英国大学院を出たDoramonが気になる方の英語に関する情報をピックアップ!!
歴代日本人最高のトップテニスプレーヤー錦織圭(にしこりけい)さんのご紹介です。
名前を間違えられることがときどきあるそうです。”にしこり”さんです。
気の優しい物静かな少年であった錦織圭さんですが、若くしての渡米経験を経てメンタルが鍛えられていきます。
シャイボーイが経験した異国の地での体験。
その気持ちよくわかります。
基本的に海外では、積極的コミュニケーションをしていかないと、空気のような扱いを受けることが多いです。
世界の錦織圭までの道のりは楽ではありませんでした。
錦織圭さんの略歴
1989年12月29日島根県松江市で誕生されました。
これまでの人生をほぼテニスに捧げてきました。
生活の隣にテニスがあったようです。
2015年には世界ランク4位まで上り詰めました。
小学生時代
初めてラケットを手にしたのはわずか5歳の時でした。
それから1年後地元のテニススクールに入会し、めきめきと力をつけていきます。
小学校6年生時の大会には松岡修造さんが観戦に来ていて、松岡さん主催のスクールに招待されます。
その後、全国大会三冠など優秀な成績を残されます。
小学生にして高校生に勝利した逸話もあります。
中学生時代
アメリカに本部を置くプロテニスプレーヤー養成学校に特待生として留学されます。
中学英語もまともに習得していない中での留学です。
幸い数名の日本人が一緒にいたようですが、2年後に皆帰国しひとりになってしまいます。
もともとおとなしかったため、不安がいっぱいだったでしょう。
しかし、勇気を振り絞り積極的に英語と向き合うことを決意されました。
錦織圭さんの英語学習方法
基礎がない中、ルームメイトのカナダ人選手と必死にコミュニケーションしました。
片言の英語、ジャスチャーを駆使しつつ一生懸命でした。
コーチ陣とも英語でコミュニケーションをし、とにかく英語に触れる時間を増やしていきました。
語学学習の上達方法は使った時間に比例します。
錦織圭さんは無意識にわかっていたのだと思います。
テニスをもっともっとうまくなりたいという強いモチベーションが彼を支え、新しい世界へと確実に歩みを進めることができたのでしょう。
まとめ
世界的トッププレーヤーになるための道のりは長いです。
英語の基礎力もないままに初めての留学をされました。
まさにスパルタ教育ですが、厳しい環境に早いうちから飛び込むことによって、その後に役に立つスキルを身に着けることができる良い例です。
トッププレーヤーになる夢を持ち続け、そのために英語力も向上させてきた錦織圭さん、すごいです。
今でこそ鋼のメンタルをお持ちですが、かつてはシャイボーイでした。
高いモチベーションが世界的プレーヤーを生み出したのです。
初志貫徹です!
千里も道も一歩から。Just do it!!
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