める。
- 同年:CNNの「まだ世界的に名前は売れていないが、演技力のある日本の俳優7人」の一人に選ばれる。
- 2017年10月5日:『ブラックリベンジ』で民放の連続ドラマでの初主演。
- 2019年:ドラマ『お父さんと私の“シベリア抑留”-『凍りの掌』が描く戦争-』主演。
- 2021年:ドラマ『よるドラ 阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』主演。
- 2024年:映画『コットンテール』出演。
【日本舞踊は師範の腕前】

木村多江殿は昭和46年3月16日の生まれ、東京都の出にござる。二歳半までシンガポールに住んでおられた。
まず断っておく。巷では、学び舎の学費の額を持ち出してご実家の暮らし向きを推し量る書き方がされておる。
だが学費から家の内情を推し量る話は、いずれも憶測に過ぎぬ。ご本人もご家族も、そうしたことを世に出してはおられぬのでござる。
書けるのは、ご本人が積み上げてこられたものだけよ。そしてそれが、この御仁の場合はまことに重いのでござる。
特技として挙げておられるのが、バレエ、日本舞踊(師範)、そして野菜ソムリエ。
この「師範」という二文字が肝じゃ。習っておりました、という水準ではない。人に教える資格を持っておる、ということである。
日本舞踊で師範に至るには、長い年月がかかる。型を覚え、直され、また覚える。その繰り返しじゃ。しかも段位のように飛び級はきかぬ。
この稽古が、芝居に効いておらぬはずがない。着物の所作、歩き方、間の取り方。日本の物語を演じる上で、これほど強い武器もあるまい。
この日本舞踊の稽古は、いつ始められたのか。そこは公にされておらぬ。だが師範に至るには十年を超える年月が要ると言われる。少なくとも、若い頃から続けてこられたということじゃ。
バレエもまた、体の使い方を根から作る稽古でござる。背筋、足の運び、腕の上げ方。舞台に立つ者にとって、これほど効く下地もあるまい。
そして野菜ソムリエ。これは食に関わる知識の資格でござる。舞踊、バレエ、そして野菜。どれも一朝一夕では手に入らぬものばかりじゃ。
この三つが並ぶという一事だけで、この御仁がどういう質の方か分かろう。何であれ、途中でやめぬのでござる。
この御仁の若き日は、なかなかに厳しいものでござった。
十九から一人で活動を始められ、二十三で今の事務所に入るまでは後ろ盾が無い。
そして二十一の折、父上を亡くされる。そこからパン屋、宿、料理屋、喫茶と日雇いを三つ掛け持ちして家を支えられた。
二十代の後半に至っては、一日の眠りが一時間か二時間であったという。
いまの落ち着いた佇まいからは、想像もつかぬ日々でござろう。
【19歳からのフリーの日々】

この御仁の歩みで、最も知られるべきはここじゃ。19歳からフリーランスで活動しておられた。
二十三の歳で今の事務所に所属されるまで、後ろ盾のない状態で四年間、女優を続けておられたのである。
そして二十一の歳、大きな出来事が起きる。父君が急逝され、家計を支える必要が生じたのじゃ。
この時、木村殿が何をされたか。パン屋、ホテル、飲食店、喫茶店、知育の研究所。三か所を掛け持ちして働かれたのである。
しかも女優の活動は続けておられた。二十代の後半には、睡眠が一日に一時間から二時間であったという。
これがどれほどの日々か。三つの仕事を回しながら、稽古に通い、審査を受ける。眠る時間は一時間か二時間。
「実家がお金持ちだから恵まれておった」などという書き方が、いかに的を外しておるか。この御仁は、自らの手で立ってこられたのじゃ。
その日々が実を結んだのが、平成11年である。ドラマ『リング〜最終章〜』と『らせん』での役どころで注目を集められた。
この二作は、当時たいそうな評判となった作品であった。その中で強い印象を残されたことが、後の仕事に繋がっていく。
以降は『救命病棟24時』『白い巨塔』と話題作が続く。役柄から「薄幸の女性がよく似合う」と称され、他の同世代の女優とは違う、唯一無二の立ち位置を築かれた。
もっともご本人は、これについて「毎回苦しい」と語っておられるそうな。笑って受け流さぬところが、この御仁らしい。
役どころについても申しておかねばなるまい。
1999年の作で演じた役をきっかけに注目され、以後は影のある役、不遇な役を数多く任されてこられた。「その手の役が板についておる」と評されるほどでござる。
だがご本人は、それについて「毎回苦しい」と語っておられる。
得意と言われることと、楽であることは違う。同じ色の役を求められ続けながら、それを毎回一から作り直しておられたということじゃ。
特技はバレエ、日本舞踊の師範、そして野菜ソムリエ。この三つが並ぶ女優も、そうはおるまいのう。
2008年の映画『ぐるりのこと。』では、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞の主演女優賞、高崎映画祭の最優秀主演女優賞と、三つの賞を一度に受けておられる。
2010年にはCNNの「まだ世界的に名前は売れておらぬが、演技力のある日本の俳優七人」にも選ばれた。三つの日雇いで家を支えておった娘が、ここまで来られたのでござる。
【未来予想図-経験を活かす】

『白い巨塔』『救命病棟24時』といった作品は、いずれも長く語られる名作である。その中で確かな役どころを任され続けてこられた。
そして平成20年、頂が訪れる。初主演映画『ぐるりのこと。』での演技により、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞された。
同じ作品でブルーリボン賞主演女優賞、高崎映画祭の最優秀主演女優賞も受けておられる。三十七の歳での初主演にして、この結果である。
十九からフリーで始め、三か所の仕事を掛け持ちし、睡眠一時間の日々を越えて、十八年。ようやく主演を任され、そこで最高の賞を取られたのじゃ。
平成22年には日本アカデミー賞の司会も務められた。受賞した二年後に、その場を回す側に立つ。これも珍しいことである。
同じ平成22年、アメリカのCNNが選ぶ「まだ世界的に名前は売れていないが、演技力のある日本の俳優7人」の一人にも選ばれておられる。
平成29年10月には『ブラックリベンジ』で、民放の連続ドラマに初主演。四十を過ぎてなお、新しい場が開けておる。
平成20年には妊娠のため出演していた作品を降板され、主演ドラマも延期となった。その後の会見で、自らそのことに触れて詫びておられる。
詫びる必要のない話である。それでも自分の言葉で説明された。この誠実さが、この御仁の芯であろう。
面白い逸話も残っておる。三十の歳、多忙な最中に四日間の断食に参加された折のこと。
終了後に病院から「硬いものと油ものは当面控えてください」と指示されたにもかかわらず、回復の食事として豆を食べてしまい、腹が張って救急車で運ばれてしまわれたそうな。
しかも診察に当たったのが、かつて『救命病棟24時』を監修した医師であり、役の名前で問診されたという。何とも出来過ぎた話じゃ。
平成29年に『ブラックリベンジ』で民放の連続ドラマ初主演を務められたのは、四十六の歳のことであった。この世界に、遅すぎるということは無いのじゃ。
特技はバレエ、日本舞踊、そして野菜ソムリエ。どれも、時間をかけねば手に入らぬものばかりである。
野菜ソムリエの資格をお持ちなのも面白い。舞踊、バレエ、そして野菜。どれも、日々の積み重ねが物を言う分野ばかりじゃ。
夫君とは、ご自身が出演した宣伝の仕事を通じて知り合われたという。働く場で出会い、共に歩む。これもまた、この御仁らしい。
この御仁の歩みを一言で言えば、積み上げた者の記録じゃ。家の内情を推し量る話など、比べるべくもない。嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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【吾輩からの一言】
人前に立つ御方々を見て、生まれつきと思うてはならぬ。皆、手をかけておられるのでござる。
とはいえ、店に通う暇はなかなか取れぬもの。……家でできる器も出ておってな。
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【日本舞踊は師範!?最優秀主演女優賞への道についてのまとめ】
今回は木村多江殿について調査してみた!
吾輩は木村多江殿に対して、恵まれた環境で努力を積み重ねてきた武者姫、と思ったんだがお主は木村多江殿についてどう思ったかな?
世の中にはまだまだ、知られておらぬ話が溢れておる。
引き続きこの書記にて調べ、書き記していく所存ゆえまた応援のほどよろしくお頼み申す!
それではまた次の記事にて会おう!
嘘か誠かの判断は自己責任にて!
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